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新宿区歌舞伎町パリジェンヌの貸金業者
「海外出稼ぎ?!」
100万貸すとして、返済方法を聞かれた20歳そこそこの、子供のような女は杏子にそういうと、赤く泣き腫らした目で隣のホストと頷き合った。
そんな方法誰から聞いたのか。
いや、どうやらこのホストの入れ知恵のようだと杏子はすぐに察する。
ホストは彼女の機嫌を取るかのように、その決意を変えさせない為かのように、頭をいい子いい子と撫で、優しく笑いかける。
イラっとした。
ここは、歌舞伎町風鈴会館一階の洋食喫茶パリジェンヌ。
歌舞伎町では古くからある店で、夕方になると出勤前のキャバクラ嬢やホストも多く見かけるが、まだ早い時間のため店内はラフな格好の常連やスーツ姿のビジネスマンといった客層が大半を占めている。
杏子は今、歌舞伎町のホスト竜輝と、竜輝の店に300万の掛け、つまりツケをためてしまい、返済の為に歌舞伎町の個人貸金業者である杏子に依頼をしに来た里美という竜輝の客と3人でここにいる。
金髪にレイヤーの入った肩までの髪、フェンディのロゴが大きく付いたTシャツの竜輝、ほぼ全身シャネルの杏子、今歌舞伎町ホスト狂い、通称ホス狂いに流行りの高級シャンパンの透明な空き箱で作ったバッグを横に置いたいわゆるぴえんちゃんファッションの里美という、謎の取り合わせの3人は、嫌でも店内で目を引いた。
いや、ホストとぴえんちゃんだけだったならばこの町に腐るほどいる組み合わせだが、そこに全身高級ブランドで固めた、堅気なのかそうではないのかのギリギリ感漂う杏子が、この組み合わせに違和感を感じさせるエッセンスとなっている。
「あのね、それってかなり危ないことだってわかってる?」
きつく言えば相手は心を閉じてしまう、わかってはいたが思わずきつい言い方になってしまう。
しかし、それは里美にではなく、暗に竜輝に向かっての言葉だった。
出稼ぎとは、地方の風俗に1ヶ月程度短期で働きに行くことである。
需要は多いのに、地元では身バレが怖く、風俗嬢になる子が少ない為、地方は人手不足で困っているが、逆に東京や大阪の大都市では、風俗嬢は余っている状態、それを是正できるのが出稼ぎだ。
通常、最低保障金というものが付き、客がもしつかなくても、必ず一日3万から5万円程度の日給が保証されているため、最近は主に、都内の風俗嬢がホストクラブに通う金を稼ぐ為に良く使う手段だ。
そして、これが海外、主に中国、フィリピン等東南アジア等になると桁が違う。
ただ、確かにバレずに一気に金を返そうとするならば、最も手っ取り早い手段ではあるが、はっきり言って危険度は半端ではない。
中には行先を中国と言われていたのに北朝鮮だったという話も聞いたことがあった。
「はっきり言うけど、まず命の保証はないんだよ?急いで返したい気持ちはわかるけど…」
「ん~…でも、竜輝が毎日電話くれるっていてるし…、友達もやったことある子いて、特になんもなかったよ~って言ってて…、再来月バースデーもあって~…シャンパンタワーの約束したから、とりま掛け早く返したくて…」
里美は胸元を飾る大きなリボンをいじりながら、視線は竜輝と合わせたまま答える。
因みに、先ほどから泣いていたのも、風俗で働く事にではなく、出稼ぎの間竜輝に会えなくなるのが辛いからとの事だ。
「お前、いつも頑張ってくれるもんな。ATMのお前に何かあったら俺だって大損だから」
も~、ひど~いATM頑張る~と言いながら嬉しそうにおでこをコツンと合わせる。
こんなこととうに慣れたはずなのに、どうにもイライラが収まらない。
竜輝は電話などしないだろう。なぜならここで仮に海外で里美に何かあったとしても、竜輝には一円の損にもならない。
杏子は昨年から個人貸金業を始めたのだが、当初客はさっぱり来なかった。
杏子の貸金を始めるにあたっての師匠である楊さんは在日中国人で、過去には色々あったらしく、歌舞伎町にいる外国人やそのネットワーク、人脈で客を掴んでいたが、杏子に事務所を譲るという段階で、女性一人でその客層は危険すぎると、全てを整理して譲ってくれた。
つまりは客ゼロの状態である。
さて、どうしたものかと考えた挙句、歌舞伎町でキャバクラ嬢をしている妹の紹介で、まずキャバクラ嬢への貸付を専門に行った。
これは店側にも好評で、通常店が前借りを許可すると、そのまま飛ぶ嬢もいたり、また管理事務作業も手間だったのが、いわば外注にすることによって一気に解決となる。
これにより、夜の世界へのルートを開いた杏子は、ホストクラブの掛け金を全て杏子が返済し、その変わり債権を全て移管させるというというスキームで、今はホス狂いの客がメインになりつつあった。
キャバクラ嬢の前借り金などたかがしれているが、こちらは100万単位借りる人間ががざらにいる。
つまり、このフローに当てはめると竜輝の店への損害は一気に解消されるので、後はご自由にという事。
里美がどうなろうと、竜輝は知ったことではないのだ。
「ごめんなさい、海外に出稼ぎに行くなら貸せません」
「何で?!里美早くお金返して…」
「死ぬかもしれないよ?そこまでいかなかったとしても、病気やいろんなリスクがある。何か事件に巻き込まれでもされたらこちらは回収できなくなる。飛ばれるリスクも高いし、探すのも一気に難しくなるからね」
ぴしゃりとたたみかけるように言われると、里美はふてくされたようになった。
「じゃあ、国内ならいいんでしょ」
「それもごめんなさい。あなた初回のお客さんだから、そもそも都内からは出ないでほしいの。あ、パパ活もやめてね、これも事件になったらそれまでだから。」
「じゃあもういいよ!歌舞伎の風俗で!」
その言葉を聞いて 杏子はすうっと息を吸った。
「……本当にいいの?そもそも出稼ぎもそうだけど…自分の体が物扱いされるけど、本当にできる?」
冷たい瞳で里美を見据えた。
黒目がちな美形の顔にえもいわれぬ迫力が宿る。
「いいよ!みんなやってるし!……お客さんとか優しい人とか、いい人もいるって…」
「そういう人が少ないからそう言うのよ」
「うるさいうるさいうるさい!!!」
言い返す言葉が見当たらなくなると怒鳴り散らす
まるで子供だ。
「大事なものをなくすのよ」
「……はあ?なにそれ、…別にとっくに…」
「昨日までの自分だよ。風俗をやめたとしても、戻らないよ。…言ってる意味わかる?」
急に里美は黙りこくってしまった。思い当たる友人でもいるのかもしれない。
隣の竜輝は余計な事言うんじゃねえよとでもいうようにイラついている。
風俗の再就職率は80%以上と高い。
狂った金銭感覚、体を使って稼ぐことに無くなった抵抗感。
故に、例え一旦辞めたとしてもまた戻ってきてしまう。
実際、そのままずるずると高齢まで続けるものもいるのだ。
「今、実家住まいでプログラミング会社で働いてるんだよね」
杏子は里美から預かった身分証明書のコピーと簡単な経歴書に目を落とす。
「そうだけど…それだと頑張っても月10万ぐらいしか返せないし…」
里美は実はプログラマーとして、なかなかいい会社に勤めている。
若いのに給料も同年代よりは高く、実家暮らしで金を使う趣味もなかったところに、仕事のストレス発散のつもりで行ったホストに嵌まったのが運のツキという訳だ。
「いいよ、それで充分。ボーナス期は20万でどうかしら?」
「でもそれじゃ…」
バースデーのシャンパンタワーの金がないか
「あのね、もう一つこちらの条件として、お金を完済するまでお店には行かないでほしいの。返済に充てる金を使われたら困るから。だから、それまでは竜輝君の店は里美ちゃんは出禁にしてくれる?できないなら、もうこの話はここで終わり」
言って竜輝をキッと見ると、椅子にもたれて揺れていた竜輝がしゃあねえなという風情で頷いた。
彼にしてみれば里美の来店より、一括でツケをなくせるメリットの方が高いのだろう。
「そんな!やだ!やだよ!」
「こちらはすぐ決めなくてもいいので、決めたら連絡して」
言って、容赦なく席を立つ。
レジで支払いを済ませ目をやると、席でまだもめている二人がいた。
会えなくなるのが辛いという里美、金をさっさと払わせたい竜輝。
彼女の目が覚める事はあるだろうか。
かつての自分がそこにいた。
でも、自分は昨日の自分を失うことが恐ろしかった。
だからギリギリで踏みとどまれた。
風鈴会館を出ていわゆるトー横まで来ると、あちこちにビニール袋に包まれたゴミが点在している。
中身は誰も要らないもの。
ジャングルの獣の食い残しのようだ。
大型の野獣の仕業ではない。彼らは骨の髄までしゃぶり尽くすのだから。
獲物がいた痕跡すら残らぬように。
左手にカラオケ館のビルが見えた。数年前銃撃事件があった場所とは思えない清々しさで、10月の秋晴れに映えている。
歌舞伎町には、一見小さな水たまりの様な泥沼があちこちにある。
片足を突っ込んだとしても、抜けば逃げられるというのに、この町の人間は抜くどころか、両足揃えて飛びこんで、沈んでいく。
深く、深く…
ふいに、携帯のバッグに入れた携帯の振動で我に帰った。
慌てて出ると妹の桜子からだ。
「もしもし?うん、大丈夫だよ。…今日?うん、いいけど……あ~見た、酷い事件だよね、近いし…うん、うん…えっ?そうなの?………」
脇にあったビニール袋のゴミが風に音を立てて転がる
「……K産院事件?……」
ビニール袋がカサッと杏子の足に当たった。
それは誰も要らないもの。
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