新宿区北新宿の刑事 2

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新宿区北新宿の刑事 2

「もう……本当にびっくりしちゃって…何が何だか…まさかこんな近くにずっとそんなものがあったなんて…」 女性ははあっ、と天を仰ぎながら大きく息を吐き、小さくジーザス…と呟いた。 ここは、北新宿区の事件現場から二件隣にあるダンススタジオ「アラベスク」 聞き込みに対応してくれたのは現在の持ち主の娘。 アメリカ帰りの帰国子女であるという。 年齢は50絡みだろうが若々しく、アメリカンナイズされた彫りを強調したメイクと、美しくカラーリングされた髪、ラップワンピースが引き締まった体のラインを強調している。 挨拶の際渡された名刺には、振付師・ダンス講師 有吉洋子 とあり、ブロードウェイの有名ミュージカルの出演の経歴が面面と明記されていた。 「じゃあ、洋子さんは3年前に帰国するまでずっとアメリカにいらしたんですね?」 「ええ、中学卒業と同時にダンス留学で…。もともとここは、祖母が始めたものだと聞いております。何でも、戦前舞踏団員から、戦後は米軍クラブでラインダンス等のダンサーをしていたとかで…」 なるほどと、西は室内を見まわした。 地上3階建て、所々手は加えられているが全体はかなり古びている。 通された一階の事務所も黄ばんだ棚や壁が年季を感じさせるものだった。 「戦後は近くのキャバレーのショーや、その…ストリップの振り付けなどもしていたらしく…その後、バレエをしておりました母が受け継ぎまして、バレエやジャズダンス等を講師数名と教えていたんですけど、最近体を悪くしたとの連絡がありまして、私が帰国した次第です。ここは母が倒れてからは閉めておりまして、私は代々木のダンススタジオで講師を。住まいはもともと別で、大久保にあるので、このあたりの人の出入りなどは一切わかりません。」 「なるほど……では、そもそも洋子さんはこの周辺の事はお詳しくないんですね…」 メモを取っていた三郎が横から聞く。 「祖母は生まれる前に他界しておりまして……母はここにあまり私を近づけなかったんです。今思うと、当時も結構水商売や風俗業の方の振り付けをしてたのではないかな…と。そういう方と私を接触させたくなかったのかもしれません。…なにせ昔ですから」 肩をすくめて小首をかしげる仕草に、西も三郎も同時に <アメリカンナイズ> と心で呟いた。 この人が小、中学生なら1970年代頃か、今でこそ女性のなりたい職業上位にランキングされたり、専門誌が出たりと、昔よりライトなイメージの水商売も、その頃ではまだ世間の目がきつかった頃だろう。 「では…お母様に隣の空き家の持ち主の方について聞くことはできませんかね?」 「ごめんなさい、今入院中で、実はかなり悪くて…一応警察の方がいらっしゃる前に私の方でも聞いてみたのですが、隣の蔦だらけの家はもうかなり前から空き家だったと…事件のあった家も、人が住んでるところは少なくとも母が記憶している限り見たことがないそうです」 「なるほど…わかりました。では、もし何か他に思い出すことがおありでしたら、いつでも名刺の番号にご連絡下さい」 言いながら、西と三郎は立ち上がった。 帰り際、事務所の壁を見渡すと、あちこちに日に焼けて色あせた写真が、多く壁に飾られている。 昭和を感じさせる濃いメイクに、サンバカーニバルのような大きな羽や、きらびやかな衣装を着けた集合写真がほとんどで、ダンサーなのかキャバレーのホステスなのか、西には見分けがつかなかった。 洋子に見送られ、外に出て改めて見てみると、昭和感たっぷりの字体がノスタルジックなアラベスク、蔦と黒カビに囲まれた家、その隣にはブルーシートと規制線に囲まれた現場。 現場の中にはまだ室内捜査の班と鑑識がいるはずだが、今様子を聞きに行ったら邪魔になるだろう。 朝は多くいたというユーチューバーやマスコミは、今はちらほら遠目にいる程度である。 警察が聞き込みなど捜査を始めたので、さすがに遠慮したようだ。 こうして見回すと、反対隣も似たような古い家屋が立ち並んでおり、つぶれた商店の看板もそのままに、人の気配がほぼない地域だった。 実際、まともに話が聞けたのは、アラベスクの有吉洋子のみで、また時間と日にちをずらして明日来ることにするかと考えていると、東谷が南田と向こうからやって来るのが見える。 簡単に結果を報告してもらおうと、道の端に寄って集まった。 ご苦労様です、お疲れ様ですと言い合うが早いか、南田が思わず早くなった口調で説明しだした。 「実は近隣の住人数名から、数か月前、同じ容貌の人物が度々あの家に出入りする、若しくは近所を徘徊していたという目撃談がありました。それぞれは1度ずつ見た程度だそうなんですが…」 「えっ?」 西が聞き返すと、南田がすかさずメモ帳を開いて自信に満ちて説明を始める。 大柄だが色白醤油顔の顔が明らかに紅潮してた。 「えー、身長170センチ前後。普通体系、ベージュ、若しくは淡い色の上着、深い色のジーパン、年齢60歳前後、茶の紐靴、紺色のキャップ、黒のリュック…」 南田が話している途中、西は東谷を見ると、東谷は目を細め、眉間にしわを寄せ、わかっていますという顔で西を見た。 西も顔をしかめると、軽く頷く。 「えーっ!凄い!これはかなり重要じゃないですか!何気に早く解決…?」 三郎が興奮してくるくるした目を更に開く。 南田が、でしょ?というように自身満々に三郎を見返す。 充実した報告内容に三郎も南田も満足気だが、西と東谷は反して深刻な面持ちだった。 「……南田、明日この証言取った住人に、今日のお前の服と靴の色聞いてみろ」 西が言うと、三郎と南田は固まった、すぐ意味を悟ったのだ。 「あ……」 「どんだけ怪しかったか知らねえが、何か月か前、一度見たきりの人間の服の色やら…ましてや靴の形状まで何人もが覚えてる訳ねえだろ。誰かにそう言えって言われてんだよ、これは」 と東田 「……」 「聞き込み中から、これは思ったよりやばい案件だと、青くなりましたよ。…証言した住民は高齢者ばかりで、いずれもここといい勝負の年季入った家に住んでました」 東谷は短く刈った頭を掻きながらそう言うと 「そもそもこの辺りは、ヤクザ連中からバブル期相当地上げが激しかったはずなんですよ…もちろん断って残った可能性はありますが、もしかしたら…再開発できない理由や…何かシノギが…」 西が疑問に感じていたことを話していたその時、携帯が鳴った。 見ると、家の持ち主を捜査している班の岸田警部補からだった。 「お疲れ様です、はい、こちらは…まあ、ぼちぼちです」 「聞き込み中すいません、全体には会議で発表するんですが、警部には早めにお伝えした方がいいかと思いまして…実は…」 キャリアで階級も警部と、本来なら署に詰めて報告を待っているような立場ながら、現場で地味な聞き込みをコツコツこなす西に敬意も持ってくれての事だろうが、その内容は西を困惑させた。 ありがとうございます、と岸田に礼を言って電話を切ると、三人の不安そうな顔が西を見ている。 「……投資家がこの家を買った人間の身分証は、全て偽造でした。そのほか、過去からの登記簿に名前のある人間も実在しない、若しくは意図的に身を隠している模様との事です」 三人は各々天を仰ぐ。 西は現場の民家に目をやった。 ブルーシートの間から屋根と壁がわずかに覗いている。 先ほどより濃い影を感じるのは気のせいだろうか。
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