アルカディア

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翌日、冬華が目を覚ますと冬華の携帯端末に瑠香から一通のメールが届いていた。冬華は眠い目を擦りながらそのメールを読み進めていく。メールには今日の午後十時に迎えに行くから準備をしておくように、という内容の文が綴られていた。 特に用事がある訳でもないので了解、と簡素な返信をし時計を確認する。午後十一時。冬華は普段ならいつも午前六時には目が覚めるのだが流石に疲労が溜まっていたらしい。就寝時間が遅かったせいもあるのだろう。 そう考えながら冬華は錠剤の入った小瓶を取り出した。これはカフェイン錠剤であり朝に弱い冬華の強い味方だ。 小瓶の蓋を開け三錠取り出すと口内に放り込み噛み砕く。途端に苦味が広がり意識が覚醒する。冬華は毎日、眠気覚ましにこのカフェイン錠剤を服用していた。 明瞭になった思考回路で、今日中に済ませておきたい事柄を思い出す。 (今日は…まず学院に休学届を出さなくちゃ) 冬華は現在、帝国学院に在籍しているのだが一先ず休学する事にした。理由は勿論、姉を探す事に尽力したいからだ。学院に通っていては活動できる時間も場所も限られてしまう。今、冬華は姉のことだけを考えていたかった。 携帯端末を操作して学院のホームページを開き休学するにあたって必要となる個人情報やパスワード等を打ち込んでいく。全ての項目に入力し終わる頃には既に時計の針は正午を指していた。 午後九時五十五分。冬華が一通りの身支度を済ませるとほぼ同時に携帯端末にメールが届いた。確認すると到着しました、の文字が目に入る。メールは瑠香からのものだったようだ。すぐに行く、と返信し冬華は家を出る。 玄関先に止められていた車の窓を軽くノックすると自動的にドアが開いた。内側から瑠香がロックを解除してくれたらしい。 「それで、用件は?」 対面式の座席に腰を下ろすと冬華は単刀直入にそう尋ねる。冬華の問い掛けに応じたのは澪士だった。 「封印を一時的にではあるが解除できる薬を入手した。今はその薬を持っている男の根城へ向かっているところだ」 「根城…?」 嫌な予感がした冬華は思わずその言葉を繰り返す。 「これからお会いするのはアルカディア総代、一ノ瀬新さんです。我が主の御友人でもあります」 何気なく瑠香が発したその言葉に冬華は言葉を失った。カルネージの管轄区域が歓楽街ならアルカディアの管轄区域は貧民街である。社会からドロップアウトした者達が集うその街は治安の悪さも歓楽街とは比較にならない。それ以前にカルネージの人間にとって貧民街とは敵地ではないのだろうか。そんな心境が顔に出ていたのか瑠香が冬華を安心させるように言った。 「心配しなくても私達は互いの管轄区域では干渉しないという協定を結んでいるので大丈夫ですよ」 「そうなのね…」 冬華はまだ釈然としない様子だったが半ば無理やり思考を切り替えた。 「それにしても薬の件、随分早かったわね」 「あぁ、彼奴は研究所に伝手があるからな。恐らくそれを使ったんだろう」 澪士は事も無げにそう言うが研究所に伝手があるというだけでも驚嘆に値する事である。研究所にはあらゆる研究設備が整えられており、帝国内部の天才と呼ばれる者達が集う国立施設だ。アルカディア総代でもなければ話を聞いてもらう事すら困難だっただろう。 「噂によれば新さんは早乙女家の御息女とも通じていらっしゃるようですが…」 そう言って瑠香が珍しく二人の会話に参加した。早乙女家の御息女とは早乙女音羽のことであり、研究所内でも一目置かれている本物の天才である。帝国屈指の名門大学を飛び級で卒業した後に、研究員となったらしい。年齢も冬華と余り変わらなかった筈だ。 「あぁ、何処で知り合ったのかは分からないが、上手く取り入っているようだな。だからこそ、薬の入手も容易かったんだろう。あの娘の専門は異能力の完全制御とキメラの研究開発だからな。封印系の異能を解除する手段として薬を作っていても不思議ではない」 研究所にはあらゆる専門分野があり、各自が得意な分野を研究している。音羽の専門は実質的には異能力を完全制御する事であり、キメラの開発は単なる趣味だという。 「ですが、彼女の研究は余り成果が公表されていませんよね?名前だけはよく耳にしますが」 瑠香の疑問に冬華も頷いて首肯する。知名度は高いが彼女が研究している分野を知っている者となると殆どいないだろう。 「音羽は一般人でも異能力を扱えるようにしたいらしい。その研究が成功するまでは成果の公表はしないだろう」 澪士の返答に二人は思わず絶句した。そんなことができるはずもない。異能力者とは大気中のマナを体内に取り込み、そのマナを媒介にして様々な能力を発現させる者のことである。彼らは異端の存在であり、異能を扱える者の数も限られている。誰もが使える能力ならばそれは最早異能ではない。だが。 「いや、研究はもう成功しているようだ」 澪士の発したその言葉に車内の空気が変わった。 「どういうこと?研究は、成功したの…?」 冬華が半ば独り言のように呟いた問い掛けに今度は澪士が首肯した。 「そうだ、研究は成功した。但し一度だけだ。その研究成果も既に手元にはない」 「それってどういう…」 「この話はここまでだ。着いたぞ」 冬華の言葉を遮り澪士が車のドアを開けた。 「続きが気になるなら、これから会う男が全て知っている。聞いてみてもいいだろう」 澪士はそれだけ言うと路地裏へ向かって歩き始めた。
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