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突然上がった血しぶきが顔にかかり、無精髭の賊は怯んだ。
しかし一人切られたからといって数が上であることに変わりはない。分け前が増えたことを喜ぶことで気を取り直し、斧を眼前の敵に打ち付けようとして……
「……は?」
斧の刃が両断されて空振った。
柄を斬るのなら分かるだろう。柄は木製だ。しかし、わざわざ金属製の部位を狙う。その意味も技量も賊にとって意味不明に過ぎた。
剣聖にとっては鉄も木も、さして変わらぬというだけなのだが。
次いで、刃が返す形で胸と腹を裂いた。欠けた刀身がノコギリのように腹腔をかき回して、斧使いは地獄の苦しみを味わった。これで1人。
斧使いが地面に倒れたと、思ったときにはもう遅い。
獲物だったはずの、間抜けだったはずの、蛮族は既に視界から失せている。
「ど、どこに……?」
槍を構えておろおろと取り乱す賊の足下に首が落ちてきた。2人目である。
いつも自分の影でこそこそとしていた気に入らない仲間の首。それが落ちてきたということは……そう、賊は察してしまった。
「後ろ!?」
振り返った賊の視界が縦に割れる。気付かなければ少なくとも見なくては済んだだろう。3人目。
「このっ! 蛮族風情が!」
唸る大剣。
この日の戦いで剣聖の予測を越えたのは、この賊の頭目だけだった。
馬上で振り回した無骨な大剣を見もせずに、一歩横に動いて剣聖は躱した。そして、賊の頭目は自分が駆る馬を傷付けて……
「わわっ」
落馬して首の骨を折ってしまった。馬はどこかへと走り去っていく。4人目。
「これは流石に想像していなかった……騎馬で戦えるのかと」
さぞ無念であっただろう。
そう言いたげな様子の剣聖の場違いな様子に、残る一人が忘我から立ち直って逃げようとする。
賊達の中で最も控えめだった男だ。臆病者とさえ言える彼は剣を構えていただけで、後は勝手に片がつくだろうと高をくくっていたのだ。
その男の油染みた衣類の襟首が掴まれる。
怪物じみた剣士に斬られる……! そう感じて目を瞑る男。しかし終わりも痛みもやってこなかった。代わりに投げられたのは言葉。
「……待て? 貴様、同胞か?」
剣聖よりは浅い色だが、最後の1人も褐色肌だった。
その様子に希望を見たのか、賊は剣を捨てて盛んに頷く。
「そ、そうだ! 母ちゃんが南方の産だ! 頼む! 見逃してくれよ! 同族の誼だろう!?」
「ふん?」
何かを思案するような様子の剣聖。後ひと押しだ。男はまくし立てる。
「見逃してくれたら何でも出す! そうだ! 俺達の根城に連れて行くよ! そこなら金もある!」
「……何でも出す、そう言ったか?」
「ああ! だから命だけは……!」
助けてくれ。そう言おうとした男の目に映ったのは、何か悪戯を考えついたような笑みだった。
「……名前は?」
「へ? ああ、ああ、クィネ。だけど……」
「よしクィネ。約束通り命は助けよう。金も要らん。代わりに……その名前を寄越せ。今日からお前がセイフ。俺がクィネだ」
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