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事の発端は昨日の夜に遡る。
世界一憂鬱な月曜日、土曜日までの長さに絶望を抱きつつも美味しいご飯を期待していつも通りの帰宅。ただいつもと違うのは、部屋の電気がついていない事と美味しいご飯ができていない事だった。
「兄貴ー?‥‥あれ、今日遅いのかな。遅くなるなら言えよな。」
普段自分でつけないので、真っ暗な中電気のスイッチの場所を探す。なんとか見つかり、電気をつけて明るい世界を取り戻した___はずだった。
「ん‥‥?」
机の上に白い紙が1枚。雑な文字を読み上げる為にそれを手に取ると、広告の裏紙だった。
「なになに?えーっと“宝くじで500万円が当たったから1ヶ月ヨーロッパに行ってきます。探さないでください。”‥‥は!?」
明るい世界にしたはずが、一気に真っ暗になる。まって、困る。それは非常に困る!俺は慌てて携帯を取り出して兄貴に電話をかけた。
「もしもしぃ?なんだよぉ、はるちゃん。」
「おいクソ兄貴!!あの手紙なんなんだよ!それからはるちゃんって呼ぶな!」
「もう、開口一番うるさいなぁ。」
幸いワンコールで出た兄貴に早口で捲し立てる。1ヶ月ヨーロッパだって?冗談じゃない。
「無銭で俺の部屋に住んでいい代わりに、家事全てやるって約束勝手に破ってるんじゃねーよ!」
「だから、住まないで1ヶ月出て行ってるでしょーが。」
主要駅から徒歩3分、築3年、下にはコンビニもあるしオートロックも完備されているこのマンション。保育士の兄貴は手取りが少ないと喚いていたので(その割に趣味に金を費やしているが)家賃・光熱費全て俺が払う代わりに、俺の苦手な家事全般をやるという契約をして同居していた。少なくとも今日の朝までは。
兄貴が旅行に行くだって?そんなの快適な1人暮らしが____
「できるわけねーよ!おい、クソ兄貴。洗濯物とご飯どうすりゃいいんだよ!」
「はあ?それくらいなんとかしろよ。1ヶ月で帰ってくるって。」
「1ヶ月カップラーメンとクリーニング屋なんて嫌なんだけど!」
「なんで思考がそうなるなんよ。飯は自分で作ればいいし洗濯物は洗濯機があるから回せばいいだけだろ。」
「ふざけんな!帰ってこい!」
「無理だよもう出国審査終わった羽田空港のラウンジでのんびりしてるし。ファーストクラス最高。」
「そもそも保育士ってそんなに休めるのか!?」
「ちょうど1人育休から復帰したし、俺有給めっちゃ貯まってたからさ。」
「冗談だろ!?兄貴は俺を飢え死にさせたいのか?」
「そう思ってはるちゃんに暮らし屋手配しといた。」
「は‥‥?暮らし屋?」
さっきまでのマシンガントークが落ち着いて、頭にクエスチョンマークが浮かぶ。なんだ?暮らし屋って。
「そう、暮らし屋。1ヶ月はるちゃんと暮らしてくれる人。クラシメイトって会社から1人来るよ。」
「家政婦って事?」
「いや、違う。メインは暮らす事だから、運が良ければ家事ができる人が来るかもしれないしはるちゃん並みに家事ができない人がくるかもしれない。」
「どういうこと!?」
「相手も普通に仕事してる人かもしれないし大学生かもしれないし本当にどんな人が来るかわからないんだよね。でもその人達は暮らすことが仕事だから家政婦じゃないよ。それにちゃんと配慮もした。」
「いらねえよ!なんの配慮だよ。」
「はるちゃん女嫌いでしょ?いつも告白とか断ってたし、それに彼女作らないのも女が嫌いだからって自分で言ってたじゃん。だから男希望で連絡したよ。」
「は、?」
思わず息を呑んだ。いや、逆だ。
俺は男が好きだから女からの告白断ってたんだ、なのになんで男を呼ぶんだ!なんて言えるわけもなく固まってしまう。だって兄貴にゲイだとバレないように彼女を作らない理由を女嫌いだからと嘘をついていたのは紛れもなく俺だからだ。
「後でメール入れとくわ。じゃ、俺は優雅なフライトに備えるよ。」
「は、待って、待てよ兄貴!」
ツー、ツー、と無機質な音が通話終了を告げる。その後兄貴に何度電話しても繋がらず、その代わりにデコレーションされすぎて見にくいメールが送られてきた。
“はるちゃんの為に契約したのはクラシメイト3号店の名物1ヶ月住まれ放題プランだよー。明日の19時から、1ヶ月後の12月10日の13時まで!暮らしのプロとの暮らし楽しんでねー!”
住まれ放題‥‥?
いや、住まないで欲しいんだが。俺は急いでスマホに“暮らし屋 クラシメイト”と入力する。
「うわ、」
思ったよりも沢山ヒットした。しかもこの暮らし屋界隈、意外にも10社くらいあるぞこれ。兄貴が契約したのはクラシメイトってやつだよな。
「星3.8‥‥?」
なんだこの微妙な数字は。1番人気な会社は星4.9の住みHOMEって所。どうせなら1番人気な所にしてくれよ、と思いつつもクラシメイトについて調べてみるために適当に1番上の記事をクリックした。
“最近話題の暮らし屋!今日はその中でもクラシメイトについて徹底的に調べていきたいと思います”
お、正に俺が探していた記事ではないか。俺はそのままスクロールして記事を見ていく。
“そもそも暮らし屋って?と思う方もいると思います。まずは暮らし屋の説明からです。
暮らし屋は言わばレンタル同居人といったところです。家政婦さんではありません。暮らし屋さんも普通に自分の仕事があるので、ただ一緒に住んでくれる人です。”
「そんなん誰が欲しがるんだよ。」
“暮らし屋を利用する人は、例えば彼女と別れて寂しいから一緒に住んで欲しい・長期で海外出張に行くのでその間に門番として家に住んでいて欲しい・2人暮らし手当が欲しい、など様々です。”
「あーなるほど、そういう人たちが暮らし屋を利用するんだな。」
“暮らし屋の中でも種類は色々あって家事のプロが多い『住みHOME』や、話の聞き上手が多い『隣暮らし』など様々!その中でも今回調べた『クラシメイト』は顔面偏差値が高すぎる!と話題です!”
「はー!?顔面なんてどうでもいいわ!」
俺は読む気を無くしてPCを閉じる。まだ千歩譲って家事がバリバリできる人なら同居してもいい。お互い干渉せずとりあえずやってもらえばいいから。俺は顔なんて求めていない。ましてやゲイの俺が兄貴以外の男と住むなんて、ノンケの男が女の子と暮らすようなもんだぞ。タイプじゃなくても意識するに決まっている。
「‥‥明日来たらキャンセルしよ。」
俺はそう決めると湯船の張り方がわからないので、シャワーを浴びる用意を始めた。
そう、ここまでが昨日の話。だから俺は今日暮らし屋が来た時にキャンセルを伝えることにした。そしてさっきまでの流れに戻るのである。
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