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「小野さんはどうして暮らし屋に?」
「秘密です。」
小野さんはニコリ、と芸能人顔負けの笑顔を浮かべるとゆっくり伸びて立ち上がった。あ、帰るのかと思い俺は慌てて美味しい豚汁を食べ終えた。
「それじゃあ四谷さん、家には入れてくれなくてもいいんで玄関お借りできませんか?」
「は、玄関!?」
「はい。おれ本当に泊まるところ無いんで、クラシメイトから新しい派遣先の連絡が来るまででいいので玄関で過ごさせてください。」
いきなりの展開に頭が追いつかなくなる。本当にこの人家がないのか?
「いや、その意味がわからないんだけどホテル泊まろうとか思わないの?」
「この辺ホテルあります?」
「まって、本当に家ないの?」
普通の人間なら諦めて家に帰るって言うだろうと思い、半分カマをかけるつもりでホテルを提案してみたけれど、本気でホテルを探そうとしている小野さんは本当に家がないようだった。
「ホテル‥‥。」
「あるんですか?」
あることにはあるんだけど。
俺は小野さんをジッ、と見る。この顔面だ。ここのホテルの周辺は、ようはそういった輩が一定数いる。正直小野さんのビジュアルだと何かあってもおかしくないレベルだ。
「‥‥はあ、いいですよ。今日だけ泊まっていっても。」
「え、本当ですか!?」
「何かあってからだと後味悪いし。」
俺の言葉に小野さんは心底嬉しそうな顔をしてキラキラとした瞳で俺を見つめてくる。そのビー玉を空に翳したような瞳に、不覚にもドキッとしてしまい慌てて逸らした。
ダメだ、この人すごく俺にとっては凶器だ。一般的な感覚で例えると、思春期の男子高校生の部屋にグラビア女優がいるのと同じくらい俺にとっては危ない。
「じゃあ玄関お借りしますね!」
「いや、いいよさすがにリビングで。」
「わー、嬉しいです!特別に食器洗ってあげますね。」
小野さんは俺が食べ終えた豚汁の食器を手にするとキッチンへと向かう。俺は座ったままキッチンに立つ小野さんをボーッと眺めながら口を開いた。
「ねえ、暮らし屋って家事全般やってくれたりしないの?」
「暮らし屋だから家政婦と違って家事全般やらないんです。まあ暮らし屋業界で1番大手の『住みHOME』さんは全員家事の研修受けているから家事もやってくれますけどね、すごく高いですよ。」
「小野さんはいつから働いてるの?ってか何歳?」
「おれは18からなんで5年です。今23なので。」
「えっ23なの!?」
25の自分と2つしか離れていないことに驚きつつも5年間も他人と暮らしていることに半ば尊敬の念を抱く。いくら金をもらってるからとはいえ5年も他人と暮らしたいだろうか?
色々と疑問は浮かぶがまた秘密と言われてしまいそうだったから聞くのをやめた。俺は冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して再び椅子に腰掛けた。
きゅ、と水道が止まる音が鳴って小野さんは手を拭いてこちらに来る。
「すみません、会社に明日以降の新たな派遣依頼のメールをしないといけないので携帯を使ってもいいですか?」
「あ、うん。どうぞ。」
「ありがとうございます。」
にこ、と小野さんは笑うとスーツケースを開く。スーツケースの中には服や靴が沢山入っていて、本気で住むつもりだったことが伝わってきた。小野さんはそこから2台携帯を取り出して赤いカバーのついた方の携帯を起動させた。
「四谷さん明日は何時に起きますか?」
「8時には家出ないと仕事に間に合わないから7時半には起きていると思う。」
「7時半!?支度間に合うんですか?」
メールを打っていた小野さんは驚いた顔で俺を見る。俺は時計を見て計算し直したがやはり7時半で間違いなかった。
「うん、兄貴がいたら朝食が用意されているから7時には起きるんだけどいないから、下のコンビニで適当に買って職場で食べるから30分で大丈夫。小野さんが出る時間俺より遅いんだったら勝手に出てっていいよ。ここオートロックだから。」
「あー、なるほど。わかりました、そしたらおれは出社が昼からなので11時には出ます。」
「暮らし屋ってそんなゆっくりな出勤なんだな。」
「いえ、美容院です。」
「美容院!?」
次に驚いたのは俺だった。小野さんは再び携帯から顔を上げて「はい。」と頷いた。
「え!?だって暮らし屋で働いてるって、」
「はい、働いています。でも本業は美容師なので暮らし屋は副業です。」
そこで俺は昨日のサイトを思い出してハッとなった。そうだ、この人たちは暮らすことが仕事であって、普通に仕事をしている場合もあるって。
でもそう考えると、こんなに銀色に染まっているのにキシキシにならずにふわふわな状態の髪にも納得する。
「だから銀髪なんですね。」
「はい、まあ明日は茶色にしようと思うんですけど。」
「茶色?どうして?」
「四谷さんのこと外で待ってたじゃないですか。その時にここから見える外の大きい木が綺麗な茶色だったからです。」
「ああ、あの木いいよな。俺、引越し先色々悩んでいたけれどあの木が決め手になったんだよね。季節によって色づくものが変わって面白いんだよ。」
「なんか素敵ですね。おれも季節好きですよ、季節は誰も置いていかないから。」
「秋から冬になるこの感じもいいよねえ。」
ああ、なんか絆されているなあ。さすが暮らしのプロだけあって、会話がすごく心地よい。
でも小野さんが「ふあ、」と小さく欠伸をしたので俺は立ち上がってブランケットを用意した。
「小野さん、もう寝ましょう。すみませんが布団がなくてソファーでも大丈夫ですか?本当はベットを貸したいんですけどシーツを洗ってなくて。」
「全然大丈夫ですよ、むしろありがとうございます。すみません、眠くなっちゃって。」
小野さんは俺からブランケットを受け取ると、再びニコッと笑顔を作るから慌てて逸らした。
「おやすみなさい。」
「はい、おやすみなさい四谷さん。」
半分逃げるように俺は自分の部屋に駆け込んで布団に潜り込んだ。クソ兄貴、どうしてあんなビジュアルの爆弾を送ってくるんだよ。
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