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男の人にしては細くて白い指がボタンをなぞる。
「うーん。」
ぴぴ、と焦点が合う音がしてそれでもシャッターが切られる音はしなくて。
「うーーん。」
「そんな悩む?」
「だって最初の一枚ですよ?あー、四谷さん。暇してるならニンジンと玉ねぎ切ってもらっていいですか?」
「家主に雑用押し付けんなし。」
「家事は2人で半分こって言いましたー。おれはお手伝いさんじゃなくて暮らすことが仕事の暮らし屋でーす。」
ぐいぐい、とファインダーを覗いたままの小野さんにレンズで背中を押される。仕方なしにキッチンに行くが、カレーなんて作ったのは小学校のキャンプ以来だ。
「ねえ小野さん。これどうやって切るの。」
質問するも、小野さんは子どもがおもちゃを貰ったかのようにカメラに夢中だ。一枚も撮っていないくせにファインダーをただ覗いて冒険している。
「あれえ?ピントが合わないな。」
子どもみたいだな、と思った。昨日も表情がコロコロ変わる姿を見たはずだけど、その後の仕事場での冷静な姿もあったから半分忘れかけていた。
そのふわふわの雰囲気に纏われた無邪気な姿に思わず笑ってしまう。そうか、この人を男性としてではなく子どもとしてみれば1ヶ月間何事もなく過ごせるのではないか?俺はこの人を恋愛対象である男性として見ているから、あのビジュアルにドキドキしているのではないだろうか。
そうだ。子どもだ。うん。子ども。
俺は一人で頷いて切り替えると、文句を言われないようにまな板の上の相手に向き合った。
「人参って皮ないよね?そのまま切っていいでしょ?」
「くそ、これは大きすぎて画面に入らないなあ。」
「人参って立てて切るのか?玉ねぎは涙が出るから包丁じゃなくて手掴みで目瞑ってもぎ取ろう。」
「うーん、一枚目って決められないなあ。」
「おー、少しでかいけどいい感じ。カレーってだいたいこんなんだよね。」
「だめだあ、四谷さーん。やっぱり一枚目決められな‥‥って、えー!!なにそれポトフじゃんもはや!」
やっとカメラのファインダーから目を離した小野さんは鍋の中を見て驚く。
「俺は小野さんに何回も聞いたから!」
「うそだ!しかももう炒め始めちゃってるじゃん!まって、油引きました!?」
「うんひいたよ。ほら。」
「なんでオリーブオイルなんですか!?」
「油なのは変わらないじゃん。」
「ねえ本当に料理やってこなかったでしょ。」
「全部兄貴がやってたからね。」
小野さんは俺を白い目で見た後、奥に俺を押しやって無駄にでかい野菜を炒め始める。
「こんなの包丁使わない原始人キャンプでのカレーじゃないですか。」
「食べれれば一緒でしょ。それより最初の一枚は決まったの?」
「まだです。明日までには撮るのでまだ悩ませてください。」
「はいはい。」
自分の好きな物に興味を持ってもらえるのは誰だって嬉しい。そういえば俺も初めて自分でカメラを買ったときに最初の一枚何を撮るか悩んだ物だ。そういえば、何を撮ったっけ?
「‥‥四谷さん、なんで野菜の前に肉炒めてないんですか!!」
考えようとしたけれど小野さんの怒りの一言でそれどころじゃなくなった。
そんなこんなでなんとか料理は終え、無事食事も済んだ。
「はい、コーヒー。ミルクはいりますか?」
小野さんいわくほぼ原始人カレーを食べ終えて、今日撮った写真をPCで見るのに夢中になっていて隣に小野さんが来ていたのに気がつかなかった。
コトン、とコップが机に置かれて温かい湯気が空気に消えていく。
「ああ、ごめん。ありがとう。」
「それ今日の写真ですか?」
「そうだよ。もうちょっとシャッタースピード下げてもよかったな、って反省中。」
「全然よくわかんないんですけど、おれには綺麗に見えますよ。」
前の椅子が引かれて、先ほどとは変わって髪がぺったんこの小野さんが腰掛ける。
「パーマじゃなかったんだ。」
「地毛です。ドライヤー当てた直後はサラサラなんですけど、朝になると元に戻っちゃうんですよ。」
「ふーん、じゃあ今の姿レアなんだ。」
ぱたん、とPCを閉じて小野さんを見る。男性ではなく子どもが住んでいる、と思うようにしてからはだいぶ楽だ。この姿だっていつもより更に幼くなったと思えばいい。
「なんか四谷さん、言い方おじさんくさい。」
「は!?俺おじさんじゃねーし!」
「おじさんは自覚ないところからが始まりですよ。」
にや、と小野さんは笑うとコップに口付ける。
「おじさん明日何時ですか?」
「おじさんじゃない、四谷波留だ。今日と同じ。」
「じゃあその時間におれも起きよーっと。」
小野さんはコーヒーを飲み干すとキッチンに持っていく。その姿を見て、やはりあいつは男性ではなくてクソガキだ。と思った。
そう。クソガキ。クソガキだから大丈夫。そうやって思う中、風が吹いて外の大きな木についていた葉がひらひらと全て落ちてしまったのを知るのはもう少し後の話。
こうして、2日目。終了。
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