終末旅行

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「長い人生の果てに私たちを待っている世界は、天国か、はたまた地獄か。それを知らずにあなたは死ねますか?」 ピエロのキャラクターの出てくるそのテレビコマーシャルを初めて観た時、私はまさに天啓を受けたと感じた。全面的にイエス!そうだよ!その通り! 欲望に負けて深夜のコンビニプリンを買い求め、これから経口接種する悪徳の糖分を少しでも先回りして消費しておこうとサンダルで駆け抜けた100mの夜道。その間21.7秒という記録は、パーソナルレコードだった。 私はアパートの扉を開ける瞬間、既に肩で息をしていた。なるほど振り返ればそれは神の言葉を聴くに相応しいタイミングだった。かの預言者も海を割ってエジプトを出るという偉業を為し、そして山にも登ったとなれば息は切れ切れだったに違いない。 ブラウン管の明かりが質素な私の部屋に拡散していた。私はテレビの電源を切り忘れたことにまたもや罪の意識を感じた。10分のテレビの電気代とその電気を作るために排出された二酸化炭素と。私は何重にも罪を犯している。オーマイゴッド。私を許したまえ。 そんなとき、私は初めて天から返答を受けたのだ。テレビを消し忘れてコンビニプリンを買い求めた罪深き私を待っているのは、天国か地獄か。 「それを知らずにあなたは死ねますか?」 ピエロの声は私の28年の人生の中で初めて霧を晴らしてくれるようだった。 ※ ※ ※ 私は淑女としてこの世に生まれ、恋は少なく。清貧の中に育ち、贅沢は知らず。あえてブラック企業に勤めて、神への奉仕たる勤労に励んだ。それもこれも天国に行くためである。この世のあらゆる不公平は私に課された試練なのだ。私はこれまでその生き方を疑ったことは一度たりともなかった。天国に行きさえすれば全てが手に入るのだ。 幼馴染がサッカー部のイケメンと付き合った時も、私はそれを心から祝福した。天国には天使のような顔をした美男子たちが私の到着を心待ちにしているはずだ。 卒業旅行で友人たちがハワイに出かけている間も、私は京都で座禅を組んだ。天国だって常夏だしバナナボートはあるに違いない。 大学の同期が安定して高給な大企業に就職を決める中、私は薄給で馬車馬のように働かされる企業に入った。だって天国に行ったらもう一切働くということをせずに済むのだから。 しかし私は28歳になって、ふと考えてしまう。果たして私は本当に天国に行くことが出来るのだろうか。無論、私の禁欲的な生活を考えれば、他の大多数の人々より私の方が天国に行くに値する。しかし、天国の倍率は如何程だろう。私の卒業した大学はおよそ3倍だった。新卒時の有効求人倍率はおよそ2倍だった。だが天国の倍率を私は知らない。もし天国に行くことので出来る人間が、ほんの一握りの聖人君子だけなのであれば、そこに私が滑り込むのは容易ではないだろう。もし万が一にも天国に行くことが出来なかったとしたら、私の人生はとんだ笑い話である。 疑いは疑いを呼び、悪魔の話は悪魔を呼び寄せる。孔子曰くアラフォーなら迷わなかったかも知れないが、アラサーの私はいとも簡単に迷った。冗談じゃない!どうせ天国に行けないのなら、深夜にコンビニプリンを食らってやる! かくして私は絶望の中にあって、御神託を賜ったのだ。そのテレビコマーシャルは"終末もしもツアー"というパッケージ旅行の宣伝であった。早速取り寄せたパンフレットによれば、そのツアーの参加者は1週間の間仮死状態になることが出来るのだという。死後自分を待ち受けるのが天国か地獄か、それを知るには1度死んで三途の川を渡ってみたら良いのだという単純な理屈だった。なるほど。常に真理というのは思いの外単純なものである。今もし死んだら自分を待っているのは天国なのか地獄なのか。それが分かれば人生も改善のしようがあるというものだ。もし天国行きが決まっているのなら、もう少しこの世で楽しみを増やしても良いということになる。反対にもし地獄行きなら、残りの人生でもう少し善行を積み増すことで天国行きに変えることが出来るかもしれない。PDCAを回すことが重要だと私の勤めるブラック企業の悪魔のような上司は言ったが、悪魔の言葉にも多少の真実はあるようだ。 私はツアーへの参加を即決した。
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