終末旅行

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※ ※ ※ 最後の審判はシスティーナ礼拝堂に描かれた光景ほど豪華ではなかった。洋風でもない。どちらかと言えば和風。和風というか、銭湯の番台みたいだ。男湯と女湯に分かれるみたいに、おじさんが天国と地獄に死者を選別していく。 そのあまりの長蛇の列に私は苛立っていた。 「ミケランジェロの嘘つき!」 生き返ったらサイゼリヤの天井にタバスコを投げつてやろうと私は決意した。 「仕方ないよ。当時はこんなツアーはなかったんだから。来てみなきゃ分からないよ。私だってもう少し厳かなやつを想像してたからね。閻魔様が尺持ってわーって怒鳴ってるみたいな。」 私は幼馴染のマホにツアーの同行を頼んでいた。流石の私も独りで死ぬのは怖い。旅は道連れ、あの世にも情けである。マホは私と違って素直に人生を楽しんでいる。中学校の時にサッカー部のイケメンと付き合っていたのは彼女だった。きっとマホにとってはこの終末のツアーも日常の1ページに過ぎないのだろう。 「アキちゃん、機嫌直しなよ。ディズニーランドだって待つ時間も楽しいんだよ。」 マホは呑気な声で言った。あれだけ奔放に生きてきたのだから地獄行きの可能性もあるというのに、遊園地にでも来たような余裕は彼女の天性の才能に違いない。 「そうですよ。死後の世界には時間は無限にあるのだから、急いだって仕方ないですわ。」 前に並んでいたご婦人が宥めるように言った。素敵なお召し物に包まれてさぞかし高貴な人生を歩まれてきたのだろうと想像出来た。ミノス王でも閻魔でも番台おじさんでも、きっと彼女は天国に相応しいと裁きを下すだろう。 「あなた方はまだ若いのに。お悔やみ申し上げます。」婦人が深々と頭を下げた。 「いえ。私たちはツアーで来たんです。」 マホが不躾に言った。本物の死者に失礼じゃないかと私は彼女を制止しようとしたが、婦人の方は全く気にする様子はなかった。 「あら、観光客の方でしたか。それなら良かった。宜しければあの世について。ふふ。今はこの世ですけれども。私からガイドさせて頂きますわ。」 婦人は高梨と名乗った。生前にバスガイドをしていたこともあったのだと高梨さんは言った。 私たちはツアー会社から死後の世界について事前に説明を受けていたが、情報は決して十分なものではなかった。それは旅先でのサプライズを台無しにしてはいけないからということだった。私たち参加者は一時死亡同意書に署名をして、二の腕に注射を打った。その薬によって私たちは一週間だけ仮死状態になることが出来る。ポックリ逝って、ポックリ生き返るとのことだ。 「この審判の間はね。人によって見え方が違うのよ。それはそうよね。ここには天国に行く人も地獄に行く人もいるのだから。それに相応しい姿で見えるということよ。」 「えー。私たちには番台に見えるよね。これってもしかして地元にあった銭湯の風景かな。だから私たちには同じに見えるってこと?私たちやっぱり死んでも幼馴染だね。」 私は自らの想像力の限界を感じた。所詮私はマホと同じ程度の頭しか持っていないのだ。私は天才ミケランジェロ様に心より謝罪する。 「でもね。その先は皆同じよ。天国か地獄か。それだけ。人種も性別もない。死後の世界は安らかね。」 そう説明する高梨さんの顔は安らかだった。ツアー客の私たちには決して測り知れない心境なのだと思う。まさにこれから最後の審判が下されようとしているのだ。 「きっとあなたは天国に行かれるでしょうね。素敵な人生を送られてきたのでしょうから。」 「どうかしら。神様の採点はそれほど甘くないかも知れませんわ。昔の私は貧しくて、生きるためには何だってしたもの。それこそ神様の御心に背くようなこともね。」 「それは...。」 「それが生きるってことじゃないですか!必死に生きたのなら、それは間違ってないと私は思います!」 マホが声を荒げて言った。ツンとした声が銭湯あらため審判の間に響く。婦人はただ寂しそうな目をしていた。 「あなたが神様だったら私も天国に行けたのにね。」 いつの間にか私たちは列の最前まで来ていた。私たちは婦人に質問をする時間を与えられなかった。死後の世界には無限に時間があるというのに、それでも瞬間的に過ぎ去ってしまう時というものがある。 「高梨聡子さんね。はい。地獄行きね。」 最後に私に聞こえたのはそれだけだった。婦人は静かに頷いて左手ののれんを潜って消えていった。私たちはその優雅な後ろ姿を呆然と見送った。 こんな審判は公平ではない!私たちは番台のおじさんに抗議をしたが、彼は何もしてくれはしなかった。次は私の番だった。「はい。渡邉亜希さん。山根真帆さん。」しかし私たちにはいとも簡単に天国行きの審判が下った。病院であっさり医者から風邪だと診断された時のような、納得のいかない感じ。そんなことがあって良いのだろうか。これまで憧れ続けてきた天国行きを前にして、私は激しく動揺していた。私が天国に値して、あの婦人が天国に値しないという線引きは一体何処にあるのか。果たしてそれは本当に公正なのだろうか。
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