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深い水に潜ると、まるで羊水に浸かったような気持ちがした。冷たくて気持ちが良い。再び生まれる先は地獄だけど。
私が落ちたのは、不運にも獄卒たちの昼寝場所だったようだ。トランポリンの如く張りのあるお腹に受け止められて、私は地獄に不時着した。
「貴様ぁ!何や、昼寝中に!」
何故か関西弁の鬼が凄んだ。
「す、すみません。緊急事態で。」
「アホちゃうか。ここは地獄やで。オールウェイズ、緊急事態や。って貴様、何や観光客かいな。ほな、どっか行った行った。見せんもんやないんやで。」
「ちょっと待って下さい。」
「なんや。」
「私と同じくらいの歳の女性を見かけませんでしたか?一緒に来たんですが、はぐれてしまったみたいで。」
「ああ、それなら見たで。ボスの頭の上に落ちて来たんで、罰として釜茹での刑に連れてかれたわ。」
「釜茹で!何処です?」
私は親切にも獄卒の鬼が教えてくれた道に沿って、鉄釜を探した。
「おーい!アキちゃん。こっちこっち。」
釜茹で上がりにバスタオルを身体に巻いたマホがホクホクと湯気を立てて私を呼んでいる。
「ちょっと。大丈夫?心配したんだけど。」
「いやー、釜茹でっていっても、五右衛門風呂みたいなものね。死んだら熱さもそれほど感じないみたい。怖いのは見た目だけで、慣れると刺激的で楽しいよ。風呂上がりにコーヒー牛乳がないのはホント地獄だけど。」
心配して損をした。しかしここは地獄なのだ。心なしか周りを歩く人々も強面である。
その時、私は針地獄の上を歩かされている高梨さんを見つけた。思いの外すいすいと歩いているようだったが、裸足の下に鋭い剣山が敷き詰められているのだから、見ているだけで足の裏がムズムズしてくる。
「マホ!助けに行こう!」
しかしマホは身体を硬らせて全身で拒否しているようだった。
「ごめん。無理!私、先端恐怖症なの。」
みるみるマホの顔が青ざめていく。
「分かった。私が行く!」
私は駆け出して針の道へと向かった。入り口で獄卒が靴を脱ぐように指示をしている。私はスニーカーを脱ぎ捨てて、針の上に恐る恐る足を乗せた。痛みが足を突き抜けてお尻の方まで響いてくる。しかし私はこれに良く似た痛みを知っていた。いつも通っている整体師の足ツボマッサージだ。死んだら感覚が鈍くなるというマホの言葉は本当のようだった。
私は1歩2歩と足を進めた。「高梨さん!」婦人の名を呼ぶと、彼女はゆっくり振り返って地獄に咲く薔薇の如く微笑んだ。
「あら。こちらにもいらしてたのね。」
「大丈夫ですか?痛くないですか?」
「ありがとう。でも平気よ。歳を取ると痛みにも強くなるみたいね。」
高梨さんは本当に大丈夫そうだった。
「高梨さんは天国に行くべきです。審判が間違っていたんですよ。もう一度やり直してもらいましょう。」
私は必死になって説明した。高梨さんは天国にいる方が似合っている。
「間違ってはいないと思いますわ。実は私、若い頃に駆け落ちをしたんです。お互いの親を裏切って愛する人と一緒になった。それは地獄行きに値しますでしょ。」
「いや、でも...。」声を出しかけたその時、私の身体はすっと宙に浮いた。生き返る時間が来たのだ。獄卒が私のスニーカーを投げて寄越したのを私は両手で受け止めた。
高梨さんの姿が離れていく。私は手を伸ばしたが身体はそれに反発して離れていく。
「さようなら。来てくれてありがとう。」
宙に引っ張られていく私に高梨さんは言った。
「でもご心配なく!こうやってまた愛する人に会えたのですから!」
声を張り上げて高梨さんは私に右手を振った。意識が遠のく中で、私は高梨さんの後ろで彼女のもう片方の手を取る男性の姿に気づいた。優しそうな素敵な人だった。
「ここは地獄でも私は幸せです。あなたも幸せな人生がありますように!」
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