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行く先々で私を待っていたものは、彼が生きているという情報そのものと、彼に対する数多の賞賛の声であった。
私がその依頼を受けたのは、もう三年以上前のことになる。果たしてそれを、依頼と呼んでいいのかどうか、それすらも怪しいと思うほどには、頼まれたことの内容がファジーに過ぎた。『彼』を探して欲しい。行く先々への旅費と、必要な宿泊経費プラスアルファを、全てこちらで持つと言われた。元々根無し草だった私に、同じく根無し草だった友人の伝手で、依頼主の紹介を受けた。国々を渡る旅が、元々好きだったことも、決断の後押しをした。依頼主と直接話をするでもなく、届いたメールに半分騙されたような、妙な気分で銀行口座の番号を送り返した。マサヨシ・マエサワという名義で、二千米ドルがこともなげに振り込まれたところで、この話は本気だったのだと理解する。
マサヨシ・マエサワ氏から、私に課せられた仕事は以下の三つである。
・彼の足跡を辿ること
・行く先々で、何かひとつ以上の善行をすること
・その土地土地での出来事などを定期的に報告すること
求められる報告が、明確な期間を定めない「定期的に」とあるのは、土地によって通信もしくは連絡が、困難であることを考慮に入れてのことだろう。実際に場所によっては、インターネットどころか郵便配達すら、整備されていないことさえあった。彼に関する情報は少ない。その少ない情報を頼りに、行く先々で彼の足跡を辿る。
どうやら彼は、医療に通じている人物らしい。
行く先々で、彼はその地において、出来うる限りの医療行為を、即断で行い続けた。あるときはその近隣の、山々に自生する植物を、子供達に採ってこさせ、それを漢方のようなものにした。悪い場合には、簡単なオペをすることもあったという。縫合に使う糸はその地で採れる、何かしらの繊維を細く紡いだ。場合によっては医者に罹らねばならぬと診断し、自ら最寄りの都市へ連れていくこともあったらしい。彼によって、実際多くの命が救われたのだという。
彼は行く先々での、医療行為への対価を一切求めなかった。私はそんなつもりで、あなたたちを助けたわけではないのだと。代わりに欲しいと言われて差し出した、現地の質素な民族料理を、好んで受け取り食べたのだという。ぜひうちに泊まっていってくれと、村の誰しもが彼を家に招き入れた。その土地土地において、彼が滞在する期間はまちまちである。数日間だけの場合もあれば、数ヶ月にわたって居付くこともある。
行く先々で彼の名前を出して、村人たちが知っていた場合に返ってくる反応は、パッと明るくなるか怪訝な顔をされるかのいずれかである。怪訝な顔をされた場合、彼の友人なのだと伝えると、眼差しは疑りの色をさらに深める。経験上こういう人の方が、彼の内情をより深く知っていたりする。私は粘り強く、コミュニケーションを続ける。
あいつは本当にすごいやつだ、俺の村でこんなことをやってくれたんだ。まじか、この村ではこんなことをやってくれたぞ。そうかそうか、なるほど、やっぱりあいつはすごいやつだったんだな!
過去に伝え聞いた、彼の善行をそのまま流用し、まるで自分のことであるかのように語り騙る。彼の善行であることに、嘘はないので良心は傷まない。そのようにして、彼の情報はどんどんと私に集まっていく。彼という本人を直接知らないままに、彼の成した偉業だけが、私に降って積もり続ける。彼の話を嬉々としてする私を、旅の先々の人たちは皆、優しく迎え入れてくれる。
私は、内燃機関に関して少しばかり素養があったので、旅ではこの技術を生かすことにした。訪れた先の村々で、何かのエンジンのようなものが打ち捨てられていれば、なんとか動くようにして発電機に改良した。山奥で電気事情の芳しくないその村の、村人達からは猛烈に感謝された。他にも何か、手伝えることはないかと申し出る。いくつかの、動きの悪い車やトラクターなどを整備すると、ぜひこれを受け取って欲しいと、金一封を包まれた。いや私はそんなつもりでやったのではないのだと、お金を受け取ることはしなかった。私が追い続けている、彼の姿が頭をよぎる。ならば、代わりに食事をいただけませんか。そう伝えると、村をあげての大宴会が催された。出された料理は、みな美味しかった。
次はどこに行くのだと聞かれ、あてはないのだと答える。彼がどこに行ったか分かるかと聞くと、情報が得られる場合と得られない場合がある。行き先が判明したときは、私もそこへ行くと伝える。行き先が判明しなかったときは、現地人おすすめの場所を聞く。海に出てみてはどうかと言われ海に行くこともあるし、山に登ってみてはどうかと言われ山を越えることもある。行った先で偶然、彼の足跡が見つかることもある。
彼の移動先は完全に不特定で、距離も方角もまちまちである。すぐ近隣へ移動することもあれば、国境を跨った移動をすることもある。行った先々で、彼の足跡が確実に見つかるわけではない。見つかるか見つからないかの確率は半々で、それは距離とも方角とも、相関はあるようであまりない。すぐ近隣に移動して足跡が途絶えることもあれば、国境を跨いだ長距離を移動しても足跡がちゃんと見つかることもある。見つかればラッキーくらいのつもりで動き、見つかれば次を探す。見つかった経路は線で繋ぐ。見つからなければ一旦戻る。戻るとまた、別の所に行ったのではないか、という情報が入ってきたりする。それを元に、旅はさらに続いていく。彼の足跡が、見つかっても見つからなくても、私はこれを繰り返し、彼の足跡とともに私の活動を、マサヨシ・マエサワ氏へ報告する。
一つだけ、気がかりなことがある。マサヨシ・マエサワ氏は、本気で彼のことを、見つけようとしているのだろうかということだ。本気で彼を見つけようとしているのであれば、もっと本腰を入れて調査をするべきだし、こんな誰かもわからないような流れ者に依頼をするべきではない。そう心の片隅に、どこか引っ掛かるものを抱えつつも、それでも私は旅を続ける。氏の意図を理解しきらぬままに。特に今の私の待遇に、なんの不満もあるわけではないから。
ある時、訪れた村にて一枚の紙を手渡される。同時にその村人から語られた一言は、私を一瞬震え上がらせた。「私のことを探しているという人が来たら、これを渡してください」と言われたと、村人からはそう伝えられた。
私が彼を探しているということが、どこからか彼自身に伝わった、らしい。らしい、というのはそれが確定した情報ではないからだ。別に、私が彼を探しているということが、彼自身にばれてしまうことは問題ではないのだと、すぐに思い直して心を保つ。それでも、私の存在を彼に知られてしまったのだと思うと、しまったなという気持ちになる。きっと彼は、私を避けようと動くだろうから。
紙に書かれていたのは、一見するとランダムな、よくわからない数字の羅列だ。縦八列横八行の正方形のマス目に、一から八までの数字が一つずつ埋められている。
何かの暗号? わからない。彼がなんの意図をもって、この数字網を私に残したのか。わからないままに、彼を探す旅すがら、インターネットが使える場所で、ちょくちょく調べてみたりする。数字、羅列、謎、検索ワードは絞りきれない。絞りきれないままに、検索ボタンを押しては貧弱な、回線速度からの返答を待ち続ける。時間がかかるなりに調べ続けると、ある時とあるキーワードに辿り着いた。
ペンシルパズル。
それは、図示された問題に対して答えを徐々に書き込むことによって、最終的な解答を行う形式のパズルのことである。どうやらその種類だけでも、何十という数があるらしい。基本的には鉛筆を使用するのがよいとされている。だからこそペンシルパズルと呼ばれる。代表的なもので言えば、世界的にも有名なクロスワードやナンバープレースなどがあったりする。
この数字の羅列が、そのペンシルパズルの一つだというのか。
本当に、様々な種類があるらしい。単に枠だけがあり、それを黒マスで埋めるもの。法則性に従って線を引いて輪を作るもの。空いたマスに数字を埋め込んでいくもの。それらのうちの一つに、私の手元にあるものと、似通った形のパズルがあることに気がついた。そのパズルの名前を見て、私は再び背筋に寒気を感じる。
ひとりにしてくれ。
そんな名称を持つパズルが、あるのかと訝しむ。そしてこれが、彼なりのメッセージなのかと。彼が、私を避けようと動くのではないかという考えは、単なる仮説から確信へと変わる。彼を探すという私の旅の、目的自体に暗雲が立ち込めていく。
どうせならばと、この問題を解いてみることにした。必要なものは鉛筆と消しゴムのみ。鉛筆というものを、握るのも久しぶりな気がする。現地の子供達に頼んで、一本貸してもらった。「ひとりにしてくれ」という名前のパズルの、以下のルールに従って、マスを一つ一つ塗り潰していく。
・盤面に黒マスを配置して、各行・各列に同じ数字が残らないようにする。
・黒マスは縦横に連続しない。また、黒マスで盤面が分断されてはいけない。
ルールはそこまで複雑ではない。最終的に、盤面の数字の、縦横の重複が全て無くなればいいのだ。
生まれて初めて触れるそれに、脳が戸惑いを感じ始める。あちらを立てればこちらが立たず。満たさなければならないルールはシンプルなはずなのに、考えなければならない要素の量は、どうやら思いのほか多い。あまり大きくはない私の脳が、オーバーヒートを起こしかける。これまで使ったことのない、脳の機能がゴリゴリと、掘り進められていくのを感じる。シンプルなルールの裏に、隠された定石のようなものがある。
確実にここは黒くなるだろう、という箇所を潰していく。潰すと斜めにマスが繋がる。こことここが繋がると盤面を分断してしまうから、このマスは潰せない。代わりに別のマスが潰れて、そのマスがまた別の繋がりをうむ。繋がりが別の繋がりと繋がろうとする。しかし最終的に、その繋がりが繋がれることはない。繋がないでくれと、盤面が私に語りかけてくる。盤面が、ひとりにしてくれ、と私に語りかけてくる。
最終的に、盤面は埋められた。これを解く誰かは初心者であるはずだと、この問題の作者である彼は想定したのだろう。きっと、簡単なものにしてくれたのだと思う。解き終わるのに、大した時間はかからなかった。
ああそういうことかと、妙に頭が納得する。これを彼が残したのは、単に彼の感情によるものではない。この旅の、あるべき姿がこれなのである。我々は、決して繋がってはならない。繋がると、旅が終わってしまうから。
いつか、どこかで旅は終わる。しかしその終わりは、邂逅によってはもたらされない。それがこの旅の、一つの裏ルールだから。その裏ルールを、暗に誰かに伝えて残す。きっと私を探しているであろう誰かへ向けて、私もそれを、残して繋げる。誰かが誰かを探し、その誰かをさらに別の誰かが探す。再帰的に。その旅の先で誰かは、また別の誰かと出会う。人が出会えば物語が生まれる。
ある時、とある村で、私は一人の少女と出会った。一目見て、この少女と添い遂げたいと願い、それを素直に口にした。私の想いは伝わってくれた。私の旅はここで終わるのだと、直感が私にそう告げた。
「この旅は、楽しかったですか」
「はい、とても」
「それはよかった」
ことの顛末をマサヨシ・マエサワ氏へ告げる。氏は、快く私の決断を受け入れてくれた。その連絡をする電話口で、不意に尋ねられたのは私の、旅に対しての感想だった。氏と直接に対話をするのは、これが最初である。そしてこれが、最期なのだと直感する。
私の旅は、終わりを告げた。そして新たな、物語を紡ぎ始めた。村は変わらずそこにある。私はそこへ根を下ろす。根を下ろした草の上を、柔らかな風が吹き抜けていく。風が吹けば何かが舞い飛び、飛んだ何かはどこかへ降りる。根がなければ、草は風に乗る。風は草を、どこまでも運んでいく。
村に、そんな根無し草の旅人が再び訪れたのは、それから二十年以上は後になってからのことである。私といえば過去にした旅のことなどすっかり忘れ、外来の風体もなりを潜めて久しくなった折のことである。とある誰かを探しているのだと、旅を続けているという旅人が来たのだという話を妻から聞く。瞬間に、かつての記憶が蘇ってくる。私はすぐに、旅人の元へ足を運んだ。
「ミスターマエサワはお元気ですか」
「すみません、どなたのことでしょうか」
私の質問に怪訝な顔をする旅人の、その反応に私自身もが怪訝な顔になっていただろう。
「あなたの旅の、スポンサーがいると思ったのですが」
「はい、おっしゃる通りです。ですが私のスポンサーはスティーブ・マックスという方です」
この旅旅の真の目的を、まさにこの時に理解した。恐らくは、マサヨシ・マエサワ氏すらが、その流れの中の一部にすぎず、私はその一部がもたらした、さらにその一部に過ぎなかった。善意の押し売り旅を金銭面で支える、パトロンたちの系譜のようなものが存在している。
全ての系譜の登場人物は、求めていたのだ、物語を。それがどのようにして紡がれるのかを。紡がれた物語を。そしてその物語は、物語の紡ぎ手自身をも、物語の一部として取り込んでいく。そして系譜は遥か過去から遥かな未来に至るまで、おそらく連綿と続いていく。その折々の、変わり者の好事家たちによって。
まるでパズルのように紡がれていくその物語は、しかしパズルのように答えが用意されているわけではない。それぞれの紡いだ物語が、まるでパズルのように繋がっていく。それらが全体として氏の中で繋がっていき、決して繋がらないパズルのようなものを構成していく。答えからパズルを作るのではなく、パズルから答えを作っていくのだという逆転現象がそこには起こる。パズルを作るという工程の、解くのとは逆転されて然るべき逆転現象を、さらに逆転させるという現象が、そこでは起こってしまっている。
このパズルの答えを作る、旅は未来に永劫に、一意に定まることなく続く。
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