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小声で。
「ただいま」
と。
それは、家族だけが帰宅した時に使う挨拶。
喉の浅い部分で発声し、声の抑揚がある。子供特有の声だ。
「ねえ。お父さん、お母さん、お姉ちゃん。開けてよ」
人影は、家に向かって呼びかける。
その声に和子は、驚きのあまり声が出なかった。雨音と水音で聞こえづらかったが、たしかに聞き覚えるの声だ。
和子は、生まれ物心がついた時から人生の中でであった何百という人々の声から、たった一人を選別した。
「泉太……」
和子の口から名前が出る。
もう一度名前が出た時は、人影への呼びかけだった。
「泉太」
玄関前の人影が和子の呼びかけに反応しているのが、ガラス越しでも伝わった。
「……ただいま。お母さん」
人影は、和子の声に応えた。
和子は、息が声が身体が震え始めた。
「そんな、どうして……」
驚愕している和子に、人影は呼びかけ玄関を叩く。
「お母さん開けてよ」
和子は、玄関へ一歩踏み出すと、突然誰かに口を塞がれ、羽交い締めにされた。
玄関の人物と、羽交い締めにされたことで、二重に驚いた和子は、目を皿のように広げて、口を塞いだ人物を見ると、義父であった。
「和子さん。ダメだ、入れちゃなんねえ」
義父は険しい表情と押し殺した声で、和子に言い聞かせる。
見れば、近くに義母もおり、震える身体で念仏を唱え始めていた。
夫もおり、娘を抱いて青ざめた表情で玄関の人影を見ていた。
和子は自分の口を封じる義父の手を両手で剥がすと、意見した。
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