第一章 色褪せたセカイ

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 人間だけに色がある。  言い換えれば、それ以外に色はない。  正確には無色なんてものは存在し得ないから、白と黒の、所謂(いわゆる)モノクロというものだが。 「分からねえんだよ。俺の元居た世界では、何もかもに色がある事はそれこそ常識だったんだ。例えば、一番分かりやすいのは液体だろ。この世界の住人は、水とお茶を、どう見分けてたんだ?」  頭の中を整理するように。  緋彩は自分の常識から浮かび上がった疑問を、次々と口にしていく。 「極端な話、それが硫酸でも……いや、それは匂いで気付くかもしれねえが、色の観点だけで見れば俺には気付く自信がねぇ」  まだまだ分からない事だらけだ。  そもそも緋彩の眼は、あくまで生命の精神構造を視るものであって、その構造を持っていたものが彼の知る人類だとは限らない。 「だから、俺がパッと思いつくのは──」  そういった未知の可能性と。  分からない事をとりあえず除外して。    しかし。  それ以上の言葉が出てこない。いや、出そうと思えば出せる。けれどその考えには、緋彩自身分かっていた事ではあるが確証がない。分からない事を除き過ぎたからこそ、分かる事も少なかった。 「やっぱりなんでもねぇ。自分に関わるだけの事なら良いが、他人や世界なんてものに関わる事には出来る限りの確証を持ちたいからな」 「……そう。ごめんなさい、思い出せる事が少なくて」  結局口に出さないという行為の理由をまるで言い訳のように語る緋彩に、それまでじっと彼を見つめていた蒼月が申し訳なさそうに謝る。 「良いんだよ。こんな終末みたいな世界だったら、正直何があってもおかしくはねえんだ。だからお前が謝る事じゃねぇ」  少なくとも。  こんな異常な世界では、何があったのだとしてもおかしくない。むしろこの状態で実は何もなかったという方が異常なのだ。 「きっと名道(あいつ)に会えば分かる話だろうし……けど、やっぱり気にはなるんだよな、例えばそこの水溜まりとかな」  数歩歩いた先に見える水溜まり、これもまたモノクロ。さっきの緋彩の話を踏まえると水溜まりなのか怪しいところではあるが、ふと彼は何の考えもなしにそこに近寄った。舐めるだとか、嗅ぐだとか、そういった視覚以外の方法で確かめようと思ったわけでもなく。本当に、無意識に、直感的に。 「……ダメッ!」  だから。  唐突に発せられた蒼月の声に、緋彩は驚いた。 「それって……どういう意味だ?」  この世界についてはおろか、自らの事すら記憶にないと言っていたはずの蒼月。そんな彼女の明確な意思を持った静止。例えそこに意図はないのだとしても、緋彩は反射的に理由を聞いた。 「……え、と。分からないけど、近づかない方が良いと思う」  ただの水溜まり一つに?  武器も何もない状態で敵に突っ込む自殺行為って訳でもないのに?  と。  そこまで疑問符を浮かべた時に気付いた。  。 (『神の義眼』……!?) 「……? 緋彩どうかした? 私に一目惚れしちゃった……?」 「とても不安そうな、至って真面目な顔で推し売りをすんじゃねえよ!」  緋彩は改まってその眼を見ようとするが。  どうやら先程のやり取りの間に戻ってしまったらしい、青薔薇の咲いていない、いつもの青い眼になっていた。 「……え、だったら私は身体を売らないといけないの? 確かに緋彩になら買われても良いかなって思うけど、お金で済む関係になりたくな──」 「そーいう問題じゃねぇよ! いい加減売る事から離れろ。ほら、ビルの玄関口にはもう着いたんだ。漫才してねぇで行くぞ」  気になる事は山のようにあれど。  きっとこの先にその答えがあると信じて。  話し歩いている間に到着していたビルの入り口のドアを。  ──開けた。  しかし特に緋彩は油断していた。そして気付いていなかった。  開いたのはドアというよりは、波乱の幕だったという事に。
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