第一章 色褪せたセカイ

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 男は笑う、凄惨に笑う。  寒風は吹いていないのに、男の嘲笑は不協和音のように、二人に不快感由来の悪寒を与える。  息を呑んでいた緋彩は、どうにか反論しようとして口を開く──が、言葉は詰まって出てこない。   「──はぁあ。ようこそ、この僕の世界へ」  ひとしきり笑った後、瞳を見開いた男は困惑している二人を見据えながら──狂った自論を垂れ流していた時とは打って変わって静かに告げる。 「おやおや、何もしてこないとは! いや、違うか。君は……この僕の何かが視えているんだ。だから慎重に警戒して、出方を伺っているんだ!」  男は緋彩を凝視する。  見つめる。見詰める。  道端で興味深いものを見つけた時のように、あるいは新しい玩具に心躍らせる子どものように。 「遂に、やっとか。『現人神(あらひとがみ)』? そうだろう? そうだ! それに違いない。つまり壊しに来たんだ、命の息吹が消えたこの世界を綺麗さっぱり」  顔が狂った歓喜に歪む。  右手で前髪を掻き上げ、悦に浸る。  緋彩には分からない。この世界が彼の仕業で作られたものならば、壊されたくないはずだから。   「それなら、ゲームをしよう!」  男は仰々しく、大袈裟に天を仰ぐ。  色褪せた空には風一つなく、鳥の一匹も飛んでいないのに、彼は愉快に両手を広げて告げる。 「ゲーム……だと?」 「そうさ。互いの全てを賭けたゲームだ! 君が負ければ、君の命とそこの天音(そらね)を貰う。もちろん、そうなればこの世界の破壊なんて叶わない」  男は血走った視線を二人に戻すと。  まるでゲームマスターのように語る。 「でもさ、いきなりボス戦はつまらない。あのビルにおいでよ。そこに仕掛けた試練を乗り越えれたら、この僕がボスとして立ちはだかるとしよう」  この大通りの突き当たり。  高くもなく、しかし低くもなく。  全面に貼られたガラスがモノクロの景色を反射して映している──普遍的なビルを指差す。 「ハッ、いいぜ。壊すこと(そっち)の方が俺は得意だからな。でも、わざわざビルを通る意味はなんだ?」  口で説得など出来ない。この、狂気を孕んだ言の葉は、男が例え意図していないとしても、まるで呪いのようなものであり、聞くだけでこちらの正気度が削れる。判断した緋彩はその案に乗り、得意分野で動くために質問を投げかける。 「ここでこの僕を殺したいってこと? 実に人らしく野蛮だねえ! 不快なもの、苦手なものをいつだって人は排除しようとする。話し合いの場を一つすら設けず、嫌いだ消えてくれの一点張り。譲り合いも話し合いも、全てが泡沫の夢なのさ」 「…………」 「そんな怒った顔をしないでよ? 意味はあるよ。褒美なしで人は動きにくいだろう? だからさ、その試練の中に、この世界を壊すためのヒントを仕込んである。それを超えていけば、必然的にこの世界の意味だとか知れるだろうねえ」  保証はどこにもありはしない。  常識的に考えれば、これは罠なのだから。  しかし、緋彩は殺人鬼やサイコパスではない。自らの目的より殺戮衝動を優先しない。この世界を壊すためには、この世界を知る必要がある── 「俺の都合に巻き込んですまねぇ。蒼月って言ったな? 俺に付き合ってもらえるか?」 「……ん、良いよ。追手が鬱陶しかったし」  いわゆる目的の一致だった。  蒼月は重力を感じさせない軽やかな着地で降り立って、緋彩に頷くと即座に電磁砲(レールガン)を構える。 「交渉成立だあ! 舞台の幕を上げようか!」  準備万端の二人を見てか。  男はバッと両腕を広げ。 「《月光と共に人形は踊る──」  その言葉を、狂気と共に紡いでいく。 「星々は夜空に絶望を謳う・コーラスは人命が散る叫び・さあさあ『世界』に証明しよう》」  蜃気楼のように、色のない空が。紡がれた狂気がそこを満たして── 「【人形たちの踊る絶望郷(ドールズワンダーランド)】ッ!」  遠くから聞こえる巨人の足音。それは緋彩が最初に殺したもののように、意志を持っていないわけではなかった。彼らは明確な殺意と狂気を持っている……否、男により。  それだけではない。埃だと思っていた砂のようなものが次々と人の形を成していく。先の巨人と違って人間サイズのため、それはまさに人形のよう。 「……『世界結界』だって⁉︎ そういうことか、どうりで『現人神』なんて単語を知ってるわけだ。あいつもあんな言動して、現人神ってことかよ」  緋彩は世界を塗り替えるようなこの感覚を知っている。結界と言われれば誰でも分かるだろう。  さらに噛み砕くなら一種の空間支配術、その結界内部に自らの思い描くものを強いることの出来るパワハラ魔法──通称『世界結界』。 「趣味の悪い空間(せかい)だな。巨人に至っては、丹精込めて魂込めやがって。隠し味は歪んだ性癖だろ。そんなゲテモノ料理人に丸め込まれてたまるかよ」  等身大の動く砂人形は、まさに無尽蔵。白い巨人に踏み潰された個体も直ぐに元通り。(うごめ)いてにじり寄る様は誰が見ても気色の悪い白波だった。 「面白いだろう? 社会の縮図みたいでさあ。誰もが何かの操り人形……ほら人形たちを見てご覧。頭部はあっても顔はないんだ。何かを識るための目も耳も鼻も口もなく──盲目的に、誰かに従って、惰性で『日常』とやらを生きる人間を上手く表現したと思わないかな?」 「きっと違う。盲目的に生きてたら、今の俺はない。失敗して、後悔してもなお、どうにかしたいって足掻いて悩んで苦しむのが、人間だろ」  緋彩にもう男と弁論する気はなかった。  それは真っ当な返答が得られないだろうと踏んでいたから──だが、男の決定的に人間を嘲笑う言葉が、今まで悩んで苦しんで生きてきた彼にとって、反論をしてしまうほど許し難いものだった。 「……緋彩、戦う?」 「当たり前だ。俺は人間代表なんかじゃねぇが、これだけ『人間』を馬鹿にされるのは癪だからな」  緋彩は身体の悪寒を怒りで振り払い、決まっているだろとばかりに問いかけた蒼月に答える。 「今度こそ、全部ぶっ壊してやるよ」
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