第一章 色褪せたセカイ

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 敵勢力が消え去って、緋彩が『世界結界』を解除したことで、景色はモノクロを取り戻している。  白と黒の色彩差によって全てが表現される街は、消しゴムで一撫ですれば何もかも消えてしまいそうなほど儚げで、完成された雰囲気が漂う。  赤髪の青年は、自分より一回り小さな白髪の少女と律儀に歩道を歩いていた。彼の目には様々な種類の自動車を──光の位置から推測して赤のままで止まった信号機が止めている様子が映る。  通学途中であろうバスも止まっている。  というか無機物も有機物も、時間が突然止まったかのように生活感を残して死んでいるのだ。  だから二人は急ぐ必要がなく、特に緋彩にいたっては用心深く情報を収集する必要があって、結果として歩きながら観察することにしていた。 (不思議極まりねぇが、やっぱりこの世界は──) 「──」  緋彩が、蒼月と並び歩きながら告げた。    まるで惑星(ほし)が空間だけを残して死んでいる、伝わりにくいかもしれないがそういった風情なのだ。  不思議な点こそあれど、一般的な言い方をするのであれば、『滅んだ世界』がぴったりだった。 「まあ、現実味はねぇよ。ただ、俺をここに送り込んだ依頼主の言ってた限りだとそうなるんだ」  彼は自分に依頼をした自称神様を思い浮かべる。  世界という大規模な話、神様という上位の観測者だからこそ分かる話といったところである。 「そして話には続きがある。この惑星は本来──」 「──『消滅』している。どうやら僕の言った事をちゃんと覚えていてくれたようだねぇ」  気安げで軽い口調の声が背後から響く。  振り返る緋彩の目が、暗い紫髪の男を捉えた。  紫がかった漆黒の執事服。  白い手袋がよりその漆黒を強調している。丁寧な服装なわりに、あるいは丁寧な服装だからか、滲み出る彼のが雰囲気を圧迫する。  ある哲学者の有名な言葉に『深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ』とあるけれど、彼にはまさにその深淵とやらが擬人化されたらこうだろうという深い雰囲気が漂っていた。 「……いつの間に」 「それは……いつの間にか、と答えよう」    刹那、青い光が蒼月の両腕に線を描くと。  フッと形作られ現れる電磁胞(レールガン)。それが、ちゃんと答えろとでも言うように男に向けられる。 「良くないよ、物騒だ。暴力による恐怖で制圧できるのは、人間という規格に収まったものだけだし」  意に介さず、男は緩やかに話す。  深層意識に溶け込んでしまいそうな声は、初対面の蒼月はもちろん、何度も顔を合わせている緋彩ですら慣れない不快感であり、鳥肌が立つ。 「蒼月、こいつの胡散臭さは下手な詐欺師より凄いが、さっき言ってた依頼主はこいつだ」  つまるところの依頼主(クライアント)だと緋彩は説明する。  彼はまだ納得いかずに眉を寄せて訝しむ蒼月に苦笑いをしてから、純粋な疑問を口にする。 「でも、どうしてわざわざ現場に出向いているんだ? この世界は俺に任されたはずなんだが」 「補足説明という野暮用さ。物語りに来たと言っても良い。物語は、世界観があって、そして理解されて初めて成立し得るものだからねぇ」  淀みのない口調で告げられるが緋彩にとって答えにならなかった──怪しげな男は首を傾げる彼の沈黙を肯定的に受け取って再度口を開く。 「さて、話をしよう。君たちは『シュレディンガーの猫』を知っているかい? 思考実験とは言うものの箱に閉じ込められた可哀想な猫のお話さ」 「……毒素が漏れてれば猫は死んで、漏れてなければ死なない、だから箱を開けて観測するまでその状態は決まらずに重なっているって理論?」 「惜しい、それはコペンハーゲン解釈だ。世間では夢のある理論として、本来の意味とは真逆に広まっているらしいけれど、シュレディンガーの猫は本来『そんなわけないだろ』って指摘した理論だよ」  男が言ったように。  状態が重なるなんてあり得ない──それは単純に観測者が中身を判断する情報が足りていないだけであって、実際は決定されるはずだろうと。 「惜しかったけど、飲み物を一本おごろう!」 「……分かった、イチゴオレで」 「その食いつき具合、気に入ったよ。さて、この話をした理由だけれど。世界の構造が否定されたコペンハーゲン解釈に似通っているからだねぇ」  男は物珍しげに色褪せた景色に目を輝かせ、周囲を見渡すと近くにあった木製のベンチに腰掛ける。 「……似通ってる?」 「そう! 『世界』はね、『観測者』がいないと不安定になって消失してしまうんだ。そうやって役目を終えた宇宙は順番に消え去っていくのさ」  だから、と一呼吸置いて。 「その世界を見る『観測者』であり、かつその世界を生きる存在……つまり人類が絶滅してしまったこの惑星(ほし)は、その未来(かのうせい)と共に死んでいるはずだ」 「……だから、消滅していないとおかしい?」 「そうだとも。さながら人が消え、サービス終了したゲームのように。だからこそ、同じゲームで例えるなら、この世界は状態であり、正しく終わらせなければならない状態に違いないのさ」  彼は証明終了と、満足げに微笑む。  どこか感動している──緋彩は彼に芸術品を見てはしゃぐ子どもの影を見た。しかし、それと同時に儚さを憂うような陰も見えた、気がした。
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