タブロイド

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5、  フィクションでは、探偵と警察の関係は良好とはいいかねる。大抵の探偵は、警官に会うと、減らず口のひとつでも叩くと相場が決まっている。  実際はそれほど仲が悪いわけではない。調査の過程で犯罪の気配があれば、即座に警察に通報するように会社からは言われている。依頼人のデータや証拠の提出など、たまに協力を求められることはあっても、探偵が警察に先んじて事件を解決することなどまずない。第一、そんな権限など、アントワーヌ市の探偵にはないのだ。  地下鉄(メトロ)をD線からB線に乗り換え、揺られること十数分。終点のラインヴァルト駅は、幾何学的な形状が多用された、洒落た構内の駅だった。警察署は、出口からすぐのところにあった。  アントワーヌ市警第五区パルドー署は、いつ見てもくたびれたスーツを連想させる、くすんだ灰色の建物だった。  欠伸をかみ殺している総合受付に黙礼をして、二階の刑事部を目指す。刑事部の受付には誰もいなかった。カウンターの向こうは、人がほとんど出払っている様子である。部屋の奥で、きみと同年輩の警官がパソコンに向かいせっせと書類作りに励んでいる。 「すみません」  カウンター越しに、丸刈りの警官に話しかける。警官はこちらを一瞥すると、手を止めてやってきた。 「ヴィコ刑事はいらっしゃいますか」  丸刈りは振り返って、壁のホワイト・ボードを確認した。各人の外出先が書き込まれている。きみが覗き込もうとすると、男は嫌そうな顔をして、間に割って入った。ヴィコは署内にいるようだった。 「呼び出してみるから、待っていてください。そちらは?」 「ブライチャートと言います。バズ・ブライチャート。一月前の事件のことで伺いたいことがありまして」 「記者(ブンヤ)さん?」 「いえ、探偵です。ヴィコ刑事もご存知ですよ」  応接スペースのソファに腰掛ける。警官はインターホンを取って、どこかへ連絡している。“ギャング団(アイヤール)追放! 明るく安全なまちづくり”とか“交通安全月間スタート”という文字の躍るポスターを眺めていると、後ろから野太い声がふってきた。 「バカヤロウ、なんの用だ」  不機嫌極まりない表情で、ヴィコが立っていた。  パルドー署強盗殺人課刑事ヴィコは、丁寧に撫でつけた口髭、四角い顔に、厳つい身体つきのアフリカ系男性である。彼とは以前、とある失踪人捜しのときに協力したことがあった。  過去に幾度か、マザラン支局長に助けられた経緯があるので、リヴィングストンの頼みは断り辛いのだと、支局長本人から聞いた。知らないと怒っているようなご面相だが、これが常態のようだ。ちなみに今の科白を翻訳すると「こんにちは。ご機嫌いかがですか」になる。 「ちょっとききたい事があって。ある武装強盗の件なんですが」 「どの武装強盗だ? そんなモンそこら中で叩き売りしてるぞ?」  ごもっとも。そこできみは小声で、事件の被害者名と日時を告げた。被害者の名前を聞いただけで、ヴィコは何かを察したようだった。 「俺は担当じゃねえぞ」 「分かってます。知っていることだけでも、教えて欲しいんです」  そう言ってきみは、手持ちの包みをそっと上げてみせた。第三区の有名パティスリー『リシャール』の紙袋だった。  ヴィコの細い眉が、ピクリと跳ね上がった。こう見えてこの男は大の甘党なのだ。しかし気後れするのか、パティスリーに併設された喫茶(サロン・ド・テ)をいつも利用できないらしい。 「……待ってろ」  難しい顔で頭を巡らす。ヴィコの上司アーツ警部補はエリートで能吏だが、融通が利かない。探偵に捜査内容を話したと知られたら、どんな処分をくれるか分かったものではない。  ヴィコはきみを、右手奥の取調室へ促した。  室内は狭く、テーブルが一脚とイスが二つあるきりだった。ヴィコはきみにイスを勧めると、無言で手を差し出す。きみは包みを渡した。それを恭しく掲げて、ヴィコは出ていった。わざわざ遠回りして、一日限定100個のショコラを手に入れた甲斐があった。  取調室は、一人でいても圧迫感のある部屋だった。やましいことがあるわけではないのに、何故か後ろめたいような気持ちになる。きみがもぞもぞと尻を動かしていると、静かにドアが開いた。ヴィコは脇に幾つかのファイルを抱えながら、危なっかしい手つきでコーヒーの紙カップを差し出した。悪くない待遇だ。スイーツ万歳。 「事件を知っているようですね」  カップを受け取りながら、きみは切り出した。 「有名なんだよ、あの奥さんは」  きみはコーヒーを啜りながら、ヴィコの言葉に耳を傾ける。ベリルの話の通り、ジュリー・バローは、捜査についてかなり頻繁に、警察に問い合わせをしているようだ。  刑事は一人で何件もの事件を抱えている。毎度同じ話を繰り返させられている担当のハンロンとアップヒルは、相当頭にきているとのことだった。ただ、ヴィコの奥歯にものが挟まったような物言いからして、両刑事がさほどバロー事件に力を入れていないのもまた事実のようだ。 「それで、実際のところどうなんです、進展具合は?」  良くはないらしい、とヴィコはファイルをめくりながら話し始めた。相変わらず紙ベースなところが、いかにもお役所っぽい。  リュシアン・バローが撃たれたのは先月十一月七日の午後十一時十七分。リュシアンは市立古代文明博物館の職員で、三十五歳。妻のジュリー・バローは三十二歳。結婚は三年前。子どもはいない。近所でも評判のおしどり夫婦(アン・メナジュ・ユニ)だ。  その日は取り立てて代わり映えのない、ありふれた一日だった。夫のリュシアンは午後八時過ぎに帰宅、妻とともに夕食をとった。二人きりの家族のため、食事はなるだけ一緒にとるのが決まりだった。  午後十時五十五分。リュシアンはタバコを切らしていることをジュリーに告げた。  十一時過ぎ、ニュース番組を観終ったリュシアンは、近所の無人店舗(U・S)に行くといって出て行った。ジュリーは、ついでに台所用洗剤を買ってくるように夫に頼んだ。夫婦の住まいは第五区ヴァレイン地区の一戸建てだ。ラインヴァルト駅から徒歩十五分。元々はリュシアンの両親の持ち家だった。  十一時十四分、リュシアンが店内に入ってくる姿を、店の防犯カメラが捉えている。  店はバロー家から徒歩五分余り。途中の目撃者はゼロだが、店に現れたタイミングから、寄り道せずに店に到着したと推測される。店内の防犯カメラは五台。以下は、防犯カメラに映っていた内容だ。  店内に入ったリュシアンはまず、ためらいなく、タバコのコーナーの前に立った。何度も買いに来ていて、場所を覚えているのだろう。気に入りの銘柄を一カートン手にとって、次に洗剤を探し始める。こちらはあまり縁がないからだろう、店内をうろうろとしている。  リュシアンが店の入り口付近を通りかかったとき、入り口の自動ドアが開いて、人影が店内に入ってきた。人影は、黒い目出し帽に黒っぽいブルゾン姿。その人物はリュシアンを見つけて近寄ると、拳銃を突きつけ、いきなり発砲した。続いて店内の棚に次々に発砲し破壊。値の張る電子機器などの商品を、持ち込んだショッピングバッグに放り込んで退散した。 「犯人は、どうやって店に入ったんですか?」  無人店舗(U・S)にも色々なタイプの店があるが、当該店舗はセキュリティのため、入店時にアプリを起動させ、入口の機械で個人認証されると扉が解錠される仕組みだった。買い物客は、電子タグ付きの品物を持って店の外に出ると、アプリに紐付けされた口座で自動的に清算される。つまり犯人を特定できるのでは、と素人考えできみは思った。ヴィコは、きみの頭の中などお見通しとばかりに、鼻を鳴らした。 「もちろん真っ先に調べたさ。携帯電話はプリペイド式。IDは架空の人間だった」  警察の現場到着は、記録によれば、午後十一時二十六分。事件発生から八分後だ。その時には犯人の姿は影も形もなかった。つまり犯人は、五分ほど品物を漁って逃走したことになる。 「被害金額は、およそ三百ユーロ(EUR)(約三万八千円)」  それっぱかりのために被害者は命を落としたのか、ときみは憂鬱な気持ちになる。 「警察は故買屋関係を当たったが、引っ掛からなかった。その後も引き続き確認してはいるが盗品が動いた形跡はない」 「犯人は一人?」 「カメラに映っていたのは一人だが、断定はできん。外に共犯がいた可能性もある」 「ふむ。誰か姿を見た人間は?」 「目撃者という目撃者は、見つかっていないらしい。いや……」ヴィコがページを進めた。「近所の主婦が、ちょうどその時刻、現場から立ち去る自動車の音を聞いているな」 「聞いただけ?」 「ああ。その主婦は家の中で聞いたんだ。店の真裏の家でね。だから車種、色、一切見てない。もちろん人数もだ」 「頼りないですね。本当にそれだけしか、目撃者は出なかったんですか」  みたいだな、とヴィコは素っ気なく言い放った。ピンと来た。ヴィコは基本的に嘘のつけない人間だ。それはおそらく刑事としては致命的な欠点なのだろうが、反面、人格的に憎めない点でもある。 「本当に、しらみつぶしに当たったんですか?」 「……どういう意味だ」 「いや、初動捜査報告書と追加報告書の日付が、かなり空いているようなので」  おっと、とヴィコが慌てて手元のファイルを隠した。赤らんだ顔がきみを睨みつける。きみはにっこりと笑ってみせた。ヴィコの顔から徐々に赤みが引いていった。こいつはオフレコにしろ、と呟いた。 「実は……捜査の出だしで多少、遅れが出たのは事実だ」 「ほほう?」 「十一月八日、という日付に覚えはないか」  事件の翌日だ。はて、なにかあったろうか。きみは首をかしげる。  ヴィコは苛立ったように説明した。「例の司祭の事件だ」  あーあ、ときみは声を挙げた。さすがにその事件のことは覚えていた。  ひと月前、アントワーヌのメディアを席捲した、〈アンリ・ニエマンス司祭殺害事件〉ーー誰が呼んだか、通称〈血の風車(ル・ムーラン・サングラン)事件〉だ。  十一月八日の早朝、日課の掃除をするために五区サン・ジャン教会を訪れた老人が〈それ〉を発見した。サン・ジャン教会は、歴史は古いものの、こぢんまりとした造りの小さな教会だった。地元民しか訪れない下町のありふれた教会である。住んでいるのは司祭のニエマンス氏一人で、彼が細々とそこを守っている。老人はいわばボランティアで掃除などの作業をかって出ているのだ。  〈それ〉は、信徒席の連なる身廊と短い袖廊が十字に交差するところの床に並べられていた。バラバラに切断されたニエマンス司祭の手足が、三脚巴紋(トリスケリオン)を形作っていた。中心に胴体が置かれ、そこを結合部として各々一二〇度の角度で枝分かれした三つの屈曲した線(二本は脚、一本は両腕で表現されている)が外に向かって広がっていた。  アントワーヌ史上、最悪の猟奇殺人が発覚した瞬間だった。 「バローの方は発生が深夜だったから、周辺への聞き込みは翌日に回された。ところがそこへあの騒ぎだ。いち早くマスコミが嗅ぎつけてくれたお陰で、お偉方たちはすっかり舞い上がっちまったってわけだ」  マスコミに取り上げられるような大きな事件となれば、どうしても力が入る。本来、バロー事件の聞き込みに回るはずだったハンロン刑事とアップヒル刑事が、急遽ニエマンス事件の人員として借り出された。そのため、最も重要とされる始めの数日の捜査が、中途半端に終わったことは想像に難くない。 「でもーーあの事件は、こちらの管轄じゃなかったのでは?」 「ああ。だがすぐ隣のエリアだ。おまけに現場のある場所が、ちょうど境界辺りなんだよ」  迷惑そうに言う。二つの管轄区域の司法刑事局が角を突き合わせて捜査に当たっているのだ。捜査員たちのストレスも溜まったことだろう。 「ううんーー。ではそれはそれとして、証拠品は? ゼロというわけではないんでしょう?」  きみは強盗事件に話を戻した。ヴィコは、別のファイルを取って開いた。証拠リストだろう。 「防犯カメラの動画データ。銃弾が十五発。店内に付着していた指紋が数えきれないほど。毛髪が何十本。床の血痕」 「それだけ?」  ヴィコがまた鼻を鳴らした。 「防犯カメラの映像から、拳銃はセミオートマチックで、弾丸は9x19mmパラベラム弾。ライフルマークを照合したところ、前科はなかった。たぶんコピー品じゃない」  最近の強盗はいい銃を持っているからな、とヴィコは顔をしかめた。 「店内の遺留指紋は多すぎるし不完全で同定は出来ない。同定出来た指紋は、無人店舗(U・S)管理会社職員のものだと判明している。今どき、指紋なぞ残してく間抜けな犯罪者はいないな。髪の毛から分かっていることはない。血痕はリュシアンのものだけ。つまりーー」  犯人は、証拠を何ひとつ、残していかなかったということになる。 「ビデオを解析して、店内との比較から、犯人の身長は五・七フィート前後と考えられる。体格からして、ほぼ男に間違いないだろう」  ふう、ときみはため息をつく。こいつは確かにやっかいだ。どこから手をつけてよいやら、皆目見当がつかない。 「動画データは見せて……もらえるわけないですよね……」  ヴィコが当たり前だ、という仕草で眉尻を上げる。きみも期待してはいなかった。 「動画なら俺も観た。デカ部屋のモニターに映してたときに、覗いたんだ」 「何か気がついたことはありましたか」 「特におかしなところはなかった。ただ……」ヴィコは、難しい顔になった。 「ただ?」 「どうもすっきりしない」  きみは目顔で促した。ヴィコは決して、無能な刑事ではない。こういうときのプロの勘は拝聴すべきだと、きみは知っている。 「まずは侵入のタイミングだ。強盗はバローが店に入ってから、三分後に現れてるんだが……現場の無人店舗(U・S)は上層にオフィスの乗っかっているビルでな。目の前に駐車場があるが、深夜なのでオフィスの車はなかった。つまり見通しが利いたんだ。ならば、どうして強盗はわざわざ人がいるときに現れたのか?」 「バロー氏が中に入ってから、現場に着いたのでは?」 「そうかもしれない。あるいは、人がいようといまいと関係なく、殺してしまえばいいと考えていたのかもしれない。そこら辺は分からんな。次に、強盗は侵入するなりバローを殺してるんだが、これがじつに素早い。まったく躊躇せず、即死させている。このことからも、犯人が常習的な犯罪者であるような感触を受ける。偽造IDを使って侵入した手際も滑らかなものだ。下調べをした気配さえある。ところがーー」  ヴィコはそこで、コーヒーに口をつけた。 「その後の商品強奪はどうだ。ショーケースをめったやたらに破壊した挙げ句、大して金になりそうもない品物をチマチマ奪って退散している。まるで素人だ」  ふむ、ときみは頷いた。言われてみれば、ちぐはぐな印象といえなくもない。 「手口捜査(M・O)はどうでした?」 「同様の強盗事件がないか、過去の事件を洗っているが……どうもうまくないらしい」  目出し帽、拳銃、無人店舗(U・S)……似たような要素を持つ事件など、山ほどあるのだろう。中には、たまたま銃を手に入れたから思いつきで強盗をした、なんて連中もいるのだから。 「では、まったくお手上げ?」 「いまのところはな。まあこの先、当たるとすれば、武装強盗の前科者リスト、あとはギャング団(アイヤール)くらいかな。最近はかなり凶悪なのもいるらしいからな」  アントワーヌに存在するギャング団(アイヤール)の数は、推定で大小あわせて三〇。この地区だけでも、主だったところで五つを数え、規模は数人単位から、一〇〇人規模まであるといわれている。  中でも最悪なのが〈マーリド〉というコードで呼ばれるチームだ。〈マーリド〉は妖霊(ジンニー)の五階級に由来し、第一階層(ファースト・ヒエラルキー)を意味する。ギャングといえども、チーム間に一定の秩序や仁義を持っているものだが、〈マーリド〉はそれにすら従わないハネっ返りだ。  縄張りを無視した恐喝、強盗、盗品サバキは言うに及ばず、輪姦、監禁、中には売人を襲ってクスリを強奪したり、自前で売春の斡旋をしたりと、公然とマフィア(メジャーリーグ)に喧嘩を売るのまでいるらしい。ヴィコは言う。 「本部には、〈マーリド〉各チームのシンボルマークを収めた、データベースまであるって話だ」 「へえ」 「あいつらは、自分達の車や身体のどこかに、必ずチームのシンボルが入ってる。で、街で気に入らないチームのシンボルを見掛けると、見境なく突っ込んでいく」 「ニンジンを見た馬みたいに?」 「赤いマントを見た牛みたいに」  ため息をついた。そんな奴らが事件に関わっている可能性があるのか。きみはまたひとつ気が重くなった。
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