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第一章『苦痛無き死を求めて』
その年は、歴史上稀にみる大不況で、自殺率が近年でも高い年になった。ウェルテル効果ってやつだっけ?
有名人の自殺がテレビで報道されるたび、僕は「すごいなあ…」と、彼らのテロップ写真に羨望の眼差しを向けた。すごいや、首を吊ったり、手首を斬ったり、毒を呑んだり、身を投げたり…。痛くないのか? 寿命を全うしない限り、死ぬことに苦痛が伴うのは、簡単に予想ができた。
黴臭いアパートの部屋の中で、自分の手首を見る。綺麗な手首だ。それから、壁に掛けられたカレンダーに視線を移す。
死のうと決意した日から、はや半年。
この間、「死のう」と何度も思いながら、結局死ぬことができなかった僕は、今日、やっと「楽に死ぬ方法」を実践できることに、浮足立つような気分だった。
深夜勤や内職でちまちまと溜めたバイト代を全額下ろし、財布に二十数万円を携えると、バイクに股がり、隣町のある店に向かった。
僕が辿り着いたのは、路地裏にひっそりと佇む、「悪魔の店」だった。
建付けの悪い引き戸を開けた中は、コンビニ程度の広さで、両壁に暗幕が張られている。薄暗く、照明は燭台に灯されたろうそくのみ。中央の受付らしきカウンターに、黒いマントを羽織った女性が眠たげに「いらっしゃいませ」と言った。
僕は声を上ずらせながら受付の女性に聞いた。
「ここは…、悪魔を売っている店ですか?」
挙動不審の僕に対し、女性はにこっと微笑んだ。
「はい。そうですよ。悪魔…、お買い求めになりますか?」
胸に「笹倉」とプリントがされた名札を着けていた。
「はい」
「では、こちらにどうぞ」
僕は女性に促されて。受付の隣にあった椅子に彼女と向かい合って座った。一応、薄い壁で両端を囲まれているものの、ここでの会話は、外に筒抜けだろう。
「大丈夫ですよ。普段、悪魔を買うような人なんて滅多に来ないので」
「まあ、そうですよね」
心を読まれたみたいで、なんだか薄気味悪かった。
受付の女性は、燭台を傍に寄せると、机の上に書類らしきものを置いた。
「私は、バイヤーの『笹倉』と言います。どうぞよろしくお願いします」
「あ、はい…、柏木結城です」
「かしわぎゆうきさんですね」
書類の顧客の名前欄に、僕の名前を書く女性。
「柏木さん。当店のご利用誠にありがとうございます。当店をご利用するにあたってですが…、悪魔の性質は十分に理解されていますか?」
「まあ、ちょっとは…」
僕は、この店に入る前に、リサイクルショップの店員から聞いた「うわさ」を聞いたままに説明した。
「ここで、悪魔を買って契約することが出来るんですよね。そして、悪魔は僕の願い事を叶えてくれる」
「はい、その通りでございます」
女性はにこやかに頷いた。
「補足ですが、当店で、金券は使用できません」
「え…」
ジーパンのポケットに入れていた財布の中の二十万が意味を失くした瞬間だった。
「お金…、いらないんですか?」
「はい。当店では、全て『魂』で支払ってもらっております」
「魂で?」
オレが困惑しているのを見て、女性は口元に手を当てて上品にほほ笑んだ。
「少し勘違いされるお客様が多いのですよ。悪魔との契約はギブアンドテイクになっております。悪魔は、お客様の願いをかなえるために、お客様の魂を喰らいます。お客様は悪魔に願いを叶えてもらうために、自分の魂を悪魔に食らわせるのです。これで公平な契約ですよね」
「はい」
「もちろん、例外はありますよ? 稀なケースとして、子供を持つ親が、子供の魂を代わりに捧げたり、大昔では、奴隷の魂を捧げる貴族だっていました。まあ、今の時代、そんな倫理に欠けたことをする人は滅多にいませんが…」
基本的に、お支払いは自分の魂で。ってことか。なるほど、問題は無い。
「悪魔は現世で買い物なんてしませんから、お金なんて必要ないんですよ。必要なのは、人間の魂だけです」
「そうですか…」
確かに、金もとられて、魂も取られたら、それは二重取りに区分されるのだろう。
「わかりました…」
「よろしいですか?」
つまり、「悪魔に魂を売ってもよろしいか?」の確認だった。
僕は迷うことなく頷いた。
「はい。お願いします」
「では、『魂の対価』を測らせてもらいますね」
そう言って、女性は黒マントの内側に手を入れて、何やら錆びついた天秤のようなものを取り出した。
「なんですか? それ」
「魂の重さを測るためのものです」
「魂の重さ?」
魂に重さなんてあるのか?
「物理的な重さではありません」
まるで僕の心を見透かしたように言う。
「人間の魂には『重さ』…、つまり『価値』があります」
心臓がどきりとした。
「素晴らしい人生を歩んできた者…、例えば、人助けをした。とか、人を笑顔にした人。後は、優秀な企業に進学したり、一生のうちに多くの財を成したり…、そう言った人間の魂には、『価値』が生まれます」
「価値があると、どうなるんですか?」
女性は天秤の受け皿を弄りながらはっきりと言った。
「悪魔が好みます」
「じゃあ、価値が無いと?」
「悪魔は好みません」
天秤の操作を終えた女性は、僕の目の前にそれを置いた。台は、少し揺らめいた後、ピタッと止まった。
「悪魔には種類があります。『上級悪魔』。『中級悪魔』。そして、『下級悪魔』」
「わかります」
「契約はギブアンドテイクでなければなりませんから…、当店では、人間の魂の『価値』に見合った悪魔と契約してもらうんです。価値のある魂には上級悪魔が与えられ、価値のない魂には下級悪魔が与えられます。当然のごとく、上級悪魔と下級悪魔には、叶えられる願いとかなえられない願いが現れます。割合的に言えば…、中級悪魔と契約される方が多いですね」
つまり、彼女が出してきたこの天秤は、僕の魂の価値を測るための道具ということか。
「なんか、変な話ですよね」
不意にそんな言葉が洩れた。
「どういうことですか?」
女性はにこやかに首を傾げる。
僕は女性の顔から視線を落として、錆びついた天秤を見ながら言った。
「だってそうでしょう。普通、価値のある魂…、つまり、人生が充実している人間が悪魔に願いなんてかなえてもらおうとしますか?」
「どうでしょう?」
「悪魔に願い事を叶えてもらおうとするのは、僕みたいな、魂に価値の無い人間ですよ」
そう言った瞬間、女性の唇がぴくっと動いた。彼女も察しているようだ。こんな、変な機械を使わずとも、僕という人間の魂に何の価値も無い。ということに。
「では、実際に測っていきますね」
まるではぐらかすように、女性は傍に置いてあった燭台の火に手を伸ばした。すると、火が生きているかのように蠢き、形を大きくして浮かび上がった。赤、青、緑。まるで花火のように色を変えながら、火は宙を漂い、天秤の右の台に乗っかった。
「あなたの魂も、失礼します」
僕の心臓部に手を伸ばす。奇妙な感覚に襲われた。心臓が陸に上がった魚のように激しく暴れ始め、体中から冷や汗がどっと噴き出す。腰椎から脊椎にかけてを大きなムカデが這うみたいな感触が駆け抜ける。そして、明転したときのように、意識が途切れた。
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