第二章『グッバイファーザー』

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「最初から貧乏ってわけじゃなかった。この町じゃ、五本の指に入る金持ちだった。だけど、僕の親父の道楽で全部消えてしまったんだ…」 「ギャンブルが好きな人だったのですか?」 「いいや。そういうわけじゃない。親不孝な親父だよ。二浪して三流の私立大学に行って…、四年間バンド活動で遊び惚けて…、就職したと思えば、結婚して…、頭金が無いのに立派な一軒家を買った。でも、すぐに離婚して…、親権争いで、二年間も裁判に金を使って…。その全部を、親父の親、つまり僕のじいちゃんばあちゃんに払わせた。当然、勘当されて…、僕と、あと、姉を引き取ったはいいものの、満足に飯も食べさせてくれなかった」  改めて、僕の父親がやってきたことを声に出して並べると、腹の底で眠っていた蟲が動き出すような感覚になった。ふと、悪魔の反応が気になって、僕の半歩後ろを行く彼女の表情を伺っていた。  悪魔の少女は、相変わらず能面のような顔で僕の話を聞いていた。 「今の話を聞いて、どう思った?」 「何も思いません」 「そうか」 「安心してください。御父様が『あなたを苦しめた』ということは理解できました」  感じたのではなくて、「理解した」のか。  五分ほど歩いて、僕と悪魔は父親の暮らしているアパートの前に立っていた。 「アパートですか…。御父様が買った一軒家には住んでいないのですね」 「ああ。一軒家は、広島の山の中に建っている。学校も病院も、何も無いところさ。『田舎でのびのびと暮らしたい』と思っていたらしいけど…、僕のことも考えてほしいよな」  山の中に家を建てたから、雪が降れば外界と隔絶される。病院もスーパーも近くに無いし、夏になれば猛獣が出るような場所だ。当然一年と住むことができず、四十年近いローンを残して出ていくはめになった。  僕はアパートの敷地内に足を踏み入れた。 「今も、親父は、誰も住んでいない家にローンを払い続けているよ…」  僕は迷うことなく、コンクリートの階段を上って親父の住んでいる部屋に向かった。 「ここだよ」  二階の、二〇一号室の煤けた扉の前に立つ。  数年ぶりに帰ってきたが、相変わらずだ。日当たりが悪くてカビっぽい臭いが建物全体に染み付いて、人生が上手くいっていない者たちの、目には見えない陰鬱な空気が漂っていた。  扉の小窓から、薄明かりが洩れている。 「まだ起きているのか…、どうせ酒だろうな」  僕は、インターフォンを押した。  耳を済ませると、扉の奥で「キンコン」と甲高い電子音が聞こえた。 「御父様は、お酒を飲まれるのですか?」 「昔は飲んでなかった。結構、気高い人だったからな。だけど、最近は自覚したらしい。『自分は負け組の男』ってことが」  そして、僕も負け組だ。  さらに続けてインターフォンを押す。連打してやった。キンコンキンコンキンコンキンコンと、部屋の奥で鳴った。 ごとりと動く気配がして、足音が扉に近づいてくる。ガチャっと鍵が開閉する音がして、扉は化け物の悲鳴のような音を立てて開いた。  扉の隙間から、酒で顔を赤らめた父親が顔を出した。  太ったな。  最初に抱いたのは、そんな感想だった。
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