第四章『誰が幸せだって?』

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 七枚目のクッキーを齧ろうとしたとき、全身真っ赤に染まった朱里が公園に入ってきた。 「おかえり」 「クッキーを食べながら言われるのはなかなか癪に障りますね」 「ほら」  僕はクッキーを箱ごと朱里に放り投げた。朱里は一度は受け取ったものの、眉間に皺を寄せてから突き返してきた。 「今は要りません」 「ああ、そう」  僕は駐輪場に移動すると、バイクのエンジンを掛けた。 「ほら、帰るぞ」  ハンドルに引っ掛けていた朱里の分のヘルメットを掴むと、これも彼女に放り投げる。  受け取った朱里は、ふっとため息をついた。 「私、疲れているんですよ。さっきの人、なかなか身体が大きくて…、いたぶって殺す余裕が無いほどに暴れてくれたんですから…」 「どんな殺し方をしたんだ?」 「四肢の腱を切りました。身動きを封じてから、少しずつ切り刻もうとしたんですが…、暴れられて…、心臓部を刺したんですけど、胸筋がなかなかに厚く…」 「いや、殺してくれたのならいいよ」 「なまじ屈強だったので、すぐには死にませんでした。結果的に、苦しみながら死んだでしょうね?」 「奥さんには手を出していないだろうな?」  念を押すように聞くと、朱里は目をぱちくりとさせた。  僕は不安になって聞いた。 「もしかして、奥さんも殺したのか?」 「いえ。殺していません。卒倒してましたから」 「そうか…」  そりゃそうだよな。目の前で、愛する夫が体中から血を噴出しながら倒れるのだから。  ほっと息を吐く。  朱里の髪の毛は、高坂の血がこびりつき、既に赤黒く固まり始めていた。彼女は顔を顰めながらその上にヘルメットを被る。僕がバイクに跨ると、血まみれの身体で寄ってきて、後ろに跨った。 「でも、意外です」 「何が?」 「柏木さんに、そういう分別があるとは思いませんでした。悪魔と契約した人間って、段々と自分に酔っていくんですよ。願いがかなえられるのは悪魔の力なのに、さも自分の力だと思い込んで、傲慢になっていきます。その分、あなたは契約したルールの中で私に銘じてくれますから、随分と楽な相手ですよ」 「光栄だな」 僕は帰路に着くために、ゆっくりとバイクを発進させた。 「分別は、元からあるさ。『自分に危害を加える人間は許さない』『危害を加えない人間とは関わらない』。それを信条にしているだけさ」 「関わらないのですか?」 「関わらない」 「どうして?」 「僕と一緒にいたって、不快な気分になるだけさ…」 「不快…」 「お前だって嫌な気持ちだろ。こんな価値の無い魂を持つ男と契約をさせられて…、私怨だけで人を殺させられるんだ」 「まあ、そうですね。ですが、契約なので」  契約。この一言で私情を切り捨ててしまう彼女の図太さに、僕が契約するまでに漠然と抱いていた、悪魔の「冷たさ」を感じた。こいつ、女の皮を被っているけど、やっぱり悪魔なんだな…。  僕は「そうか」と頷くと、前を向き直った。住宅街は閑散として、サイレンの一つも聞こえない。山から吹き下ろす風は容赦なく僕の身体に降りかかった。下唇に電気が駆けるような痛みが走ったので、ぺろりと舐めた。舌先に、ほのかに鉄の味。  水銀でも注射されたみたいに、頭がぐらぐらと痛んだ。  早く帰って寝よう。  僕はバイクのスピードを上げる。朱里が何か言ったが、風とエンジンの音にかき消された。
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