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その瞬間、母さんが扉を勢いよく開け放って、僕の汗と泥で汚れた身体を力強く抱きしめた。
不意を突かれて、僕は舌先まで出ていた言葉を、また、胃の底にまで呑み込んでしまった。
母さんが、僕の名を呼ぶ。
途端に、爆発するように鳴き始める母さん。「ごめんなさい」と、「どうしたのよ」と、「会いたかった」の言葉を、まるで壊れたレコードのように叫び続けた。
お隣さんが、何事かと、扉を半分開けてこちらを見ていた。
母さんはそれでも、わんわんと泣きじゃくった。顔を真っ赤にして、目からは大粒の涙が零れ落ちる。みっともなく鼻水やら涎やらが流れ落ち、僕の制服の肩辺りを汚した。
辟易した。これじゃ、責められない。この状況で罵声罵倒を浴びせてみろ。僕は悪役だ。
僕はため息交じりに、隠し持った言葉のナイフを、そっと引っ込めた。
そして、小さな子供のように泣く母さんを宥めるために、即興で作った、こんな言葉を口にしていた。
「母さんに、会いに来たんだ」と。
気に触れて、僕たちに虐待を繰り返したあの頃の母さんの姿は見る影もなかった。当たり前のことか。別れて、十年近く経っているんだ。育児ノイローゼは完治し、今では、立派に身の回りのことをこなせるようになっていたのだ。
母さんは僕を部屋に招き入れて、泣きながら、「会いたかった」「酷いことしてごめんね」「今日はどうしたの?」と続けざまに言った。
それから、少しだけ怒られた。「ここに来ちゃダメでしょ?」と。
これは僕も知らなかったことだが、裁判所から接近禁止命令が出ていたようだ。
それでも、母さんは僕をすぐに突き返すようなことはせず、温かいココアと、甘い茶菓子を出してくれた。甘いものを食べるのは久しぶりで、僕はココアを噛むようにして飲んだ。
僕は、落ち着いた母さんに恨み言を言った。
生活に困窮している。修学旅行に行けなかった。それを周りに馬鹿にされた。
一応、「母さんのせいじゃないってことはわかっている」と付け加えたのだが、母さんは、それを真剣なまなざしで聞いて、それからまた、「ごめんなさい」と泣いた。
「全部、私が悪いのよ」
悪いのは確かにそうだった。だけど、こんなに申し訳なさそうな顔をしている彼女を、僕はどうしても責めることができなかった。
母さんは、部屋の隅にある箪笥に歩いていき、緑色の通帳を持って戻ってきた。
残高を見せられた僕は、驚愕した。
百万円、あった。
「あの人から送られてくる生活費を、少しずつためてきたの。あなたや、お姉ちゃんがいつか大学に行くときに、使ってあげようと思ってね…」
僕の胃の中に溜めっていた母さんへの鬱憤や、鼓膜の辺りにこびり付いていた父親の恨み節は、綺麗さっぱり消え失せた。
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