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母さんと一通り話を終えた頃には、外はカーテンでも下ろしたみたいに暗くなっていた。
僕はすぐに帰ろうとしたのだが、笑える話、財布に金が無いことに気が付いた。怒りに任せてここに来たため、帰りの運賃のことを考慮していなかったのだ。
母さんは、また、「ごめんなさいね」と言って、僕に電車代を含む五千円をくれた。
「もう、ここに来ちゃだめよ? 私が悪者になっちゃうの」
その時は、「うん」と力強く頷いたが、それからも僕は、休みの日や小遣いをもらった日を利用して、母さんの家を訪ねるようになった。別に、母さんの金に期待していたわけじゃない。
僕が扉の前に立っていると、母さんはいつも困ったような顔をして、でも、拒むことはせず、部屋に上げてくれた。
寒い日は暖かいものを一緒に食べて、暑い日は、よく冷やしたものを向かい合って食べた。
少し僕の顔色が違っただけで、母さんは「大丈夫?」と気にかけ、もし熱があると、この世の終わりみたいに慌てていた。余計な心配を掛けたくなかったので、額の傷や、腕の煙草の焼き痕、その他の擦り傷切り傷は、必死になって隠した。もしかしたら、気づかれていたのかもしれないけど。
母さんも、父親も、両方いい親ではないことはわかっていた。
父親が見境なく結婚しなければ、家を買わなければ。母さんが育児ノイローゼにならなければ、僕たちを虐待しなければ。そう考えるのは日常茶飯事だった。
だけど、母さんと父親には、明らかな違いがあった。
言葉で説明するのは少し難しいな…、しいて言うなら、温もりだろうか?
父親の僕に対する態度は、どこか無機質だったのだ。「学際の会費で金がかかる」。と言えば、苦虫を嚙み潰したような顔をして、僕に黙って金を渡す。入学式や卒業式があっても、「行ってこい」というだけで、本人は来ない。対して、母さんは、「そうなの!」「どうだった?」「観にいけなくてごめんね」と、感情を表面に出して、身振り手振りで僕を会話をした。あの小さなアパートで母さんと話している時は、周りの空気がやんわりとかすんで、部屋の気温が一度上がるような気がした。
父親と母さんの違い。この違いこそが、「愛情の差」であることに気が付いた。
マザコンなんて言われるかもしれないけど、僕は母さんが大好きだった。
母さんも、僕のことを愛してくれていた。幼い頃、僕や姉さんにした酷いことの埋め合わせをするように、溢れんばかりの愛情を僕に注いでくれた。
料理の仕方を教えてくれたのは母さんだった。と言っても、あの人も上手く作ることができなかった。だから、二人で料理本を眺めながら、簡単なものから作ったりした。最初に作った野菜炒めは塩分が強くて、何度も水を呑んだ憶えがある。
あの頃は、楽しかった。
例え、どれだけ学校で殴られ、蹴られ、蔑まれても、僕はどこか余裕の表情でそれを耐えることができた。それが、奴らには「気持ち悪い」と思われ、余計暴力を振われることになるのだが。
楽しかったよ。
楽しかったんだ。
過去形だ。
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