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「じゃあ、契約解除だ」
「それも無理です。契約書に書いていたでしょう? 契約の解除は、悪魔にしかすることができません。今のところ、私に契約を解除する気はまったくありません。あらかじめ言っておきますが、願い事で『契約を解除してくれ』というのも無理ですよ? 解除するにしても、あなたは『契約の力』と使っているのですから。これも立派な契約違反になります」
「じゃあ、僕はどうすればいいんだよ!」
淡々という少女に苛立ちを覚えた僕は、思わず声を荒げていた。
少女は虚ろな目を少し細めて、「簡単なことじゃないですか」と、僕の応用の悪さを非難した。
「願い事を三つ、私に言ってくださればいいんですよ」
「三つ叶えてくれたら、僕は死ねるのか?」
「仮。ですが、あなたの魂はすでに私が所持しているようなものです。なので、『死ねる』は少し語弊がありますね。ですが、言いたいことはわかります。三つの願いを叶え、契約期間の半年が経過次第、あなたの身体から魂が抜かれるのであなたは死ぬんでしょうね」
「よし。わかった。じゃあ、ジュースを買ってきてくれ。パンを買ってきてくれ。新聞受けに溜まった新聞を取ってきてくれ」
これで三つの願いだ。
僕が「これなら文句ないだろ」と言いたげに肩を竦めると、少女はまた不機嫌そうな声で「無理です」と言った。
「その願いは、実行しかねます」
「なんでだよ」
少女を睨むと、少女もまた僕を睨んだ。
「あなたは、『悪魔』との契約を甘く見過ぎです。叶えられないこともありませんが、ジュースを買うこともパンを買ってくることも、新聞受けから新聞を取ってくることも、あなたでできることです。こちらも商売なので、なるべく『悪魔しかできない』ことを勧めています」
それから、悪魔はため息をついた。
「さっきから話がかみ合わないと思えば…、本当に、マニュアルを読んだのですか?」
「読んだよ」
むきになって頷いたが、流し読みした程度だった。
悪魔は、僕がマニュアルを読んでいないことを前提に話をした。
「例えば、『お金持ちになりたい』と、三つ目に願った人がいたとして、お金持ちになった傍から魂を食われるわけではありません。『お金持ちの日々』を楽しむ期間が必要ですからね。契約期間の半年は、そのためにあります。三つの願いを手っ取り早く叶えても、半年が来ない事には、私はあなたの魂を食らうことができないんですよ」
「じゃあ、『僕の魂を食ってくれ』っていう願い事は」
「無理ですよ。変なこと言う人ですよね? 魔法のランプのアラジンだって言っているでしょう?『願い事を増やすことはむりだ』って。三つの願いは叶える。半年の猶予は設ける。こちらも商売ですから、契約の辻褄が合わなくなることはしないようにしています」
マニュアルを読むようにしてそう伝えた少女は、再び「さあ」と僕に急かした。
「一つ目の願いを言ってください」
「そう言われても…」
本当に無いのだ。願い事が。唯一あるとすれば、「悪魔に魂を食われて楽に死にたい」だった。
悪魔は、呆れたように言った。
「無いなら結構です。猶予はまだ半年ありますからね。私はあなたと契約をした悪魔なので、あなたが本当に望む願いをかなえるまではお供します。じっくりと考えてください」
「じっくりね…」
願い事なんて無い。なら、いっそ、半年何もせずここで過ごしてしまうか?
そこまで考えた時、オレは悪魔の顔を見て思い立つことがあった。
「ってか、お前…、下級悪魔だろ?」
そう言うと、少女はあからさまに眉間に皺を寄せた。
「はい。私は、下級悪魔です。価値のない柏木さんの魂に見合った、価値の無いあくまでございます」
「下級悪魔って、どんなことができるんだ?」
前にもあの女性に聞いたことがあったが、もう一度、今度は本人に聞いてみる。
悪魔の少女は、少し声を震わせながら、絞り出すように「人間と大して変わりません」と言った。
「私のような下級悪魔は、上級悪魔のような強力な魔法はありません。せいぜい、封筒の中身の透視くらいでしょうね」
「なんか十分すごそう」
「全然。上級悪魔になると、人を呪い殺すこともできますし…、富や財だって一晩のうちに成すことができます」
「上級悪魔だったら、僕を楽に殺せたのかな?」
「無理ですよ。契約違反になってしまうのですから。もちろん、『契約期間を伸ばせ』なんてことはできません。悪魔にもできることと出来ないことがあるので」
早く死にたいのに、契約期間を延ばすようなことを望むはずがない。一つ目の願いだけであぐねているのに、願い事の数なんて増やせるわけがない。
「ああ、くそ!」
僕はめんどうくさくなって、畳の上に寝転がった。
「願い事何てわかるわけないだろ!」
やけくそで言うと、悪魔の少女は膝を擦りながら近づいてきて、僕の顔を見下ろした。
「あまりそう言うことは言わない方がいいですよ。この契約は、あなたの魂の代わりに、悪魔が願い事を叶えるという条件のもとで成り立っているのです。願い事が無いのに、悪魔と契約したなんて思われたら、契約違反と見なされ兼ねませんよ」
「違反したら、僕はどうなるんだ?」
「その時にならないとわかりません」
「なんだそれ…」
「願い事が無いのはわかりました。ですが、建前で『今からじっくり考える』くらいのことは言っておいた方がいいですよ」
「はいはい、今から考えるさ」
僕は手で枕を作って目を閉じた。部屋の中に充満した黴臭い空気を吸い込む。
願い事、願い事、願い事。願い事。願い事。願い事。ダメだ。思い浮かばない。
半目を空けて、隣にちょこんと正座をしている悪魔を見た。悪魔は、人形のような、ガラス玉のような、何の感情も抱いていない瞳で僕の顔を覗いている。悪魔と言え見た目は少女。僕は気恥ずかしくなって、寝転んだまま言っていた。
「あの、こっち見ないでくれる? 眠れないんだ。考え事だってできない」
「それは願い事ですか?」
「いや、違う。だけど、願い事にしてもいいかな」
「安心してください。受理しません」
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