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ミーンミンミンミーーン……
カナカナカナカナ……………
長ーい廊下を歩きながら、ぼくたちはしばらく無言だった。
だけどこんなときでも窓の外からも賑やかな声が聞こえて居て、無機質な人工物の外の夏を感じる。不思議な感覚だ。
「はぁー、こいつら西尾君みたいに五月蠅いなぁ……」
まつりが舌打ちする。
「西尾君って、まつりに何故か張り合ってるっていう?」
「そう」
以前聞いたことがあるが西尾君は昔からまつりが何かするごとに張り合おうとしてきた人物で、学生時代にも、西尾君が30回落ちた試験に1度で合格した事を延々と妬まれては自分が上だとかずっと言って来ているらしい。
「それならなぜ30回も掛かるんだ? などと言った日には大変な事になっていたものだよ」
「正直すぎるだろ」
オブラートとかそういうのに包む気は無さそうだ。
「包まないよー。資源の無駄、オブラートが無駄だからね」
まつりは忌々しそうに呟く。
「吸血鬼ーとか呼ばれてさ、『自作小説の吸血鬼のキャラクターに似ている!吸血鬼が元なんだろう!』とか言って蝉みたいに鳴いてて」
……本人からしてもあまり楽しくない話のはずなのだが、ぼくの知らない学生時代の話になんだか無性にモヤモヤする。
「まぁ命懸けで異性のナンパに挑む蝉合唱団の方が後が無いけどね」
「…………」
ミーンミンミンミーーン……
カナカナカナカナ……………
ぼくは途中から相槌をやめて、ぼんやりと蝉の声を聞いていた。
これは蝉語なんだろうか。ラブソングなんだろうか。
――ふと、まつりの方を見る。
なんだかやけに静かだ。
それに、どことなく声音に怯えが入っているような気がした。
「――どうした? 喫煙する狼でも出たのか?」
そーっと顔を見てみてもなんだか顔面蒼白である。
「今、洗剤の……においがした」
まつりはそう言うなり、ぼくの後ろに隠れた。
「え」
震えている。
洗剤?
「………消……ないで」
「え?」
「洗剤……やめて…消さない、で、嫌、……だ」
かなり取り乱して怯えている。
洗剤がどうしたのだろう。
着ている白衣の裾を、握り締めている。まるで、病院でまつりに会ったあの日みたいに。
「まつり」
今は女子制服だから上着を脱いでかけてあげることは出来ないけど、そっと背中に手を回す。
「大丈夫、消さないよ。洗剤も襲って来ないから」
よしよし、と撫でていると、まつりの呼吸も安定してくる。
潤んだ瞳と目が合う。
きっと「洗剤」「消される」という単語によほど嫌な記憶があるんだろう。
ぎゅう、と背中に引っ付いてくるのを、そのまま受け入れる。
暖かい感覚。
慣れないぬくもり。
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