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他人と仲良くするのは才能が必要だという点に置いて、
それに同調する周囲からも、絶対的な孤独が約束されているものだとすっかり思い込んでいたし、思えばずっとその孤独だけが安全な揺り籠だった。
逆に言うなら、それ以外の刺激と言うものを強く享受するような場にぼくは殆ど居たことがない。
話しかけられるのも、他人と目を合わせるのも、誰かの言葉もその全てに対してアレルギーを発症していたぼくにとっては、愛情というもの、好意と言う全ての感情はあまりにも強い刺激であり、抗えない程に苦痛だという事を、知っているからこそ触れないのでは無かったのか。
「誰も直接関わっては来ないから感情を自分で受け止める必要がない」
他の人が怒って、騒いで、勝手に戦ってくれるだけの、そんな環境が毎日同じように保証されていたのに。
ある日「好きだ」と聞いた事のない汚い響きの声がした。
甘いなんて嘘ばかり、憎悪を呼び起こすような感情を起こさせるには充分な、その言葉が聞こえた。
ある日、白くて何も無い部屋しか知らない環境から、突然 「喜ぶところを見せて欲しい」と鑑賞される。
喜べないような人だったのかと、笑いたいが為にだ。
彼らはいつもそう。
与えた事のないものを貰えると期待して、異星人との対話に挑戦している。
でも、もしも、今後その言葉だけが真実として世間に肯定されるというのなら、確かにこれもある意味包括的な孤独なのだろう。
ぼくは何も、喜び方も、その為の言葉も知らないままだというのに。
そしてぼくにとっての真実は、これだけだと思う。
最初にも最後にも、ぼくを嫌(すく)ってくれたのはあいつだけだった。
だから、ぼくは――――
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