記憶の糸

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 私の夫は十年前に忽然といなくなった。洋服も一着しか無くなってないし、預金通帳やお財布も家に残したままだった。初めは友達のところにでも行ったのだろうと思っていたが、流石に不安になって一週間目に会社の友人に打ち明けた。友人は驚いた顔をした後、私にカウンセリングを勧めた。その友人は結婚退職したが、最後まで悩みごとの相談にのってくれた。  夫のものは全部とってある。ハンカチ、靴下に下着。マグカップ、箸。いつ帰って来ても困らないようにだ。だが十年間なんの音沙汰もない。  今は朝の八時。私はブラウスに薄手のカーディガン、黒いスカートといったオフィスカジュアルで家を出る。歩いて十五分で駅まで行き、後は三十分かけて電車通勤しなければいけない。私は神奈川県に住んでいて、職場は品川だ。建築会社の営業事務をやっている。  今日は爽やかな秋晴れだ。駅に向かって歩いていると一軒家の庭にある栗の木から栗が落ちていた。緑色の棘。夫は栗ご飯が好きだった。思い出したくなくても思い出してしまう。  電車に乗って都内に向かう。みんなスマホを弄っている。私もスマホのスイッチを入れてメールをチェックした。これといった重要なメールは来ていない。
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