口元の傷

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口元の傷

遮光カーテンが閉ざされた部屋には明かりがついておらず、僅かに開いた隙間から差し込む日差しだけが殺風景な室内を薄暗く照らしている。 壁にかけてある時計の秒針がカチカチと時を刻む音が煩わしい。薄手の掛け布団にくるまりながらベッドの上に寝転ぶ三浦は、虚ろな眼差しで部屋の天井を見つめていた。 今日、学校を休んだことをあの人が知ったら一体何を思うのだろうか。昨日あんなことを口走ってしまった手前、考えることすら恐ろしいと三浦は思う。 「……血の味がする」 ピリピリと痛む口元に触れると、真っ赤な鮮血が自分の人差し指に薄く滲んでいた。口内には鉄が錆びたような味が広がっていて、唾を飲み込むだけで胃の中に不快感が残る。 彼の両親は共働きだ。二人はいつも口喧嘩ばかりしていて、三浦はもうかれこれ十年くらい両親の仲睦まじい姿を見ていない。 昨日は父親の帰りが遅かったこともあり特に激しく口論になった末、父が初めて母親に向けて手を挙げた。 それを庇った末に出来たのが、この口元の傷である。 幸いマスクで隠せばどうにでもなるため今日も普段通りに登校しようと思っていたのだが、母親に止められた。 その行為が過保護だからだとか、息子を思ってのことだからだとか。 そんなあたたかい物ではないことを知っていた三浦は何も言わずに母親の言葉に従った。 「君は星が好きか……僕は好きだ」 しばらくぼーっとしていた三浦は思い出したように枕元に置いてあった例の本を手に取ると、パラパラとページをめくり始める。 そしてある所まで来ると不意に手を止めて本に綴られた一文を呟いた。 ある年の夏。幼いながら夕暮れ時に裸足で家を飛び出したあの日、泣きながらブランコを漕いでいた時に現れた学生服の青年が言ったこの台詞がどうしても三浦の頭から離れない。 「……俺も好きだよ、星」 あの人はきっと、何も覚えていないだろうけど。
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