1-2

1/1
前へ
/5ページ
次へ

1-2

 「疲れたぁ」私はヘルメットからカメラを外し、自分の顔を写した。「思ったより難しい山だね。まぁでも、取っ掛かりが結構あるから、ハーケンやカムで安全を確保しやすいって意味で、割と初心者向けなのかなぁ」  私はカメラを景色へと向けた。  「ガスがないから綺麗だね。うん、最高。私ね、死ぬときは絶対に山を棺桶にするって決めてるんだ。そう、下界で死ぬなんてお断り。良い景色を見ながらコーヒーでも飲んで、うっとりと凍死するのがベスト。あ、もちろん自殺なんてするつもりないから、今のところは……」  私は携帯端末の画面を見た。幾つか質問のメッセージが来ていたので、目を通す。  「『人は何故、景色を見て美しい感じるのか』……。なんでだろうね。考えたことはあるけど、正直、よくわからないなぁ。人が生きるうえで必要な機能とは思えないよね。人によるところもあるだろうけど。……あーうん、景色と感動に関する謎について、コメントしてくれる人が何人かいますね。はい、いろいろな解釈があると思います」私は微笑んだ。「ええ、私は専門家ではないので、どの解釈が最も優れているのか、判別することに自信がないので口を出しません。ただ、ひとつだけ言えることがあります。それは、どうして人は景色を見て美しいと感じるのか、正しい答えを知らなくても、私は景色を見て美しいと感じることができる、ということです。それだけは、唯一確かなことであり、揺るがない事実です。電子機器の仕組みを知らなくても携帯端末を利用することはできます。地球の仕組みを知らなくても地球で暮らすことはできます。……生き方を知らなくても、人は生きていくことができるのです」  しばらく私は、その場で景色を眺めていた。  標高二千メートル級の山々が、悠然と佇んでいる。  奥へいくにつれて、山は薄っすらと白みを帯びるが、その存在感が失せることはない。  私は無性にコーヒーを飲みたくなった。  しかし、手元に水筒が無い……。  思わず舌打ちをしてしまったが、すぐに微笑むことができた。  山にいると、自分でも驚くほど穏やかな気持ちでいられるのだ。  反対に、山からおりると、もう全然ダメ。些細なことでカチンとくるし、なにか注意されるたびに心の底から落ち込むし、どんなに良い奴から話しかけられても、面倒だな、と思ってしまう。  だから、やっぱり今の仕事は天職だな、と思う。  クライミングの様子を配信し、広告料を稼ぐ。  登山をしているときの綺麗な私だけが映るので、自分を取り繕う必要が殆どない。  あんまりのんびりしていると、体が冷えてしまうので、ここらで休憩を切り上げることにした。  さぁ、登ろう。  
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加