逃日行

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 午後11時30分、男は日課である散歩に勤しんでいた。    しかし、その日の散歩はいつもと異なっていた。    河原を歩いていると、背後に何者かの気配をひしひしと感じるのである。  何か刺すような視線がある訳ではないが、確かに誰かに見られていた。      ストーカーか?    振り返るべきなのかどうか、彼は悩みに悩み尽くした。    底知れぬ不安を抱えたまま、散歩を続けることは困難だと判断した彼は、背後の存在が何者なのかを、振り返り確認することにした。    心を決めて振り返ると、そこには    朝がいた    真っ白に発光したその球体は、すぐに男を包み込んだ。    次に男が目覚めたのは自分のベットの上だった。    さっきまで、確かに夜だったのに瞬時に朝を迎えることとなった。  ベッドに入り、すぐに眠ることができた時のような多幸感はなく、いつの間にか知らない傷ができていた時のような不安だけが募った。    次の深夜、男はまた散歩に出かけた。    朝に捕まると、朝を迎えてしまうことを悟った彼は、それに捕まらずに散歩を完了させようと考えた。  そこで、昨日の河原と異なり、住宅街を散歩することにした。    通学路をなるべく避けて歩いた。    すると、彼は後ろに昨日と同じ気配がするのを感じた。  もう朝が来たか。思ったよりも早いな。まだそんなに経ってないはずなのに。    「明日なんて来てほしくない」    「学校に僕のことを理解してくれる人や、独りでいられる場所なんてないんだ」  「クラスメイトや先生に、自分の気持ちなんて話したことがない」    「自分の気持ちを話した時、それを否定されるのが堪らなく嫌だから、自己保身のために他者との対話を避けている」    男は朝が訪れることを恐れていた。    「逃げなくちゃ」    「まだこの夜に居たい」    その思いを胸に、男は駆け出した。    夜道の特に明かりの少ない場所では、自分の手を見ることさえ難しくなる。    彼とは逆方向に向かって流れていく汗も、すぐに暗闇へ消えていった。      その方向には、依然として眩い白き球体が存在しており、彼の方へと向かってくる。    どこまで追いかけてくるのだろうか。    そんなことが薄ら脳裏によぎりながら、彼は走り続けた。    やがて彼は見知らぬ住宅街の奥地へと辿り着いてしまっていた。    だから、ミスをしてしまった。    彼は、袋小路へと逃げ込んでしまったのだ。    眼前にそびえる壁は、精神的なものも含めて、これまでに経験したどの壁よりも大きく見えた。    彼が振り返ると、左後方から光が見えた。    それが車のヘッドライトであれば、幾分か心は軽やかになったであろうが、その光は車にしては余りに眩し過ぎた。    朝はもうそこまで迫っていた。    しかし、逃げることができない。 「来ないで」     彼自身でも驚くほどスムーズに口が開き、言葉が深夜の澄み切った空気の中を進んだ。   「僕はまだこの夜に居たいんだ」   「ある種自分だけで完結しているように思える、この場所に居たいんだ」   「だからまだ来ないでくれよ。お願いだ」    彼は初めて、他者に自分の気持ちを素直に話した。    その気持ちを聞いて朝は、一瞬その明るさを落とし、そしてまた閃光した。    その眩しさに、思わず彼は目を瞑った。    次に目を開けると、そこにもう朝はいなかった。    願いが叶った、そう思った彼は安堵して、ポケットの中にあるスマホで時間を確かめた。    「30分ぐらいは逃げていたから、日を跨いでしまったかな」    そう思ってスマホを見ると    「23時60分」   画面にはそう映っていた。
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