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◆◇◆
翌日、ファウストはナイジェルに手紙を持たせてアプリーブ砦へと走らせた。表向きは「夕食に招待したい」というものだった。
アリアナは怪我の経過を見る為と、あのまま劇場に戻すとどうなるか分からないので屋敷に居てもらった。なんでも劇場所属の者達は劇場のアパートに住んでいるらしい。今回の敵は劇場のオーナー。テリトリーに戻してやる必要はない。
だが翌日、妙な状態になっていた。
「……どうしてメイド?」
「あっ、おはようございますご主人様」
「ご主人様?」
ファウストもランバートもちょっと困惑したが、アリアナは見事にメイド服を着こなしていた。
「形から入る方が楽しいと言うので」
「ナイジェル……」
もう、どうでもいいかという気がしてきた二人だった。
だがどうして、アリアナは甲斐甲斐しい女性だった。まさか朝食が用意されているとは思わなかったので、ちょっと嬉しかったりした。
「貴族の方々のお口に合うかは分かりませんが、作ってみました」
「いや、普通に美味しい」
「あぁ」
「嬉しい!」
美味しく焼けたパンにホウレンソウのオムレツ。キャベツとベーコンのスープもなかなか素朴でいい味がする。
「いやぁ、俺も驚きでしたよ。なんせ見た目が派手なんで、こういう事が出来るとは思わなくて」
「失礼ね。けっこう持ち回りで食事当番とかあるし、好きな人には手料理食べてもらいたいもの」
「そういえば、昨日も好きな人がいると言っていたな。今回の事、知っているのか?」
ファウストが目線を上げて問いかけると、彼女はちょっとバツの悪い顔をした。
「ここまでまずい事になっているとは知らない……かな? 多分凄く怒るというか、機嫌悪くなりそうというか、心配かけるな……って」
「当然だろう。付き添って会いに行く方がいいんじゃないか?」
「そもそも男所帯のここに置いておくのも相手からしたら嫌かもしれないし」
まぁ、既に恋人である事を前提としているが。だが彼女の様子から、既にそのような関係なのだろうと思ったが。
それでもアリアナは困り、溜息をついた。
「それには及ばないわ。今夜会えるし」
「今夜?」
顔を見合わせていると、アリアナは苦笑して「そのうち分かります」と言った。
何にしても動き出しは早いほうがいい。ランバートはファウストと一緒に街に出て、いくつかの屋敷の前をチェックした。全てアリアナから聞いた、女性達の嫁ぎ先の屋敷だった。
大きな門構えではあるもののひっそりとしている。じろじろと覗き込むのも不審だから通り過ぎるくらいだから仕方がないのだが。
そしてその足で、二人は一つの家を訪ねた。小さなものだが温かみのあるその家には、まだ若い青年が一人で暮らしていた。
「驚きました、アリアナさんのお知り合いが訪ねてくるなんて。彼女、元気ですか?」
ゆったりと招いてくれた人は明るい茶の髪を緩く撫でつけ、小慣れたシャツにサスペンダーズボン、上着を着た三十代くらいの人だった。髪と同じ明るい茶の瞳に丸い眼鏡をかけている。
テーブルへと案内してくれた人が紅茶を出してくれて、ゆっくりと対面に座った。
「足が、お悪いのですか?」
杖をついているわけではないが、気にはなっていた。僅かに右の足を引きずっている感じがある。問うと、彼は申し訳なさそうな様子で笑った。
「何ヶ月か前に怪我をしまして、その後遺症なんです。お見苦しくてすみません」
「いえ、そんな! ちなみに、どうして」
「外を歩いている時に階段で転んでしまったんです。僕は凄くドジでして」
恥ずかしそうに笑うが、ランバートもファウストもそんな楽観的には考えられなかった。ただのドジでは済まない事件だったかもしれないのだ。
「オスニエルさん、話を聞かせてください。貴方はどうして劇場を手放したのですか?」
率直に問うと、目の前の青年は申し訳なく項垂れてしまった。
「……僕も、何が起こったのか分からないのです。未だに、分からないのです」
「ゆっくりで構いません。分かる事を教えてください」
「はい。最初は……一年前くらいでしょうか。一人の実業家が劇場への融資を願い出てくれたのです」
それは突然の事だったという。
ある日、開演前の劇場にフィランダーと名乗る実業家が訪ねてきた。地方からここに移り住んだらしく、未来ある劇場などに融資をしたいと言ってきたらしい。
「あまりに突然ですし、提示された金額も多かったので驚いてお断りしたんです。あの劇場はオペラ好きの父が建てたもので、庶民に根ざした娯楽の場であればいいと思っていましたし、大きくするつもりはなかったんです。そりゃ、頑張ってくれている女優さん達にはもっと沢山お給金をあげたいとは思ったのですが、皆さん気のいい人達で危険を冒す必要はないと言ってくれて」
「懸命ですね」
見るからに騙されやすそうな感じがするのだ、心配になる。おそらくアリアナを始め劇場のスタッフ達は皆同じように思ったのだろう。
にもかかわらず取られた。何かあるはずだ。
「それから少しして、家業の方でトラブルがあって資金繰りが立ちゆかなくなってしまったのです」
「そのトラブルというのは?」
「僕の家はここから少し離れた場所で果実園を営んでいるのですが、そこの主力商品だったアボガドが突然大量に落とされ、製品にならなくなってしまったのです」
言いながら、オスニエルはグッと手を握る。未だに辛そうだった。
「この果実園ではアボガドを栽培し、そこから油を抽出して化粧品にしていました。肌や髪にも使える天然素材のオイルで、ハーブや果実、花の香油を調合して美容効果を高めたりもしていました。それをこの街に下ろしていたのです」
「では、大損害だったのでは」
「えぇ。落ちてしまっただけならなんとかなったのですが、踏み荒らされていたので」
「犯人は?」
オスニエルはただ首を横に振った。
「家業の立て直しすら困難な状況では、劇場の方まで手が回らず困っていたときに再びフィランダーさんがいらして、融資の話を申し入れてくれたんです。僕もこれに縋るしか劇場を守る方法はありませんでしたし」
「その時は融資の書類だったのですね?」
「はい。心配した劇場の皆さんもちゃんと中身を確かめてくれましたから。ちゃんと融資の書類だったのに……怪我をした数日後、突然劇場はフィランダーさんの物だからと立ち退きを迫られました」
項垂れるオスニエルが気の毒でならない。が、ランバートに手口の検討がついた。
「サインの偽造か?」
「おそらく。劇場の権利譲渡の書類を別で用意して、そのサイン欄に融資の時に書いた紙を重ねてペンで強くなぞって下の紙に写し取る。後はペンでその跡をなぞればサインは真似できる」
「印は?」
「怪我をしている間、入院していましたか?」
「はい、数日」
「その後、家の様子に変化は?」
「実は、元々住んでいた家が燃えてしまって。ここはその後で住み始めた賃貸なんです。人的な被害は出なかったのですが」
「憶測では、決定だな」
ファウストが溜息をつく。だがランバートもおそらく同じ結論だ。
資産家を名乗るフィランダーは最初から劇場……というよりも、そこで働く女性達を狙った可能性がある。アリアナの話では良くない噂のある金持ちとパイプがあるようだし、その男達に女性を斡旋するための場所が欲しかったのかもしれない。
オスニエルの果実園を襲ったのも、彼に怪我をさせたのも、家に火をつけたのもおそらく。だが、証拠がない。
「融資の書類は?」
「家と一緒に燃えました」
「花押の判は?」
「それも燃えたと思います」
「本当に何一つ残ってないんだな」
これで何かしら残っていれば糸口くらいにはなるのだが。
正直、正攻法では今回は上手くいかないように思えた。
「ちなみに、いくらで劇場を売却したことになったのですか?」
「五十フェリスです」
「少なすぎますよ!」
「融資の金額がその金額だったんです。この位あればなんとか頑張れますし、借りすぎると返すのが大変だったので」
「懸命な判断だったのに」
まさかそのまま売却金額となるとは。なんとも気の毒な話だ。
「書類は正式な物だと、ダーニア侯爵も仰って。役所でも間違いはないと」
「ダーニア侯爵?」
「この街で大きな力のある方です。カジノも経営されているし、ギャラリーなんかも。僕みたいな小貴族があれこれ言える相手ではありません」
これはまた、きな臭いのが出てきた。
ランバートは溜息をつき、ファウストもまた考え込んでしまった。
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