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パーティー前騒事
翌日からナイジェルは大忙しになった。パーティーは街でも一流の迎賓館が押さえられ、街には「ヒッテルスバッハ夫人が街の著名な貴族を集めてパーティーをする」という噂が流れた。勿論招待状が届けばそれだけで名家の証のような騒動だ。
その騒動に隠れるように実働部隊は動いている。アリアナが手紙を書き、果樹園で秘密の話があるとオスニエル子爵を呼び出したのは翌日の事。そして子爵を迎えに行った馬車の中にはランバートとファウスト、そしてシルヴィアがいて彼を驚かせる結果となった。
「まさか僕のような小貴族が、ヒッテルスバッハ夫人とお会い出来るなんて」
「あら、会うだけなら割と簡単なのよ? ただ、私と仕事の話が出来る相手はそうはいないわ」
シルヴィアの視線が鋭さを含む。それに、気の弱いオスニエルは負けて小さくなってしまった。
こういう姿を見るとこの母もヒッテルスバッハなのだと思い知る。夫婦揃って仕事となれば妥協をしない。故に、この人達と仕事をするなら相手も相当頑張らなければならないのだ。
「あの、大切なお話がと手紙にありましたが……この馬車はどこへ?」
「貴方の果樹園に向かっているわ。実は息子から貴方のお話も聞きましたの。美容化粧品を作っていたのよね?」
「はい。ですが原材料となるアボガドに甚大な被害があり、今も軌道に乗れていない状態です。出荷の数も減っていますし、取引先からも手を切られてしまって」
俯くオスニエルの話を聞き、ランバートは直ぐにダーニアが裏で手を回している可能性を考えた。街の名家ならそのくらいしたっておかしくは無い。劇場に続き彼の果樹園まで奪い取ろうとしているのかもしれない。
ファウストに視線を向けると、彼も同じ事を考えたのだろう。頷いた。
だが母は強い。にっこりと笑って頷いた。
「実は王都でも美容化粧については人気が高いのよ。最近では一般の人達もそういうものに目を向けるようになって、市場は更に拡大傾向にあるわ」
「そう、なのですか? ですが数は作れませんし……」
「数なんていらないわ。必要なのは質の高さと安全性よ。天然素材を贅沢に使い、かつ安全な物が欲しいの。貴方の果樹園は十分にその可能性を秘めていると思うの。だから、まずは現地を見たいわ」
そう言い切ったシルヴィアに、オスニエルは呆然としながらも頷いた。
◆◇◆
オスニエルの果樹園は馬車で一時間程度の場所だった。
まだ雪深くはあるがとても丁寧に手入れがされ、果樹は雪囲いや藁を敷いてある。そして意外と広かった。
「ねぇ、あそこにあるのは椿かしら?」
数件の小さな家を通り過ぎ、少し大きな家の前に馬車を止めて降りたシルヴィアが真っ先に目をつけたのは家々に植わる立派な椿の木々だった。
今も雪を僅かに被りながらも赤や白の堂々たる花をつけている。葉もツヤツヤと健康的で実に大きく立派だ。
「えぇ。この辺は冬になると途端に寂しいので、冬に咲く椿を植えようと話があって。皆さん土いじりが好きですから、楽しんでいます」
「実が採れるわよね? それ、どうしてるのかしら?」
「沢山採れますし、そのまま食べられるわけじゃないので収穫したあとは纏めて倉庫に入れています」
「沢山?」
「はい」
「……椿オイルじゃない」
唖然とするシルヴィアは早速倉庫へと案内を頼む。レンガ作りの立派な倉庫を開けると、中には色んなものがあった。
「いい匂い。金木犀?」
「はい。あと、バラも乾燥させてポプリにしています。匂い袋なんですが、これも農業の合間に女性達が少し作ってくれているだけなんです。昔は劇場の女の子達が作ってお客さんにお配りしていたんですが、今ではもう」
そう言いながら、オスニエルは寂しげに俯いた。
「傷ついたアボカドはどうしたの?」
「既に処分してしまっています。実もグチャグチャですし、同じく皮も」
「新しいものはある?」
「少量でしたら」
そう言って案内してくれた先にあったのはアボカドの実から作られたオイルだろう。棚に一段分はあるが、これをそのまま販売するのでは確かに少ない。
だが、シルヴィアはふむふむと眺め実際に手にして馴染ませ、臭いを嗅いだりもしている。そして頷いた。
「十分取り引き出来るわね」
「え?」
「オスニエルさん、養蜂もしているわよね?」
「え? えぇ」
「蜜蝋とかもある?」
「乾かしてありますけれど、あまり需要が」
「蜂蜜も当然?」
「そちらは製品として扱っております。ここいらは葡萄や桃が美味しいんです」
シルヴィアはとても嬉しそうにその話を聞く。でも絶対に仕事の事を考えているだろう。
ランバートも辺りを見回す。おそらく油を絞るのだろう圧縮機や、油の濾過に使うのだろう装置も見られる。中も綺麗だし、丁寧な仕事をしているにちがいない。
日陰にした目の細かな網の上には干している金木犀の花がある。風も通しているのか、既にいい感じに乾いている。にもかかわらず色や香りは落ちていなかった。
「丁寧な仕事をしているようだな」
「そうだね。愛情も感じるよ」
だからこそ、それを踏みにじるような行為は見過ごせない。話を終えたシルヴィアが此方に近づいてきて、同じように金木犀を見た。
「これを石鹸の中に少量入れたら綺麗かしら。香りもいいし」
「オイルじゃなくて?」
「香り付けよ。オスニエルさん、ちょっといいかしら?」
どうやら既に仕事の話を始めているようだ。母のやる気に苦笑し、ランバートは倉庫を出る事にした。
静かな雪の果樹園は春や夏の賑わいはないが、それでも想像はできる。こんな静かな場所を騒がせる輩がいることの方が不快だ。
「ここを襲った奴らはどこから来たんだろうな」
「街にはそれらしい者はなかったらしい。実を木々から落とし踏みつけるのだから、それなりに人数はいただろう。それにここの農夫が集まれば厄介になる。その前に大方の仕事を終えなければならなかっただろう」
そんな集団が街を堂々歩いていたら目立っただろう。それを考えても普段はどこかに身を潜めている可能性があった。
見れば果樹園の外には手の付いていない森もあり、低めだが山もある。隠れる場所くらいはありそうだ。
「お仕事おーしまい!」
後ろから声がして、シルヴィアは嬉しそうに弾んでいる。その後ろではオスニエルがあわあわした顔をしていた。
「母上、無理難題言わなかった?」
「言ってないわよ? 聞いたら何度か石鹸も作った事があるっていうし、試作を幾つか作って貰う事にしたの。期間は一ヶ月。お願いした材料を使ってもらって、実際に私が使って良かったら形やラッピングも含めて商品化のお話。望んだ物とちょっと違ったら少しずつ配合を変えたりして。あっ、ハムレットやチェルルちゃんにも配合の割合聞いてみようかしら。あの子達こういうの得意だもの」
ウキウキしているようだが、オスニエルにとってこれは良かったのかどうか。妥協しないシルヴィアの要望となれば厳しいだろう。
だが、無理だとは思っていない。椿の種は丁寧に乾燥させて袋につめられていたし、他の仕事も丁寧だ。オスニエルは需要がないと言っていたが、おそらく販路に恵まれなかったのと欲がなかったからだろう。ポテンシャルは高いはずだ。
何にしても母は十分な手応えを感じている。それだけでここに来た意味はあったし、彼の商売が成功して資金を得れば劇場を取り戻す事もできる。この後の地盤固めに役立つだろう。シルヴィアもそれを狙っての提案だったに違いない。
となれば、現状の問題を解決しなければ。受け皿を整えてもそこに入るものがなくては意味がないのだから。
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