10. 地下に潜む者

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   ◇◇◇  闇市から隠れ家まで戻る途上、ナルテロは長い時間無言であった。しかし、目は口ほどに物を言う。彼の表情には、はっきりと動揺の色が出ていた。恐らくは生まれて初めての神との対話である。今回の経験が彼の心情と予定にどの様な変化を齎したのか気になり、シャンセは探りを入れてみることにした。 「大丈夫ですか?」  そう声を掛けると、ナルテロは漸くはっと我に返りシャンセの方へと顔を向けた。 「正直な所、動揺しております。火神様以外の神族の方を拝見するのは初めてで……」 「火神様にはお会いしたことがあるのですか?」 「無論、今の私の立場では正式な謁見は叶いません。ですが以前一度だけ、遠目ではありますが、天翔ける馬車を駆り火界の空を渡られる所をお見かけしたのです。火人族の本能でしょうか。直ぐに彼の御方が我々の主神であると分かりました。目が釘付けになって離れませんでした。遠い昔のことですが、今でもつい先程起こった出来事の様に鮮明に思い出せます。本当に美しい光景だった……」  半ば陶酔したように語るナルテロに対し、シャンセは思わず眉を潜めた。 (それが、この男の原動力か。哀れだな)  形のない目標を追うより、形のある象徴を置いた方が意欲は持続し易い。ナルテロは恐らく無意識の内に、その象徴に嘗て見た火神の影を据えたのだろう。本物の火神は彼の夢を認めないどころか、存在すら知らないかもしれないのに。彼の望む全ての物が、傍から窺うシャンセには蜃気楼の様に儚く感じた。  夢心地のナルテロに冷や水を浴びせるべきか、逆に更なる深みへと落とすべきか。シャンセは獲物を都合良く弱らせる方法を考えながら歩いた。その所為で周囲への警戒心が薄くなっていたのだろう。彼は、向かい側からやって来た通行人がよろめいているのに気が付かなかった。相手は足を縺れさせ、シャンセの方へと倒れ込む。そして、接触した瞬間にシャンセに何かを握らせた。 「おっと、失礼」  ぶつかった相手はシャンセ達の方へと振り向き、お道化た様に肩を竦める。その顔は頭から被っている布に半分隠されていたが、隙間から零れる髪の色と声、肉体が纏う精気の質から、恐らくは火人族の男性であろうと推測出来た。 「おい、気を付けろ!」 「そんなに怒らなくても良いじゃないか。ちょっとぶつかっただけだろう」  鍛冶の種族の従者が怒鳴り付けると、男は舌打ちをして去って行った。 「大丈夫ですか? 闇市には、すりも多いですが」  心配する従者の言葉を聞いて、シャンセは思わず口をあんぐりと開けた。 (地上界でもあるまいに。世も末だな)  火神の統治が上手くいっていない証拠だ。天界に処罰の口実を与えかねない失態である。仮に火人族を味方に付けたとしても、火界は決して安全圏とはならないのだということが良く分かる出来事であった。  周囲の者達が催促するので、シャンセは一応自分の持ち物を確認する。 「特に何も盗られてはいないようですね」 (盗られる代わりに何か渡されたが……)  彼は胸の内でそう続けた。 「ならば良かった」  ナルテロが納得して話が終わったのを見て、シャンセは彼等が隠し事に気付いていないことを確認する。そして、改めて握らされた物の正体を手触りで探った。 (紙――密書か)  今自身が置かれている状況とこれを秘密裏に渡されたこと、相手が火人族であったことから、その正体と目的は概ね察しが付いた。愈々鍛冶の種族の敗色が濃厚となってきた訳だ。 (意外と潮時は早かったな)  以降、表面上はナルテロ達と談笑しつつも、シャンセは絶え間なく頭の中で鍛冶の種族の里からの撤退手段を模索し続けた。
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