欠片の名は、二十五度目の夏

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欠片の名は、二十五度目の夏

 ──夏。  俺にとって『夏』という季節は、もっとも煌びやかに見える大切な季節だ。  ようやく三十に達しようとしている夏の記憶をずらりと目の前に並べてみると、その中にひとつだけ、異彩な輝きを放っている夏があるのに気づかされる。  俺はその夏の記憶を摘み上げ、しげしげと眺めてみる。  深い青だ。空と海の色をぎゅっと凝縮したような、青。  それは、初めて恋をした中学一年生の時の記憶ではなく、また、初めて恋人ができた二十三歳の頃の記憶でもない。  その欠片(きおく)は、二十五回目の夏。  彼女と出会い、共に過ごしたあの夏の日々は、それまでで最も短く最も熱い夏であると同時に、実に不思議な出来事で満たされていた。  当時俺は、完全に人生に行き詰まっていた。  全く先が見えない暗闇のような世界の中で、膝を抱え蹲っていた。  そんな状況に追い込まれたとき人は、どんな行動を起こすのだろうか?  ある者は悲観して自暴自棄に陥り、塞ぎこんでしまうのかもしれない。  またある者は、もがき苦しみながらも暗闇の中に活路を見いだし、立ち上がって前に進んで行くのかもしれない。  だが生憎、大した知恵も勇気も持ち合わせていなかった俺は、逃げるように職場を辞め、日々現実逃避を繰り返しているのみだった。  そうして、積み上げてきたものの大半を捨て去り、裸一貫の状態で辿り着いた療養の地、岩手県の景勝地浄土ヶ浜の海で、不思議な雰囲気を持つ少女、『白木沢帆夏(しらきさわほのか)』と運命的な出会いを果たす。  彼女はこの時、一応、十九歳の女子大生だったのだから、少女、などと表現をしたら怒られてしまうだろうか?  彼女はどこまでも強く、美しく、自由で、存在感の際立っている女の子だった。  それでいてどこまでも優しく、儚く、不自由で、気を抜けば消えてしまいそうな危うさをも同時にはらんでいた。 *  スマートフォンの普及もまだ進んでいなかった、あの年の八月一日。  じっとしているだけでも背中が汗ばんでくるような暑い夏の日だったことを、今でもよく覚えている。  彼女の細い体躯が、突き抜けるような青空と白い雲をバックに、シルエットとなって浮かび上がる。  風に飛ばされぬよう、麦藁帽子を片手で押さえ、もう一方の手で俺の手を引いた彼女は、ちょっと訛りのある声でこう言った。 『岩手さ、よくおでんせ(来ましたね)』、と。 *  とにかく、これだけはハッキリと言える。俺は、彼女と出会ったことで確かに救われ、傷ついた心を癒され、また、恋に落ちたのだと。  とはいえ、物事には順番というものがある。まずは、彼女と出会うまでの経緯から話していかねばなるまい。  時間はそれよりも少し前、同年の七月三十一日。場所はさいたま市の中心部にあるホテルの一室より、物語は始まる。  では、暫しご静聴を──。
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