怪物退治

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怪物退治

 数多ある甲賀の山々のうちのひとつ、遠吠え山。木の実が豊富できれいな沢にも恵まれており、鳥や獣が多く棲んでいることで知られている。    その山道を、太郎太(たろうた)善吉(ぜんきち)が歩きすすんでいた。  二人とも頭巾はかぶっていないが、野良着に似た紺色の忍び装束をばっちり身につけている。背中には刀を差しているが、それは稽古用の木刀ではなく真剣である。刀身が短く、反りのない直刀なのが特徴の忍び刀だ。  役行者(えんのぎょうじゃ)の祠に、〈名誉の忍び〉に成りたいと祈願したあの日から早七年。二人は一五歳の若者に成長していた。  だが太郎太はあいかわらず肥え太ったデブで、善吉は頼りなさそうな痩せっぽちだった。八つの頃とくらべても、この凸凹コンビは外見はそのままに、ただサイズだけが二回りほど大きくなっただけのようだ。  やがてふつうの山道から杣道(そまみち)へ、さらに獣道へとわけ入っていく。  道のりがさほど険しくないのが救いだった。馬力はあっても持久力のない太郎太がへばる前に、目的の林に到着する。見事なクスの巨樹が目印だ。 「善吉、このあたりじゃな」 「あ、ああ…。でも現れるかな?」 「あやつが、こうして縄張りを侵しておるわしらを見逃すはずはあるまい。それより早うしたくせい」 「う、うむ」  善吉は腰にさげていた(クロスボウ)を手にし、矢を台座にセットして弦を引っぱる。 「う~~ん!」  しかし弦の張力が強いため(あるいは善吉の腕力が弱いため)、片腕ではセットすることができない。しかたなく善吉は地べたにしりもちをつき、翼の部分を両足で突っ張り、両腕で弦を引っぱってやっとこさセットする。 「わしらがこしらえたその弩さえあれば、あやつなぞおそるるに足りぬわ」 「まったくだ。ふつうの弓より矢は速くて太くて貫通力に優れてるし、狙いがつけやすくて命中の割合でも勝るからね」  善吉はなんとか強がって、太郎太とおなじように自信ありげな態度を見せる。  だが、すぐにショボンと弱気になり、 「でも(きこり)を二人も喰っちまった凶暴な奴だぞ。里の大人でも手に負えないほどだし。これだけで勝てるかな?」 「武器より肝心なのは己じゃ。己を信じろ。幼き頃より研鑽してきた厳しい修業を思い出せ」  太郎太はあくまで強気である。  ちなみに太郎太は弩を二人で作ったと発言したが、彼が行ったのは材料調達くらいで、図面描きや工作はすべて善吉の手によるものである。  善吉は懐から印籠を取り出し、上段を開いて中の丸薬を飲みこむ。 「またそれか。なんに効くんじゃ?」 「不安を消す仙人の妙薬だ」  だが薬が効いてるようには見えない。 「……なあ、他にもっといい手立てはないのか?」  太郎太はイライラとして、 「この期に及んでなんじゃ! わしらの真の力を惣領(そうりょう)に認めさせるには、みなが怖れるあやつを退治するのが一番じゃとあれほど──」                                     ガサッ!                                    草が揺れる音がして、二人はハッとふりむく。 「ブオウーッ!」  獰猛な吠え声をあげて、草むらの中から一頭の野獣が飛び出してくる。 「うわーっ!」  二人して悲鳴を上げ、たちまちパニックとなる。 「奴じゃ! 鬼熊じゃ! しとめろ!」  善吉はあわてて弩の狙いをつけようとするが、 「アワワワワッ!」  思いのほか熊の動きが敏捷で定められない。    シャッ!  シュッ!  シャッ!    太郎太は懐から手裏剣を取り出して次々と放つが、動転しているのでどれも見当はずれの方向に飛んでいく。  そのうちの一枚が、善吉のうすい尻の肉にサクッと突き刺さる。 「いてっ!」  飛び上がった拍子に弩を放り投げてしまう。 「すまん、善吉!」  そうして熊から目を離した隙に、 「ぐふぅっっ!!」    突進をまともに腹に食らってしまい、太郎太は後方に弾き飛ばされてゴロゴロと転がっていく。 「太郎太!」  さらに熊は、咆哮をあげて善吉にも突進してくる。 「わわっ!」  木の幹を背にして、左右どちらに身をかわそうかと優柔不断にまよった末、結局頭を抱えてその場にうずくまるというかっこう悪さ。  だが幸運なことに、熊は勢いあまって善吉を飛びこえてしまい、  ドカンッ!  とそのまま木の幹に頭を打ちつけて倒れ込む。  ……失神したようだ。    太郎太と善吉は、無言でそろそろと立ち上がる。 「太郎太、大事ないか?」 「ああ、これしき。日頃の組討(くみうち)の鍛錬のおかげじゃな」    嘘である。たんに分厚い腹の肉が幸いしただけだ。  二人は、動かなくなった熊におそるおそる近づく。  熊は気を失ったままピクリとも動かない。その胸元には、鬼熊の特徴である〈お地蔵様の前掛け〉のような白い模様がある。 「わしら……勝ったんじゃな、鬼熊に」 「あ、ああ……」  太郎太も善吉も、にわかには信じられない様子だ。  だが、いつまでも勝利の余韻に浸っているわけにはいかない。 「それで、このあとどうするんだ?」 「決まっておる」  太郎太は背中の忍者刀をスラリと抜いて、 「こやつの亡骸は、わしらの真の実力の証じゃ。とどめを刺して惣領に見せつけるんじゃ」 「あ、ああ……そうだったね」  おなじく善吉も背中の忍者刀を抜く。 「獣の毛皮は丈夫じゃからな。喉を一突きにするのがよかろう」  太郎太は、突きのかまえで熊に切っ先をむける。  善吉も同じように突きのかまえをとる。 「せいので、同時に突こう」  と太郎太。 「あ、ああ」 「せいの!」  だが二人とも怖気づき、文字通り二の足を踏んでしまう。 「おい、突かんか!」 「太郎太こそ!」 「わしはおぬしが突かんから……」 「わしだって……」 「一流の忍びは、常に非情でなくてはならんのじゃぞ」 「わ、わかってる」  善吉は改めて、失神している熊に目をむける。  冷静さを取りもどしてきたせいだろう。奇妙なことに気がつく。 「なあ、なんかこいつ小ぶりじゃないか?」  たしかに、体のサイズは小熊ほどしかない。というか、まちがいなく小熊である。可愛らしくさえある。 「……敗れた者は小さく見えるもんじゃ」 「それにしたって小さすぎるだろ! 話によると鬼と見まがうような巨大な体躯だと──」  そのとき不意に小熊が目を覚まし、 「クゥーン……!」  と幼児が助けを求めるようなか細い鳴き声をあげる。  それにすぐさま応えるように、    ガササササ──    と林の奥の藪から何かが近づいてくる。 「……?」  姿を現したのは、八尺(約二メートル四〇センチ)もあろうかという怪物のような巨大な熊だ。二本足で立っている。  その胸元には、たったいま二人にいじめられたあわれな小熊とおなじ〈お地蔵様の前掛け〉のような白い模様がある。おそらく親子なのだろう。まちがいなく、こちらが本物の人喰い鬼熊だ。 「………」  太郎太と善吉は、口をあんぐり開けて阿呆のように見上げている。 鬼熊は、二人にむかって凄まじい威嚇の吠え声をあげる。 「グボォーッッ!」 「わーっっ!!」  今日二度めの絶叫を上げ、太郎太と善吉は一目散に逃走する。  鬼熊は、木々の枝をバキバキと折りながら猛然と追いかけてくる。 「わわわわわっっ!」  二人は叫び声を上げながら、山道だったり斜面だったり岩場だったりをめちゃくちゃに下ったり滑ったりしていく。    やがて薄暗い林の中から麓の野原へと、太郎太と善吉は飛び出す。  とたんに視界は開け、太陽の明るい日差しに照らされる。  鬼熊は野原に出たとたん立ち止まり、辺りを警戒している。広々とした様子にとまどっているようだ。 「しめた、逃げ切れる……!」  だが善吉が安堵したのもつかの間── 「!」   目の前に、流れの早い川が現れて通せんぼする。  二人は川辺で立ちどまざるをえない。  鬼熊は周囲の安全を確認したのか、ふたたび二人のほうに猛然と走り迫ってきている。 「まずいぞ善吉! 飛び込もう!」  太郎太はゼイゼイと息を切らし、その圧の強いデカイ顔から汗を吹きださせている。 「いや、でもわしら水練(すいれん)はからっきしだろ」 「さようなこといっとる場合か!」  ハッと気づいて善吉が指さす。 「待て、あれを見ろ!」  川はすぐ先で途切れ、切りたった崖のようになっている。 「この先は滝だ!」 「なんと! 天はわしらを見放したか!」 「……!」  そこで善吉は閃き、懐に手を入れる。  中から取り出したのは、素焼の鍋である焙烙(ほうろく)を二つ合わせてソフトボール大の球状にし、縄で十文字に縛ったものである。 「こいつがあった!」 「おおっ、二人でこしらえた特製の焙烙玉(ほうろくだま)か!」  焙烙玉は、現代でいうところの手榴弾である。火薬と殺傷用の鉄片や釘が詰まっており、内部から伸びている短い縄は導火線である。  ちなみにこの焙烙玉に関しても、弩とおなじく微妙な火薬の調合から容器である焙烙の製作まで、すべて善吉の手によるものである。 「こいつのことを忘れるとは、わしらもヤキが回ったもんじゃ」  太郎太はたちまち余裕を取りもどす。  忍びにとって火器は自家薬籠中のものであるが、この焙烙玉に関しては、その威力ゆえに使用に際して細心の注意がはらわれる。とうぜん、半人前以下の子弟が所持することは厳しく禁じられている。ましてや、かれらのように無許可で製造するなど御法度である。  太郎太はともかく善吉は、本来こういった規則違反には抵抗のある地味な性格だったが、苦労して完成させた達成感で後ろめたさが麻痺してしまっていた。いや、むしろ誇らしいくらいに感じて、こうして意味もなく懐に忍ばせて出歩くことしばしばであったのだ。 「火種は持っとるか?」 「もちろんじゃ」  太郎太が懐から取り出したのは、胴火(どうび)と呼ばれる火種を入れるための銅製の筒である。中には、火種として火縄などを詰めている。点火するとゆっくりと燃えて半日ほどもつので、懐に入れているとカイロにもなる優れ物である。  太郎太は火種の火縄を手にし、善吉が持っている焙烙玉の導火線に点火する。 「よし点いた!」  が、焦っていたため、太郎太はあやまって火種を手の平で握ってしまう。 「あちっ!」 「大丈夫か、太郎太」 「たいした火傷ではない。じゃがこれではこいつを投げられん」 「じゃあ、どうするんだ?」 「おぬしが投げるしかあるまい」 「だめだ、わしの膂力(りょりょく)では遠くまでとどかない」 「おのれの力を信じろ!」 「で、でも……」  この期に及んで、まだ善吉はためらっている。 「いそげ! あやつがやってくるぞ!」 「わ、わかった!」  善吉は焙烙玉を握って腕を振りかぶるが、ビビっているので見るからにフォームが委縮してしまっている。  ヒュン!  迫ってくる鬼熊にむかって力いっぱい投げつける。だが案の定、方向こそ外れてないものの、力が弱すぎて距離がまるで足りない。落下した焙烙玉は地面を少し転がって止まる。 「ダメだ、やっぱりとどかない!」  落胆する善吉。 「いや、待て!」  都合のいいことに、鬼熊は焙烙玉が落ちている地点にまっすぐむかってくる。導火線の燃え具合からすると、ちょうど鬼熊が接近したタイミングで爆発しそうだ。 「しょせんは畜生じゃ。おのれから突っ込んでくるぞ!」  太郎太が快哉を叫んでいる。    だが迫ってくる鬼熊の前足に蹴られ、焙烙玉は二人のほうへ転がりもどってくる。   「!」  太郎太と善吉は、ギョッと顔を見合わせる。  ザバーンッ!  爆発する寸前に、二人はとっさに川に飛び込む。  だが一難去ってまた一難。 「うわーーーっっっ!!!」  そのまま流されて、二人とも滝に飲み込まれてしまう。  二十メートル程も高さがある絶景の直瀑を一気に落下する。  ドドドドドッ──!  麓の川で、年頃の娘たち五、六人が水浴びをしている。  全員が浴衣一枚の姿。それも川の水に濡れてぴったり布地が張りついてしまい、素肌が透けて見えてしまっている娘もいる。  そんなあられもない姿で、スタイルやファッションの話題でガールズトークに花を咲かせたり、水のかけあいなどをしてキャッキャッウフフと戯れているのだ。  そんな夢のような光景をぶち壊すように、                                    ドボボーーン!!                                    と大きな水しぶきを上げて、そばにある滝壺に薄汚れた物体が二つ落ちてくる。 「きゃっ!」「なに!?」  肝を潰す娘たち。  滝壺の中から、 「ブハーッ!」  と顔を出す太郎太と善吉。  二人とも、水術とは呼べぬようなバシャバシャと見苦しいもがきで水かさの浅い川のほうへむかう。  なんとか足が立つところまできたところで、 「……助かったのか?」 「そうらしい」  自分たちの無事を確認して安堵する。 「ん?」 「お?」    落ち着きを取り戻した二人は、ようやく水浴びをしている娘たちの存在にに気づく。  善吉は驚き、顔を赤らめて目をそむける。  一方、太郎太は目を見開いて、 「驚かせて申しわけない! われら、忍び稽古の最中でありまして!」  と大声で申し開きをする。  そしてニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、 「身体が冷え切っておるので、いそいで岸に上がらんとな」  とわざわざ娘たちがいるほうの岸にザブザブとむかっていく。 「おい、太郎太! むこう岸に上がればいいだろ」  善吉は反対側の岸を指差すが、太郎太は聞く耳持たず。    呆然と二人の様子を伺っていた娘たちも、さすがにこの破廉恥行為に気づき、 「この痴れ者!」  と娘の一人が、太郎太にむかって川底の石を投げつける。 「好色!」 「色狂い!」 「不埒者(ふらちもの)!」  他の娘たちも、キャーキャーと非難の叫びをあげながら次々と石を投げつけはじめる。 「こいつら、〝()れずの太郎太と善吉〟よ!」 「見るだけで鈍臭いのがうつるわよ!」  さんざんな言われようである。 「おい、よせ。危ないじゃろ!」  太郎太は両腕で顔をガードして身を屈める。  だがさすがに娘たちも本気でぶつける気はないらしく、石は太郎太の周りの水面にポチャポチャと落ちるだけ。  しかし運の悪いことに、そのうちの一つが大きく狙いを逸れて、後方でそっぽをむいていた善吉の側頭部に命中してしまう。  バシャーン!  派手な音を立てて善吉はぶったおれる。
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