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あれは、8月の下旬のことだった。
「僕、読書が苦手なんです」
堤恭一郎が家に帰ると、玄関先に少年が待っていた。
手には見覚えのあるハードカバーの本が握られている。
「君は……?」
「なかじま小学校3年のおおだいらはるきです!」
恭一郎は思った。違う、そうじゃない。
何をしに来たのか聞きたかったし、そんなすぐ、見ず知らずの男に名乗ってはいけないと注意もしたい。
「君ね……」
「おじさん、これ書いた人でしょ!中身を教えて下さい! 」
見せてくれた本には
『桜山の探偵団 堤 太郎』
と書いてあった。
まず、おじさんではない。見た目老けてると言われたことはあるが、恭一郎はまだ大学生だ。
そして、それを書いたのは、恭一郎の祖父である。存命なので、祖父の名前で表札がかかっているが、今は高齢者施設に入っており、ここには住んでいない。
「君……」
「学校で、これを読んで、感想を書けって宿題で、でも僕1ページも読めなくて」
よくないことだとわかっているのであろう。まくし立てるように、はるき少年は恭一郎に訴えた。
恭一郎は、はるき少年を不憫に思った。
小さい頃、作家の孫だからと読書感想文が得意だと思われていた。
だが、読書に一ミリも興味のなかった恭一郎少年は、当時も推薦図書になっていた祖父の著作の内容を、元気であった本人に尋ねていたのだった。
しかも、8月31日に、だ。はるき少年よりたちが悪い。
読まずにふざけるな、と怒られそうなものたが、孫にデレデレの太郎老人は、得意げに中身をペラペラしゃべってくれた。おかげで、先生に叱られずに済んだのだ。
当時の自分とはるき少年を重ねた恭一郎は、本のあらすじを説明し、今、聞いて思ったことを書けばいいとアドバイスを贈った。
はるき少年は満面の笑みで「ありがとう、おじさん! 」とおじぎをすると、走り去っていった。
恭一郎は、少年の笑顔をみて、かつての自分のような、迷える子羊を一匹でも救えた、と充実感を得た。
その充実感で、おじさんと呼ばれたことも気にならなかった。
しかし、その後、毎年、中身を教えてくれと、夏に読書感想文が苦手な子供が突撃してくるので、恭一郎はさすがに、翌年就職でこの土地を離れる3年目には小学校に電話をした。
あとから聞いた話だが、あの本は5年くらい前から、再び小学校中学年の推薦図書になっているらしく、郷里の作家の本として紹介したようだ。
そして、その時に披露した豆知識が、『この本を書いた作者は、この小学校出身です』ということだった。
中島小学校の読書感想文には注意事項がある。
「決して、作者に中身を聞きに行かないこと」
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