天国に2番目に近い島

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 「もっと変わったツアーはないのかね?」  いらいらして俺は声が大きくなった。ここは駅前の旅行社。表のラックに満載の華やかなリーフレットに目が留まり、店内に入った。若い男が満面の笑みで応対してきた。 「それでは、こちらはいかがですか?」 「天国に一番近い島? ニューカレドニアのウベア島だろ?」 「お客様、ご存じでしたか」 「ああ、もう行ったよ。近場で面白いツアーはないのか?」  水島と名乗る男は、こちらを値踏みするような目で見てきた。おいおい、こちらは若造じゃないぞ。小金くらいある。愛人のケイコが喜ぶようなツアーじゃないと、意味がないんだ。  水島は引き出しから小冊子を取り出した。急に声を潜めて前かがみになった。こちらもつられて前にかがんだ。 「これは特別なお客様専用のツアーです」 「天国に2番目に近い島ツアーだって?」 「プレミアツアーなんです。料金は少しお高いですが、それだけのことはあります。三泊四日でこのお値段ですので、限られた方しか参加できません。もちろん、行きも帰りもビジネスですし、ホテルもスイートルーム確約ですので、快適さは保証付きです。行き先は秘密のミステリーツアーです。スリルとサスペンスがお客様を待っています」  これだ、とピンと来た俺はその場で契約した。  一ヶ月後、成田空港の集合場所に行った。ツアー参加者は俺達を入れて6名。添乗は水島がすると言う。その場で英文の誓約書にサインをさせられた。搭乗時間になり、行き先がわかった。フィリピンだ。ふん、フィリピンなんか3度も行っている。本当に期待していいのだろうか?  その日はホテルに直行した。オーシャンビューのスイートルームだった。オールインクルーシブなので贅を尽くした料理を堪能し、食後は最高級のマッサージを受けた。しかし、これだけではありきたりだ。明日に期待するとしよう。  朝食を済ませて、9時にロビーに集合した。水島が迎えに来た。すぐに大型タクシーで船着き場まで行き、高級クルーザーに乗り込んだ。いよいよ天国に2番目に近い島へ出発だ。皆ワクワクしながら島を探した。クルーザーで60分も行くと、前方に小さな島が見えた。赤、青、黄色など色とりどりの小さな旗が島全体に立っていた。まん中に白い小さな建物があった。 「皆さん、お待たせしました。ここが地図には載っていない島、フォニーアイランドです」  足下には白い砂がまぶしいほど光っていた。海に目をやると、透明度が高く、色鮮やかな魚の群れが見えた。少し先の海はエメラルドグリーン、その先はターコイズブルーに輝いていた。見上げると、波のような白い雲が横一列にどこまでも続き、その上は強烈なブルーの絵の具を塗りたくったような大空だった。 「さあ、皆さん。この島は皆さんの貸し切りです。シュノーケリングの用意もありますので、ご自由にお使いください。飲み物と食べ物は、あそこに見える休憩所の中のアイスボックスに入れておきます。午後の4時になりましたらお迎えにあがりますので、それまでこの青い海と空を満喫してください」  水島を乗せたクルーザーは、いったん島を離れた。歓声を上げて水に飛び込む者、シュノーケリングを始める者、ビーチに寝転ぶ者、皆思い思いに一日を楽しんだ。  ところが、午後4時になってもクルーザーは来なかった。時間を気にして腕時計ばかり見ていた中年の女が声を上げた。 「ねえ、島が小さくなっていない?」 「そんなバカな」  その夫が不安げに周りを見渡した。 「そう言われてみると、そうかもしれんな」  いつの間にか水が島全体を覆い始めた。  ケイコが真剣な顔つきになった。 「ひょっとしてこの島沈むんじゃない?」   若いカップルも騒ぎ出した。 「満潮になると消えてしまう島があるって聞いたことがあるぞ」 「私たち一体どうなっちゃうの?」   俺はクルーザーで帰って行くときの水島のほほえみを思い出した。 (ひょっとして天国に2番目に近い島って、そういう意味だったのか。くそっ、あの水島め。空港で書かされた英文の誓約書は、きっと生命保険の契約書だったんだ。しかしもう遅い。それに今そんなことを言えば女達は大騒ぎする。もうしばらく様子を見よう) 「スマホは通じないし、こちらから連絡しようがない。まあ、大丈夫だよ。きっと手違いがあって遅れているだけさ」  俺はここでは一番の年長者だから、努めて笑顔を絶やさないようにした。ケイコの手前もあるので、不安な表情を見せてはいかん、そう自分に言い聞かせた。  夕方5時を過ぎると、太陽が沈み出し、水の量がますます増え、休憩所の建物以外は海になってしまった。皆黙りこくっていた。  突然遠くからエンジンの音が聞こえた。現れた白い船は右方向から左方向へと進んでいる。  あの船を止めなくては。俺たちは声を限りに叫んだ。  それを聞きつけたのか、船が向きをこちらに変えた。 「助かったぞ!」俺たちは驚喜した。  やって来たのは、水島だった。 「みなさん、スリルとサスペンスはいかがでしたか?」
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