ビター♥ガイ

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「本当は、迷惑になるから言わないつもりだったけど、先生を前にすると、胸がいっぱいになって上手く話せる自信がなくなって、もう、どうしたらいいかわかんなくて……」  涙に濡れた声が、心に滲んで抉ってくる。 「先生が、好きなんです。秘めておけないくらい、すごく。だから」  否定、しなければ。いつものように微笑んで。なのに、言葉が出てこない。 「陽性転移なんて……言わないで……」  涙で息が詰まって、途切れ途切れになっていく。か細い嗚咽が次第に苦しげな呼吸に埋もれて辛そうに顔が歪む。泣くな、泣くなよ。そんな顔、させるつもりじゃなかったんだよ。 「泣かないで」  できるだけ優しく言って目元を拭う。指先で掬った透き通る雫は熱を孕んでいて、温かった。だが、それは徐々に冷たくなって、余韻だけが皮膚に染み込む。冷たくなった面積は指先を覆うほど大きかった。その悲しみの大きさを知った時、もう、限界だった。華奢な肩を掴んで引き寄せ、薄くオレンジに染まった桃色の唇に口づけをする。  嗚咽も呼吸音も、全てが時を止めたように鳴り止んだ。体を離して彼女を見ると、呆けた様子で固まっている。あーやっちまった。後悔がいまさら押し寄せてくる。乱暴にしちゃったし、絶対幻滅された。口角が引き攣るのを感じながらも、弁解の言葉を探そうと思考をフル回転させる。そういえば、過呼吸はキスすると止まるって鬼頭が言ってたような。それが使えるか? 「よかった。止まったね」  平然と微笑んで言ってはみても、心の中では非難囂囂だった。よかったじゃねぇだろ。まず謝れよ。そう思うのに、この期に及んで俺はまだカウンセラーとしての顔を装おうとする。自分のしでかしたことに今さら恥ずかしくなって、心臓がうるさいほどに音を立てていた。すると、唇に手を当てて心ここにあらずな様子だった彼女の瞳に、正常な光が戻ってきつつあった。 「日菜ちゃん、その、これはね――」  言いかけた瞬間、窓ガラスに映った太陽が目を焼いた。真っ赤に染まった視界の中で、一つの思考が過ぎる。このままごまかし続けていいのか? 何もかも隠したまま今までどおりの関係を続けても、彼女を苦しめるだけなんじゃないか? でも俺は、元気になるまで、大人になるまで、あの子に手を出さないって決めたから、だからーー。押し込めるように、オレンジ色に黒が混じる。暖かい色が失われていく。視界が影の色に完全に支配されそうになった瞬間。  陽光の柔らかな色とともに、あの子が胸に飛び込んできた。甘い香りがふわりと揺蕩う。きゅっと、抱きすくめられる。ああ、そうだった。その小さな体で懸命に前に進もうと頑張っている姿に、俺は惹かれたんじゃないか。守りたいと、思ったんじゃないか。だったら何もかもかなぐり捨てて、この子を守らなければ。心臓が高鳴っていく。気持ちが大きく、膨れ上がる。途端、澱んだ視界が開けて、夕日のオレンジとともに抑えていた感情が溢れ出した。
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