第五章 血の繋がり

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 手毬は、突然の来客に動揺を隠せないでいた。  目の前に座っているのは、片瀬克哉という、慎一郎の弟だ。慎一郎の結婚式のときに一度見かけたくらいで、正直なところ、顔もほとんど覚えていない。  美奈子がお茶をいれてきて、三人分置くと、美奈子も手毬の隣に座った。 「いやぁ、突然きちゃってすみませんねぇ」  克哉が、陽気にいう。  まったくすまなそうとは思っていない笑顔で、茶をすする姿は、慎一郎とはまったく違う。本当に兄弟なのかと疑いたくなるけれど、あいにく、信じるに足る要素があった。 「さっそく本題なんだけどさ」  そう言って、克哉は美奈子をみた。美奈子は身体を強張らせて、ちら、と手毬を見る。手毬には聞かれたくない話なのだろうか。 「僕は、席をはずそうか」 「え? や、別にそのままでいいっすよ?」  あっさりした返事の克哉を、美奈子が睨みつけるのを横目で見てしまう。けれど、すぐに諦めたようにため息をついた。 「いいわ。マリちゃんには迷惑かけたくないし。誰にここを聞いたの?」 「兄貴の友達。美奈子に会いたいって言ったら、教えてくれたんだぁ」 「岳と仲がいいのかい?」 「まぁ、兄貴関係の知り合いって、岳先輩だけっすから」  岳先輩。  彼が慎一郎の弟だと信じるに足る要素というのは、岳のことだ。ついさっき、もうすぐ慎の弟が行くから、と岳から連絡があったのだ。電話に出たのは手毬で、そのとき美奈子は部屋にこもって何かをしていたから、そのまま伝えるのを忘れていた。  どうやらこの克哉という男が用事のあるのは、手毬ではなく美奈子のようなので、やはり、伝えておくべきだったのだろう。 「ごめん、ミナちゃん。実はさっき、岳から連絡があったんだ。慎の弟がくるからって」  突然、慎一郎の弟が来訪したのだから、美奈子の驚きようはすさまじかった。そのことが、手毬の胸を痛める。  申し訳なさそうな手毬を見て、美奈子が微笑んだ。 「マリちゃんったら、素直。そんなところも可愛いわ」 「可愛いって、いい歳した男に言う言葉じゃないと思うなぁ」 「いいの、マリちゃんだから」  手毬は、ぽかんとしている克哉に気づいて、慌てて手をふった。 「ごめん、話を遮っちゃったね。どうぞ、続けて」 「あー、仲いいんすね。美奈子の旦那? つか、写真に乗ってた人だわ、思い出した」 「写真ってなんだい?」 「昨日、兄貴から見せてもらったんすよ。女の子の誕生日祝ってる写真」 「あのときの! 慎がもってるってことは、有希ちゃんにもらったのかな……ミナちゃん?」  何気なく隣を振り向いた手毬は、ぴた、と動きを止めた。  美奈子が、目をぎらぎらと光らせて、克哉を見ている。 (わぁ、ミナちゃんの新しい姿、いっぱい発見できるなぁ~)  あとで、日記にちゃんと書いておこう。  手毬がそんなことを考えている正面では、克哉が手をぶんぶんとふっていた。 「違うって! 美奈子が思ってるようなことは何もないって。兄貴から連絡がきたの! 結婚を考えている人がいるから、式には来てほしいって。そう言われたら気になるべ?」 「だから、会いにいったの?」 「おう。でもさ、そのとき……」 「有希ちゃんに指いっぽんでも触ってたら、切ってやるんだから!」 「何を⁉ ってか、その有希ちゃんには会ってないって!」  克哉が、ぽりぽりと頬を掻いて、肩をすくめた。 「俺てっきり美奈子が相手だと思ってさー。いろいろ話しちゃった」 「色々って何を言ったの?」 「んー、昔美奈子と付き合ってたこととか?」  丁度、お茶を飲もうとした手毬は、ぶはっ、と吐き出してしまう。初耳だ。美奈子を見ると、ほっと息を吐いている。 「そんなの、別に言ってもいいわよ」 (いいんだ⁉)  心の中で、叫んでしまう。  そんな大胆な美奈子も可愛くて……好き。 「でもさぁ、それを聞いた兄貴が顔を真っ青にしちゃって。そのとき俺、そのまま帰ったんだ。帰れって言われたし、本当に具合悪そうだったし。でも気になってあとで電話いれたんだけど、繋がんねぇんだよー。んで、岳先輩に電話して、初めて兄貴の相手が美奈子じゃないって知った」  克哉は、むう、と拗ねたように唇を尖らせる。いい歳をした大人の男が見せる態度ではないのに、なぜか似合って見えるのは、彼の持つ愛嬌のせいか。  飾らないタイプを好む岳と、仲が良いのも頷ける。 「それで、どうしてここに来たのよ」 「だからっ、兄貴が心配なの! なぁ、大丈夫か連絡いれてくれよ」 「岳さんに入れてもらったら?」 「入れてもらったけど、電話に出なかったんだ。倒れてるんじゃないか⁉」  ふむ、と手毬は頷く。  克哉の言うことももっともだと、携帯電話を取り出す――けれど。美奈子が、それを遮った。 「ねぇ、本当に話したのは、付き合ってたってことだけ?」 「おう。結婚式の日に出会って、二十年くらい前まで付き合ってたって。いや、付き合ってたって言ってないな。関係を持ってたって言った!」 「何か具体的なこと、聞かれなかった?」 「え? ……あー、そういえば、連絡を取らなくなった頃について、聞かれたなぁ。あと、そのときの美奈子の様子とか」 「ミナちゃん、何か思い当たることがあるの?」  愛しい恋人の悩む姿も可愛いなぁ、と思いながら聞くと、美奈子は小さく頷いた。 「もしかしたら、有希ちゃんの父親が克哉だって思ったのかも」 「え?」 「ふぁ⁉」  手毬は勿論、克哉も驚いたように顔をあげる。 「だって、顔を青くしてたんでしょう? 片瀬さん、表情を滅多に変えない人なのに。あの人が露骨に表情を変えたのなら、有希ちゃん関係しかありえないもの」 「兄貴って、そんなに美奈子の娘にぞっこんらぶなの?」 「それはもうね。自覚はなかっただろうけど、多分、有希が小学生の頃からかなり好意をもってたと思うわ。私が諦めたほどだもの」 「へぇ、兄貴ロリだったのかー」  手毬は、笑えない話を作り笑いで聞く。  そもそも、この二人は久しぶりに会ったというのに、ものすごく仲がよさそうだ。「過去の恋人」というのは、こんなふうに穏やかに話ができるものなのだろうか。いや、違う。克哉の雰囲気が、そうさせるのだ。相手の警戒心をとくような口調と雰囲気で寄ってきて、素の美奈子を引き出している。  それは、手毬が簡単に真似できることではない。  手毬は克哉に嫉妬を抱かないわけではないが、それ以上に、尊敬の念を覚えた。 「じゃあ、その『有希ちゃんが克哉くんの娘説』っていう誤解を解けばいいんだね」  手毬がさりげなく話を戻そうとした、けれど。 「誤解じゃないわ。有希の父親は克哉だもの」 「えっ」 「まじで⁉」  手毬は、克哉を見る。まじで、と驚きの声をあげた彼は、ぽかんと口をひらいている。どうやら克哉も知らされていなかったらしい。  手毬は、ぎゅっと拳を握り締める。  当時、美奈子は結婚していたから、その旦那の子どもだと思っていた。おめでとうと祝った覚えもある。美奈子は父親が違うなどと一言も言わなかったし、今の今まで、疑いさえしなかった。  手毬は、美奈子が前の夫と別れた理由を聞いていないが、原因はそこにあるのかもしれない。 「ミナちゃん、そのこと有希ちゃんは知ってるの?」 「知ってるわよ」  手毬は、目を見張った。 「じゃあ……有希ちゃんは、慎が自分の伯父だって知ってて、恋人になったってこと?」  かつて、伯父と姪や、腹違いの兄妹ならば結婚できた時代もあったそうだが、それは遥か昔の話で、現代においては禁忌とされていることだ。  まさか、そんな漫画みたいな話が、こんなに近くにあったなんて。 「それはないっすよ。だって俺、兄貴と血つながってないっすもん」  先ほどまで驚いていた克哉は、今はあっけらかんとした様子で茶を飲んでいた。  立ち直りが早すぎる様子に驚きたいが、手毬には現在驚く要素がありすぎて、何から考えればいいのかわからなくなっていた。 「でもそっかぁ、俺に娘がいたのか~」 「私の娘よ。あなたの娘じゃないわ」 「いやいや、だから」 「戸籍上は、前の夫の子どもなの。あなたの出る幕はないから」 「ええー、でもさ。娘がいたなんて、なんか嬉しいな~。帰ったら、嫁さんに自慢しよっと!」 「きみソレ大丈夫なの⁉」  思わず手毬がきくと、「大丈夫っす、向こうも隠し子いるみたいなんで」と答えてみせた。なんとなく、克哉が別世界の人間に見えてきた。手毬はこんなにも動揺しているのに、克哉にはそれがないのだ。  ある意味で頼もしいかもしれない。 「……話を戻すけど、克哉くんと慎は血の繋がりがないんだね?」 「うっす。兄貴、おふくろの知り合いの子なんで。まぁ、兄貴は知らないっすけどね。俺も知ったの、兄貴が出て行ったあとでしたし。おふくろからは、兄貴には言うなって口留めされてるんで」  手毬は、額を抑えた。  慎一郎は、頭に超がつく真面目人間だ。  もし、有希を自分と血の繋がった姪だと思い込んでいるのなら、あの真面目人間はどうするだろう。 「はっ、無理心中とか⁉」  そんな結論に思い至って思わず叫んでしまう。 「ミナちゃん、どうしよう。もしそんなことになったら……ミナちゃん?」  美奈子は、自分の携帯電話で誰かに通話をかけている。  しばらくして、相手が通話に出たらしい。 「ええ、ううん、ちょっと聞きたいことがあって。そっち、片瀬さんどうしてる? うん、そうなの。昨夜、克哉が余計なこと言って心配させたみたいで……あらそう、ちょうどよかった。え? なんでって、だって知らないからよ。そう……あははっ、やっぱり?」  そのあと、いくつか話をしたあと、美奈子は通話を切った。 「大丈夫、片瀬さん元気みたい。今から有希ちゃんが、誤解をといておいてくれるって」 「そっかぁ、兄貴はあの話だけでその有希ちゃんが俺の子だってわかったんだ。さすがだなぁ、兄貴かっくいいー」 「私の娘だけどね」  美奈子が、釘をさすようにいう。  呆然とやりとりを聞いていた手毬は、はっと我に返ると、美奈子の肩を掴んで向かい合わせになる。 「きゃっ、なに?」 「有希ちゃんと仲直りしたの⁉」 「仲直りもなにも、喧嘩なんかしてないじゃない」 「あんなに、有希ちゃんが出て行くとき泣いてたじゃないか」 「いつも有希ちゃんには、甘えちゃうの。有希ちゃんは私をたくさん甘やかしてくれるから。別に喧嘩なんかしてないわよ。さすがに……有希ちゃんを片瀬さんに取られちゃうのは、面白くなかったし、色々言っちゃったけど」 「……ミナちゃんは、二人の関係を知ってたの?」 「有希ちゃんを迎えに行った日に知ったの。有希ちゃんの二十歳の誕生日にワインって……気障すぎない?」  手毬は、美奈子の様子をじぃっと眺めたのち、大きく息を吐いた。 (なんだろう。ものすごくこじれてる気がしてたのに、そんなことなかった、のかな? 女の人って、わからない)  頭を抱えたくなる手毬の前で、 「なになに、ワインってあの兄貴が有希ちゃんに贈ったの?」 「たぶんね。自宅に置いてあったもの。それから、シーツが洗濯もせずに乱れたまま放ってあったし。……さすがの私も怒るわよ? 嫌味のひとつやふたつ言いたくなるわよ? だって、お酒に酔わせて私の娘を寝取ったのよ⁉」 「あはははっ、兄貴やるじゃーん!」  手毬は、頭を抱えたくなる、ではなく、頭を抱えた。  ああ、なんだろう。  ふたりを見ていると、温かい目で遠くから見守っていたくなる。  たぶん、二人とも多くの経験をしてきたのだろう。ちょっとしたことは笑い飛ばせるような、そんな苦い経験を、沢山。  今、手毬が確実に言い切れることは一つだけ。 (こんなざっくばらんでふてぶてしいミナちゃんも、可愛いな~)  今夜書く日記は、とても充実したものになるだろう。
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