一、肉食グランギニョール

1/10
28人が本棚に入れています
本棚に追加
/48ページ

一、肉食グランギニョール

 今日は趣向を変えて雑談をしようと思って来たんだ。いや、一方的に話すことになるだろうから雑談ではないか。  まあ、そんな顔をせずに気楽に聞いてくれ。他愛もない話だ。貴方にとってはこれっぽっちも重要な話じゃない。  ——人間を食べたことはあるだろうか?  そんな怖い顔をしなくてもいい。悪趣味な質問だと感じる人もいるかもしれない——丁度今の貴方のように。けれどこれは面白半分で聞いているわけでも、からかっているわけでもない。  ……お前は食べたことあるのかって? 食べたことはない。本当だ。食べようと思ったこともないな。  しかし食べないのは食人行為を醜悪で非文明的だと思っているからじゃない。単にそういった文化が根付いた土地で生まれ育っていないからだ。  もしテーブルに人肉が並び、周りの大人がさも当然のように人間を食べていて、これを食べることが我々の慣習なのだと教育を受けていたなら、きっと食べていただろう。  あるいは人肉しか食べられないとしたら種だとしたら……。牛や羊が草をすり潰すしかないように、ライオンやトラが肉を貪る生き物であるように。  そういう生物だとしたら、人肉を食べていたんだろうな。生きていくためにはそうするしか選択肢がないんだから。  個人的な意見を長々と喋ってしまった。本音を言うと、こうして話をするのはあまり得意じゃない。子供の時分は、必要事項以外の会話を無駄だと思っていたんだ。  それも歳を重ねるうちに変わってきた。他愛のない話も無駄じゃない。いつか人生を振り返ったときに、きっと良い思い出として記憶に残っているのだろう。  今日という日もおそらく胸に刻まれるんだろうな。好ましい思い出とは言えないが。ただ、どんな過去も忘れないことを信念にしているんだ。  貴方はそういったポリシーを持っているだろうか? ……いや、この質問はやめておこう。答えは火を見るより明らかだからな。  それで——ああ、食人の話をしていたんだった。おそらく貴方は人間を食べたことがないんだろうな。表情から察するにそうなんだろう。  我々はどちらも食人を行わないわけだ。馴染みのない行為ということになるが、これがなかなかどうしてまったくの無関係というわけではないのだから不思議な話だな。  貴方はこの町についてどれぐらい知っているだろうか? ああ、あまり詳しくは知らないか。確か高校からは別の町に出たんだったな。  ……貴方について随分と詳しいのが不思議かな? こうして向かい合って話す仲なんだ。何ら疑問でないと思うが。  しかし寂しい話だな。この町は故郷だろう? それとも忘れてしまいたい場所なんだろうか。ここは骨を埋めたっていいぐらいの町だよ。  何故この町が葦船(あしぶね)市と呼ばれているか知っているだろうか。この国には数多の市町村が存在するが、どの町にも名前があり、由来がある。例に漏れず、この町にも立派な名前と由来があるわけだ。  小学生の頃、総合学習の一環で市名の由来を調べたことはなかったか? 自分の住んでいる地域についてよく知ろうと、町の至るところを探検させられたものだ。  生憎、専門じゃないんでね。詳しい話までは知らないんだ。せいぜい市役所のホームページに記載されている内容ぐらいしか知らない。それを念頭に置いて聞いてくれよ。  日本神話にイザナギとイザナミという神様がいるだろう。日本列島を産んだ神様だ。名前を聞いたことぐらいはあるかもしれない。  二柱の神は国や神を産んで、そこから話がどんどんと展開していくわけだが——正直に言うとその辺はあまり知らないんだ。  この神々が最初に産んだ子供は、ヒルコという神様だった。ただ、この子供は奇形児だったんだ。具体的にどういう姿で産まれてきたのかは知らない。  ヒルコを漢字で書くときには、吸血動物の蛭の漢字が宛てがわれるぐらいだから、手足が発達していなかったのかもしれないな。とにかく四肢があって二本足で歩く生き物ではなかったわけだ。  神様なんだからどんな姿で産まれてきたって不思議じゃないと思う気もするが、それは後世の人間の価値観に過ぎないのだろう。    結局そのヒルコは葦の舟に乗せられて、海に流されることになる。現代に生きる我々には到底聞き入れがたい話だ。今のこの国で新生児を遺棄したら犯罪になる。昔は違ったんだろうな、きっと。  ヒルコがその後どうなったかは諸説あるらしい。漂着した先で七福神の一柱であるエビスとなって祀られたという話もあるし——そういえば、この町にはエビス様を祭神とした神社が多いな。昔は漁村だったようだから、それも影響しているのかもしれない。  諸説あるうちの一つ。この町に残っている伝承では、「海に流されたヒルコは波に巻かれ、小さな島に辿り着いた」とある。それがこの町唯一の離島、昼子島(ひるこじま)だ。そう言われてみれば音が一緒だろ。  そして主を失った舟はある浜に流れ着く。それを見た人々は舟を知り、海に出て魚を獲るようになった。  島はヒルコの子孫たちが暮らしたから昼子島。浜には葦の舟が流れ着いて繁栄したから葦船市というわけだ。  さて、この話は今から話す内容の導入に過ぎない。  神々の時代から幾星霜も経て、島と本土には繋がりができ、人々が往来するようになった。そうなると中には、島の人間と本土の人間で結婚したいという人たちも出てくる。  けれど平成初期まで、この結婚に反対する家族や親戚は多かった。仮に結婚したとしても、後ろ指を差されることも多々あったそうだ。    いくら本土に近い島とはいえ、海を挟んでいるんだ。文化や宗教だって島独自のものがあるし、言葉遣いやイントネーションだって多少は違う。その土地によって違いがあるのは当然だろ? でも、その違いは余所者という形で差別や偏見に繋がった。  本土の人間は島民のことを「ヒルコの子」と呼んでいた。ヒルコの子孫だってされているからな。だけどこの呼び名はそういう単純な意味じゃない。  手足のない蛭のようなモノの子孫という意味だ。自分たち人間とは違う生き物だって言っているんだよ。  「足りないヒルコから産まれた島の連中と結婚すれば、産まれてくる子供はきっと足りない子供に違いない」……馬鹿らしいと一蹴しそうなものだが、この言葉を信じていた人は多かった。  しかし江戸時代にこの地域で鉱山が見つかって、多くの企業が町にやって来てからは、労働者としてかなり多くの島民が本土に移り住んだ。彼らは自分の出自を伏せて結婚をし、子供を産んだよ。  産まれてくる子供は奇形児でも何でもなかった。逆に奇形児が産まれた場合は、両親のどちらかが「ヒルコの子」なんじゃないかとか、母親が不貞を疑われたらしいが。救いようがない話だ。  今はもうそういった話も少なくなってきている。根絶したわけじゃないのが悲しいことだが。  自分の家系を最初から遡れる人間なんて珍しいだろ。もしかしたら自分だって「ヒルコの子」かもしれない。時代が進んだ今、この町の住人全てが「ヒルコの子」でもおかしくない。  第一、ご先祖様だって最初からこの町にいたとは限らない。別の大陸から海を渡って来たことも十分にあり得る。  島民を嫌っていた人々の言葉を借りれば、この町はすっかり人間じゃない奴らの町になったんだ。怪物の町だ。怪物だらけの町の方が良い。「人間」しか住めない町より。  なあ、だからこの町は怪物だらけなんだ。自分を人間だと思い込んだ怪物もいるし、必死に人間のフリをしている怪物もいる。問題ない。それでいい。他者を傷つけず、平和にみんなが過ごせるなら、人間だとか怪物だとかは重要じゃない。  ああ、みんなうまくやっているよ。気付かなかっただろう。家の隣の住人が、会社の同僚が、家族が……人間じゃなくても。  そうだ潜んでいるんだよ。何がって? 食屍鬼さ。人間の死体を食べる怪物だよ。  ハハハ、そんなイカれた野郎を見るような目で見なくてもいいさ。言っただろ。この町は怪物の町なんだって。みんな上手に正体を隠しているだけさ。  この町にはいるんだよ。食屍鬼が。カニバリズムじゃない。人間が人間を食べるんじゃなく、食屍鬼が人間を食べるんだ。  彼らは長い歴史の中で人間と交わったから、もうほとんど食屍鬼の血が流れていない者もいるし、独自のネットワークを形成して、今でも人知れず屍肉を食べている者もいる。  それでこの話が何かって? 我々にどう関係があると思う? ……彼らは屍肉を食べるんだ。生きている人間は食べない。だから無闇に人を襲って食べることもない。  いつだって故意に人を殺めるのは人間だ。そうだろう? そうだ。貴方は死んで彼らの血肉になるんだ。良かったな。救いがあると思えよ。いたずら半分に殺されて、焼かれて骨になるんじゃないんだ。  だから食肉に加工されるまで、少しぐらい苦しい思いをしても平気だろう。  ああ、やっとだ。やっと——。
/48ページ

最初のコメントを投稿しよう!