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東と再会したのは大学四年目の春のことだった。
キャンパスライフを茅は比較的満足に過ごしたように思う。就職活動が始まるまでは、幼い頃から好きだった日本文学を専攻に勉強できたし、文芸サークルに入って自身も筆を執るなどモラトリアムを楽しんでいた。
民間企業に就職するよりも公務員になろうと思い立ったのは、一つは安定を求めた結果であり、もう一つは警察官になった東の背中を知らずのうちに追いかけていた結果なのかもしれない。
大学三回生の夏休みからは本格的に公務員試験の勉強が忙しくなり、ついには祖父母とも連絡を取らなくなっていった。便りのないのは元気な証拠というが、祖父母からも連絡がなかったのですっかり安心していたのである。
茅が次に連絡を受けたとき、祖父は危篤状態となっていた。聞けば肺がんであったという。
茅が三回生に進級したときにはすでに入退院を繰り返している状況で、余命が幾ばくもないことを祖父も祖母もわかっていた。それにもかかわらず茅に何の連絡もなかったのは、誰でもない祖父自身が連絡することを拒否したからであった。
祖父にとっては可愛い孫である。最期の時間を共に過ごしたい気持ちはもちろんあったが、茅が遠い地で将来のために勉強をしていることを祖父は知っていた。
すでに両親を亡くし、別離の辛さを知っている孫のことである。もし病状を知れば、多少無理を通してでも地元に帰ってくるかもしれない。祖父は勉学に差し支えるだろうからと言って、祖母の説得にも最後まで首を縦に振らなかった。
茅が事情を知って駆けつけたときには、祖父はすでに帰らぬ人となっていた。
祖父が亡くなったのは四月であったから、月末には二つの試験が控えていた。しかし茅にとって試験は些末な事に成り下がっていた。再び訪れた家族との別れが、茅の張りつめていた心の糸を切ってしまったのだ。
祖父の死を悼む間もなく、茅は葬儀の準備に追われた。
両親を亡くしたときはまだ子供であったから、葬儀などの準備にも必要な手続きにもほとんど関わっていない。加えて祖母も心労で体調を崩し、茅は代わりに喪主を務めあげることになった。右も左もわからないまま茅は準備に奔走した。
茅が帰省してから祖母は何度も孫に謝るようになった。試験が控えていることを知っているからこその言動であったが、茅にはそれがよっぽど堪えた。こんなときにまで申し訳なさそうな顔を向けられるのは、気を遣われているようで鬱々とした。祖母にとっての家族という共同体に、自分が入っていないような気がしたのである。
そのときかもしれない。茅が故郷に帰ることに決めたのは。
自分があの事故で死なず、今まで生き延びてしまったのは、祖母を独りにしないことのように思えた。自分が傍らにいることで孤独が紛れるならば、自らの人生における幸福など後回しでよかった。
祖父の仕事仲間や祖母の友人の助けもあって葬儀は滞りなく終わった。
火葬場で焼かれた骨を見てもまだ祖父が亡くなったことを実感できなかったし、家の仏間に祖父の遺影が増えてもひょっと祖父が話しかけてくる気すらしていた。
茅のもとに東から連絡があったのは、もうほとほと疲れきって、明日には試験のために帰ろうとしていた日のことであった。
「仕事で参列できなくてさ。こんなときに来たら迷惑かなとは思ったんだけど」
再会して開口一番、東は困ったように眉を下げて謝った。
「ううん。じいちゃんも喜ぶと思うから」
三年ぶりに会った友人は、最後に会ったときから何ら変わりない。東が仏壇に線香を供えた後、二人はしばらく互いの近況を報告しあった。
「東くんは今どこにいるの?」
「まだ千代栄警察署だよ。でも今年で四年目だからなあ。そろそろ異動するんじゃないかとは思ってるけど」
「社会人ってやっぱり大変?」
「大変っちゃ大変だけどもう慣れたしな。何か気になることでもあるの?」
「うん、まあ。今年、就活生だから」
「もうそんなに経つのか。そうだよなあ。俺もう今年で二十四だもんな。茅は就職先とか決まってるのか?」
「公務員一本に絞ってるからまだだけど……」
「どこに行きたいとかあるのか?」
「合格させてくれるなら正直どこでもありがたいけど。僕も東くんみたいに警察官になろうかな、なんて」
「ははは、やめとけよ。公務員なら警察以外でもいいだろ」
「何でやめとけなのさ。僕が部下になるのは嫌?」
「職場の俺を見られるのが嫌なんだって。第一、こっちに帰ってくるつもりなのか? せっかく出ていったのに、わざわざ田舎に戻ってくることないだろ」
「……でも、僕が出ていったらばあちゃん一人になるし」
東は一瞬目を見開いて、それから眉尻を下げて微笑んだ。骨張って血管の浮き出た大きな手のひらが、茅の頭をわしわしと撫でる。
「あんまり無理するなよ」
「無理なんかしてないよ」
「まあ、何かあったら相談ぐらいには乗るからさ。たまには連絡よこせよ」
「……うん。ありがとう」
次の日、茅は下宿先へと戻った。
提出するつもりのなかった葦船市役所へと願書を郵送し、採用試験の日を待つ。慌ただしい就職活動が終わりを告げたのは、秋が深まる頃、市役所から合格通知が送られてきたときのことであった。
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