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「えっとそれで……」
着替えを済ませて東に視線を送る。苦しそうな顔はすっかり鳴りを潜めて、いつもどおりの困り笑顔で東はこちらを向いた。
「話って?」
「今朝方、公園の駐車場で死体が見つかった」
「死体? それって……」
「死体の数は全部で三体。二体は全身に刺し傷のある顔のない死体で、もう一体は首に縄の跡がある変死体だった。茅、首吊り死体を見たって病院で言ってただろ。それとフードを被った二人組に襲われたって」
茅は無言で首を縦に振った。
「正直、茅の言っていること全てを理解できているわけじゃない。けど、実際にそういう死体が発見されている。俺はお前が故意に嘘をつくような人間じゃないって知っているから、お前の言うことを信じるよ」
「僕が怪物に襲われたってことを? 僕がそいつらを殺した気持ちの悪い怪物だってことも? 東くんは信じるの?」
「それが茅にとっての真実なら、俺もそう受け止めるよ」
「じゃあ、東くんは僕のことどうするの?」
「どうするって?」
「だって僕、人を殺したんだよ」
「うん」
「逮捕とかしないの?」
「たとえそれが事実だとしても、全員が全員それを事実だと受け入れるかは別の話だと思うっていうか。俺が受け入れるのは、俺と茅の間に関係性があるからだ。けど、他の人間は違うだろ。この話を聞いて、事実だと思う人間の方が珍しいと思わないか? 明確な証拠もないわけだし」
「じゃあ、東くんはどうもしないの?」
「俺がどうこうできる話じゃないしなあ。もしお前が本当に人を殺したっていう証拠がでてきたら、話は変わるけどな。茅の言うことが事実でも、真実がそれだけとは限らないわけだから。俺はどうもしないよ」
「東くんはいいの? それで」
「なあ、茅。俺は確かに警察官だけど、それ以前にお前の友人でもあるわけだ。お前が犯人だって明確な証拠がでてきたならともかく、好き好んでお前を犯人に仕立てようなんて思うはずないだろ」
「……そうかもしれないけど」
「第一、千鶴さんはどうなるんだ。自分が犯人だと思って名乗り出るのも自分を痛めつけるのも、茅は自分しか傷つかないと思ってるかもしれないけどな、残された家族の人生も無茶苦茶にする行為だと俺は思うよ」
茅はそう言われて口を閉ざす。
東は茅のそんな様子を見て、ばつが悪そうな顔をした。
「いや、ごめん。お前を責めたいわけじゃないんだ。ただ……」
「ううん。確かに僕も自分でおかしなことを言ってる自覚はあるよ。東くんが信じてくれるのは嬉しいけど、それは特殊な話であって。僕は僕が体験してるからこれを事実だと思ってしまうけど、他の人にとってはそうはいかないもんね。僕の言動に周囲の人を巻き込むわけにはいかないと思う。ごめんね」
「……ああ。それに茅の言う話が本当なら、相手も人間じゃないわけだろ」
「人と犬が混ざったような姿をしてたけど……」
「公園で発見された死体は顔がなかった。お前がわざわざ顔を引きちぎったなら別だが、そうじゃないなら何か意味があると思う」
「顔は……ちぎった記憶はないかな」
「とにかく、あの死体は三体とも解剖に回されたから結果を待ってからでも遅くないだろ。怪物云々は置いておいても、不審な点が多い事件だからな」
東はそれ以上事件について話すような素振りは見せず、制服の上着を脱いで伸びをする。
茅はこの町で何かが起きているような気がして仕方がなかった。
「そうだ、茅。刑事さんがお前から話を聞きたいって言ってたぞ。携帯にも電話したって言ってたけど」
「そうなんだ。病院から帰ってすぐに寝ちゃったから気付いてなかったな」
「調子がいいならできるだけ早めに話を聞きたいみたいだったけど」
東はそう言って、ふと茅の首元に目をやる。
東の眉間に皺が寄ったのを見て、茅は自分の身体が傷だらけであることを思い出した。
「もう少し良くなってからの方がいいよな」
「大丈夫だよ、別に」
茅はそっと首に手をやって傷を隠す。
「その……ちゃんと隠すから」
東は何か言いたげな顔をしたが、それ以上口を開くことはなかった。
茅はそんな東の姿を見て、チクリと胸が痛む。
「……あの、ごめんね」
「どうしたんだよ、急に」
「だって、東くん、僕と一緒に暮らしてるから。僕が変な奴だってわかったら、東くんまで肩身が狭くなるでしょ」
「確かに茅は変わってるかも知れないけど、俺はそれが嫌だとか恥ずかしいとか思ったことないよ」
「別に無理しなくていいよ。僕も僕みたいな奴は嫌だと思うし」
「本当に俺がお前のことそう思ってたとして、わざわざそんな人間と一緒に住もうとか言うわけないだろ」
「でも東くんは優しいから……」
「買い被りすぎだって。優しさだけで赤の他人と一緒に暮らすわけないだろ」
「……面倒臭いこと聞くけどさ、それならどうして僕と同居してるの?」
「お前が心配だったのと寮から出たかったから」
きっぱりと言い切られ、茅は複雑な顔で押し黙る。それだけの理由で自分のような人間と暮らす東の考えが、茅にはやはり理解できなかった。
「なあ、茅」
「何?」
「俺はお前が思っているより、お前のことが好きなんだよ」
「……そういうのは僕に言う台詞じゃないと思うけど」
「別に変な意味じゃなくな。純粋に茅といて楽しいからここまで付き合いがあったわけで。お前がどう思ってるかは知らないけど」
東はそう困ったように笑うと、「風呂入るわ」と言い残してさっさと部屋から出てしまう。
一人取り残された茅は、何だか自分が矮小な人間のように思えてため息を吐いた。
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