四、曖昧ノスタルジア

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 茅が昼子の海を訪ねてから数日が経過した頃、村田から一通のメールが送られてきた。内容は松木の就労支援を担当していた職員を紹介するというもので、茅は早速その職員と会う手筈を整えた。    相手方が昼休憩を割いて茅に会うというので、昼食を食べながら話をという流れになり、待ち合わせの場所には市街地にあるカフェが指定された。  近くに市役所があるので、昼休憩中の職員と遭遇しないことを祈りつつ、茅は約束の当日を迎えた。  着替えを済ませて居間に向かうと、珍しく朝寝坊したらしいスウェット姿の東と鉢合わせる。ここ最近は休日返上で働いていたせいか、東は少し疲れた顔つきをしていた。 「どこか出かけるのか?」 「うん。ちょっと」  部屋から出ないことも多い茅がよそ行きの格好をしているのを見て、東は不思議そうな表情を浮かべた。 「送ろうか」 「いいよ。東くん、やっと休みなんでしょ。それと今日はお昼食べてくるから」  普段は食欲がないと食事を嫌がる茅が外食をするという。東は不可解なものを見るような目で茅を見た。心配をかけたまま出かけるのも気後れして、茅は慌てて理由を取り繕った。 「あの、職場関係の人と会ってくるから……」  浮気を誤魔化す恋人のようで、茅は自分が心底嫌になった。  誰と会ったところで、東が苦言を呈するはずもない。彼との関係性を考慮しても、茅が誰と会って話そうが自由なはずだ。それでも素直に打ち明けられないのは、彼に内緒で動きたいという自立心とそれ故に自分の行いを疚しいと感じる心のせいなのだろう。 「夕方から冷え込むらしいから気をつけろよ」  東はそれ以上詮索する様子を見せず、コーヒーを啜る。茅もそんな東の態度に安堵した。 「防寒具とか一応車に積んどけよ。茅は本当に風邪引きやすいんだから」 「防寒具……どこしまったか忘れちゃった」 「俺の貸すから持ってけよ」  東は飲んでいたマグカップを机に置くと、軽やかな足取りで二階にある自室へと駆け込んでいった。  つけっぱなしになっていた居間のテレビをぼんりと眺めながら東を待つ。昼のワイドショーでは、時効を迎えた事件の被害者家族を特集していた。 「ほらよ」  居間に戻ってきた東は、黒いマフラーをぐるぐると茅に巻きつけた。口まですっぽり覆われた茅の姿を見て楽しそうに笑う。近頃疲れ気味だった友人の笑顔を見て、茅も思わず口元が綻んだ。 「それじゃあ、夕方には帰ってくると思うから。いってきます」 「ああ。いってらっしゃい」  東の声に見送られ、茅は車へと乗り込んだ。十分ほどかけて市街地まで向かい、大通りから少し離れた場所に位置するカフェに車を駐めた。  時計を確認すれば予定よりも五分ほど早い。店内に入って待っていようと車を降りる。  四角い形に青い塗装が特徴のカフェは、この田舎町では異質な存在だ。小さなベルのついた扉を開ければ、店内は休憩中であろう会社員や世間話に花を咲かせる女性たちで賑わっている。  茅が周囲の様子を窺っていると、腰巻きエプロンをつけた店員らしき女性が小走りで近寄ってきた。 「いらっしゃいませ。一名様ですか?」  鈴を転がすような女性の声に狼狽えながら、茅は店員に待ち合わせだと告げる。店員は少し面食らったような顔をしたが、すぐに店内を見渡して窓際にあるテーブル席を指し示した。 「あちらのお客様ですかね」  待ち合わせの相手の顔を知らないので、そう言われたところで首を捻るしかないのだが、店員の親切を無碍にするような行為は憚られた。  茅は肯定も否定もせずに礼だけ述べると、待ち人らしき男のもとへと向かう。  二人掛けのテーブル席では髪を焦茶色に染めた爽やかな顔の男が、スマートフォンを弄りながら水を飲んでいた。テーブルの前まで歩みを進めると、画面に釘付けになっていた男の顔が茅を見上げた。 「……一色さんですか?」  凛々しい面持ちの男に気圧されて、茅は伏し目がちにそう尋ねた。長い睫毛がふるふると揺れる。 「あ! もしかして鬼生田さんですか」  男は柔和な微笑みを浮かべて、向かいの席に座るように促した。茅はつるりとした表面の木の椅子に腰を下ろす。 「すみません。自分もう飲み物とか注文しちゃって。鬼生田さんはお昼まだですか? ここ、この時間帯はランチ三種類から選べるんですよ」  よく喋る人だ——茅はそう思いながら男の言葉に相槌を打つ。  手渡されたメニューを開いてみたものの、常に食欲不振気味の茅にとっては、セットの内容を読むだけで胸がつかえるような代物であった。 「そういえば、自己紹介とかまだでしたね」  男は快活に笑った。茅もつられるように淡い笑みを浮かべ、メニューを机の端に置く。男は自身の鞄をぐるりと弄ると革の名刺入れを取り出して、その中の一枚を茅に手渡した。  名刺へ視線をやれば、一色始という彼の名前と所属が書かれていた。村田に紹介すると言われた職員で間違いがないと確信し、茅はようやく安堵する。 「生憎、名刺を今は持ち合わせてなくて……鬼生田茅といいます。今日はお手数をおかけして申し訳ありません」 「全然! こんなことでもないと昼休みも仕事しちゃうんで」 「お忙しいんですね」  一色はとんでもないというように手を横に振って笑った。  悪い印象は持たないが、快活な人間というのは茅が苦手とする手合いでもあった。明るい人間と接していると気力も体力も酷く消耗する。  そういった意味合いでは、凪いだ海のような人間といるのが茅は好きだ。だから東といても居心地が悪くないのだな——などと考えながら、茅は一色の様子を見つめていた。 「すみません!」  一色はよく通る声で店員を呼んだ。  卓上にはベルもボタンも何もなく、注文するには店員を呼ぶしかない。こういった場所に茅は滅多に来ないが、もう二度と来ることもないだろうと思う。  昼時で忙しいのだろう。小走りで駆けつけた店員は茅の注文を聞くと、厨房へ足早に去っていった。 「その……村田さんからはどこまで聞いていらっしゃいますか」  どこから説明したものかと思い、茅は不安の色に染まった瞳で一色を見上げた。 「あー、松木さんについて話を聞きたいということだけ」 「そうでしたか……」  一色がほとんど話を聞かされずにこの場に来たのを知って、茅は申し訳なさを感じると同時に心配になった。親類縁者でもない人間が故人の話を聞くというのだから奇妙に思われているだろう。そう思うと途端にきまりが悪くなった。 「その……松木さんが亡くなったのはご存知ですよね」 「刑事さんがいろいろ聞きに来られましたから」 「駐車場で遺体が見つかる前、松木さんは山頂にある展望台で首を吊っていました。僕はそれを偶然目撃して、松木さんの遺体を遺棄しようとしていた人間に襲われたんです」  苦笑いを浮かべていた一色も事情を知るにつれて表情が薄れ、瞬きを何度も繰り返しながら茅の話を聞いていた。どう順序立てても効率よく説明できる気がせず、茅は思いついた部分からがむしゃらに喋り続ける。 「犯人は松木さんの関係者かもしれない。そう思って松木さんが支援を受けていたという貴団体をお訪ねしたんです」 「つまり鬼生田さんは松木さんの知り合いに襲われた可能性があるということですか? 松木さんもその知人に殺されたと?」 「あくまで僕の推測に過ぎません。松木さんに関しては、僕が見たときにはすでに縊死した状態でした。松木さんは自殺で、彼らは遺体を遺棄しようとしていただけかもしれないですし……どのみち僕にはわかりませんが」  お待たせしました、という言葉が天井から降ってくる。銀の盆にプレートを載せた店員の出現に二人は会話をやめた。沈黙が流れるテーブルに料理が運ばれる。茅はそれを暗鬱な色の瞳で見つめていた。
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