四、曖昧ノスタルジア

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 茅はプレートに盛られたサラダをフォークに突き刺し、青虫のようにちまちまと食べる。一色は浮かない顔のままライスを一口すくっていた。  食事が来てから明らかに口数が少なくなった。食事の前に首吊りだ死体だなどと話すべきではなかったのかもしれない。茅は密かに反省しながらも一色に協力を仰いだ。 「うーん。松木さんの知り合いまでは自分もわからないですね。というか友人なんていたのかなあ」 「ご家族や親類の方は?」 「いなかったんじゃないかな。いても縁は切られていたと思いますよ。少なくとも生活費を融通してくれるような知り合いはいなかったでしょうね」 「お勤めされていたんですよね。会社の方はどうなんでしょう」 「就職されたのも最近だしなあ。目立ったトラブルもなかったし、勤務態度も問題なかったみたいですけどね。恨まれることはなかったでしょうけど、会社で馴染めていたかどうかはちょっと……」  何を聞いても暖簾に腕押しといった具合で、手がかりが出てきそうにない。茅は落胆し始めていた。 「その……亡くなった松木さんはどういう方だったのでしょう」 「松木さんですか? どうって、まあ、普通のおじさんって感じでしたね。自分もおじさんですけど。この仕事していて思うんですけど、意外とわかりやすく怖い人って少ないんですよ。ネットでは逮捕歴があるって騒がれてたみたいですけど。話している分には普通の人……何なら真面目な人というか」 「殺されるような人ではなかったんですか」 「なかったのかなあ。少なくとも自分は思わなかったですけどね。自分がしたことも反省されてたし。でもやっぱり世間の目は厳しいですよ。特にこの町は人間関係が密というか。家でも仕事でもそうですけど、自分はいいけど周りが嫌がるだろうから、前科がある人はお断りみたいな話もありますし」 「それでも松木さんは住む場所も仕事も問題なかったんですよね」 「ないとは言い切れないですよ。できる限りサポートしてますけどね。人の心までは変えられない。まあ、彼らがしたことはもちろん間違いではあるんですけど、法で裁かれ罪を償って出所しても、執拗に叩こうとする人っているじゃないですか。加害者が幸せになるのを許さない第三者の問題って厄介なんですよね」 「つまり松木さんは生活の中で誰かからの嫌がらせを受けていて、それを苦に自殺した可能性もあるということですか」 「殺されたというよりは、そっちのがしっくりきますね。まだ」  溜め息混じりに一色は言った。  結局のところ茅が望むような話は聞くことができなかった。故人が抱えていたであろう心の闇を垣間見たようで、気持ちは落ち込むばかりだ。  一色がそろそろ仕事に戻るというので、茅も席を立つことにした。皿の半分ほどは胃の中に押し込めたが、それ以上はどうにも身体が受けつけなかった。    勇んで出てきた手前、手ぶらで家に帰る気にもなれない。収穫なしで帰ったところでそれを責める人間などいないのだが、真っ直ぐ帰宅するにはあまりに空虚であった。  行くあてもないまま車を走らせているうちに市街地を離れ、町を南北に流れる昼子川に沿って山の方へとひた走る。途中でかつての母校が改修されているのを見つけたので、懐かしさに耽ろうと茅は車を降りた。  子供の頃は随分と広い校舎に思えていたが、大人になった今は幾分かこじんまりとして見えた。灰色の布で覆われた校舎には、休憩中なのか作業員も見当たらない。少し離れた運動場からは子供たちの黄色い声が響いていた。  懐かしい光景だと思う。こうして改修を進めていくうちに、まったく知らない景色へといつか変貌するのだろう。そう考えた途端に虚しくなって、茅は踵を返した。  川沿いを少し散歩してから帰ろうと茅は土手を下っていく。急勾配の石階段は長年雨風に曝されたのか崩れかけていた。  時間帯のせいか人はいない。昔、祖父と遊びに来た頃はもう少し活気があったような気がするが、それすら思い出が美化された記憶なのかもしれない——茅は物思いに耽りながら川の流れを見つめた。  しゃがみこんだままぼんやりとしていると、突如として肩を叩かれる。驚いて振り返ってみれば、見知らぬ老齢の男が立っていた。男は赤ら顔で酒臭く、一目で酔っ払いだとわかる。  茅は酔った人間が苦手だった。理性のある人間とは思えない振る舞いも、それを酒のせいにしてしまう希薄な責任感も見るに耐えがたい。 「兄ちゃんよぉ、ちょっと金貸してくれや」  嗄れた声で男は言った。  茅は男を見上げたまま硬直する。突然のことに言葉が出てこず、金魚のように口をぱくぱくとさせた。 「……お金ですか?」  まともな会話など望めるはずもないのに聞き返してしまい後悔する。男はカラカラと笑いながら、遠慮もなく茅の肩を叩いた。 「ちょっとでええんやわ」 「えっと、その……」  走って逃げてしまいたかったが、身体が言うことを聞いてくれない。素直に金を渡してしまった方が面倒事にならずに済むだろう。しかしそれは自分のためにも老人のためにもならない気がした。
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