壊れた橋の下で

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壊れた橋の下で

 翌日からはまたいつもの日々が続いた。  格闘大会翌日の朝こそ、気持ちがリセットされたおかげで前向きに作業に取り組めたが、いかんせん、作業自体が極めて単調で非効率、やりがいがないためすぐに滅入って来た。余計な希望はもたず、淡々とただ時が過ぎるのを待つように作業する。それがコツだと思う。  ここ最近、少し気温が下がってきた気がする。この世界にも季節があるようだ。秋なのだろうか。最近、雨も多い。秋雨と言ったところだろう。  そんな生活を繰り返し、10日くらい経っただろうか。休みをもらった。  タカオさんに「白の森の近辺に生えている草や木の実などが食べれる。美味しくはないが食料になる」と教わり、行ってみることにした。ヘイリー対策のため、音がよく出る乾いた木と硬めの棒を準備しでかけた。  川近くに差し掛かると、一人、川の近くで黙々と作業している者がいた。スィーはいない。そこには昔に壊れたであろう橋の残骸が一部だけ残っている。他の残骸は持ってかれてしまったのだろう。ヘイリーか?警戒しながらゆっくりと近づくと、見覚えのある男だった。あの格闘大会で優勝した柔道男だった。  恐る恐る近づく。何か変わったことをしているわけではない。橋を修繕しようとしている様子だ。  「あのー。お仕事中すみません。」  柔道男は素早く振り返り、身構えると同時にギロッと睨みつけてきた。そのゴツゴツとした巨体、腫れ上がったまぶたに膨れた唇、オニダルマオコゼを思わせるその顔つきに話しかけたことを少し後悔した。  「なんだ。お前?」  「すみません。急に話しかけてしまい。失礼ですが、格闘大会優勝された方ですよね。」  「あ、ああ。」  柔道男は不機嫌そうに言った。優勝賞金ももらっただろうし、もっと至福に満ちた様子でも良さそうだが。  「優勝おめでとうございます。格闘大会、すごかったです。興奮してみてました。僕には到底できません。すごかったです。」  取ってつけたような言葉しか出てこなかった。柔道男は、一切笑みもせず、「ああ」とだけ答えた。  「ここで、何をされているのですか?」  「この橋を直せと・・。そう言われてよう。」  「一人で?」  「ああ、そうみたいだ。今日で3日目だが、他には来ねえ。何していいかわからねえ。で、お前は?」  自己紹介しながら、休みなので白い森に行こうと思っている事を伝えた。柔道男はそれを聞き、呆れたようにため息をついた。  彼のスィーもいないし、僕のスィーも今はいない。気になっていたことを単刀直入に聞いてみた。  「あの、失礼ですが、アドミニストレーターとは会われたのですか?」  少し目付きが変わった。より不機嫌になったようだ。  「すみません。」  思わず謝った。柔道男は辺りを見渡してから、静かに言った。  「ああ、会ったよ。」  会ったのか?アドミニストレーターは存在するのか?  「あの、どんな方なのですか?そのアドミニストレーターって。」  柔道男は僕を手招きし、岩陰になる場所へと移動した。スィーにアドミニストレーターの話をしていることを知られるとまずい事は周知の事実のようだ。  柔道男は滑舌の悪いその口でその日のことを語ってくれた。  優勝報酬はすぐに貰えた。翌々日の訪問販売が来たときに、貯めたポイントでチケットを購入し、スィーにアドミニストレーターに会いたい旨を伝えた。  その翌日、100匹ぐらいのスィーに囲まれながら、白と黒の森の丁度境目となる道へと連れてかれた。3時間近く歩いただろうか。ひたすら山の方へと歩いてゆく。すると、縦長のマンションのような建物が見えてきた。この世界にこんなものがあるのかと驚いた。  マンションの入り口を入るとすぐ目の前にエレベータがあった。それに乗り最上階である10階へと行った。エレベータが開くとすぐそこには部屋があった。灰色のコンクリートの壁に囲われた部屋に椅子と机だけが置かれていて、正面には黒く大きなスピーカーのようなものが置いてあった。天井は高く、ところどころに照明があり、部屋全体が明るく照らされている。斜め上を見るとガラス張りの小さな部屋がもう一つあるのが見えた。何やらコンピュータ機器のようなものがいくつか置かれているように見えた。  椅子に座って待っていた。  しばらくするとスピーカーがオンになり、カチカチと音がし始めた。その後声が聞こえてきた。声が変えられている。テレビで匿名の者からインタビューを受けるときに聞く声だ。声の質からおそらく男だろうことがわかった。  「ようこそ。こちらへ。ええと、ナンバー844。オオコウチ クニオさん、29歳ですね。ここでの生活は3年くらいでしょうか?」  「何だ、知っているのか?」  「ええ。柔道で全国大会にも出られているようですね。犯罪は、詐欺、窃盗で数回。最後は、強盗殺人で、流刑ですね。柔道で全国大会にも出られているような方がなぜ強盗殺人など?」  「関係ないだろう。」  「柔道で夢を絶たれ、犯罪の道へ・・といったところでしょうか?」  「関係ないと言ってるだろう。俺は、ここに来れば元の世界に戻してもらえると聞いてここまでやってきたんだ。おい、元の世界に戻してくれよ」  少しの沈黙ののちまた機械の声が続く。  「随分と偉そうな態度なのですね。私は偉そうな態度の人間は苦手です。」  「ああん?」  「被害にあわれた方や、ご遺族の方に対してはどう思われているのですか?」  「だからお前には関係ないだろう。俺をこんな目にした奴らが悪いんだ。俺は誰よりも努力してきた。俺は完璧だ。悪いのはまわりだ。」  苛立ちで震える。  こいつの言う通り柔道一筋でやってきた。誰よりもがむしゃらに努力したつもりだ。しかし、本当に脚光を浴びるのはほんの一握りだ。やがて自分を諦めるようになった。諦めず努力すれば必ず報われる。それは成功したものだけが言える言葉だ。ほとんどの者は努力したって報われない。  やる気を無くし悩み続けていた、そんな自分を周りも責めるようになった。腐った落ちこぼれ。皆からそう言われている気がした。そんなときに高校時代の友人からあるアルバイトの話があった。興味本位で手を出した。あとでその友人にも騙されていることに気がついたがもう遅かった。  俺を見下し、利用した奴らに恨みの念を抱くようになった。やがて金銭に困るようになり窃盗を繰り返した。老人宅で盗みを働いていたとき、出くわした住人を振り払って逃げようとした際に、住人を殺してしまった。ころんだ際の当たりどころが悪かった。事故だ。俺は何も悪くない。  「完璧?それは間違っている。この世に完璧な人など存在しませんよ。」  「はあ?」  「ちゃんと証明もされてます。あなたも数年前のパンデミックは経験しているでしょう。その時にはっきりした数値として出ているのですよ。」  頭に血がのぼってくる。変な機械声、無駄な丁寧語も見下されているようで腹が立つ。こんな環境下でずっと我慢しポイントを貯めてやっとここまで来たんだ。さっさと願いを聞け。  しかしここで拗れるのも得策ではない。少し付き合ってやるか。  「数値で出てるってなんですかい?」  「あなたも年始の駅伝大会はご存じでしょう。大学生が2日間に渡って大学一を決める大会です。」  「あ、ああ。あんま見ねえけど。」  「あのパンデミックが発生した年の翌年の年始の大会は、中止も検討されながらも徐々に感染者が減ってきたこともあって早々に開催することを決定しました。しかし注目度の高い大会で毎年、沿道での応援で人に溢れる。そのことがパンデミック拡大の原因となることを懸念し、開催が決まってから新聞、テレビコマーシャル、電車の中吊り広告、駅伝コースの陸橋の垂れ幕などいたるところに、沿道での応援は控えるよう忠告されました。数ヶ月前からです。おそらく目にしなかったものは居ないでしょう。  それでも実際に大会の様子がテレビに映し出されると、目を疑うほどの大勢の人が沿道で応援してました。中には目立つ格好をしてわざとテレビに映ろうとしている者までいた。  後の統計で、沿道の応援は例年に比べて85%減少したとのことで、呼びかけは効果あったと報道されていました。しかし、本来ならば、数ヵ月に渡りあれだけ呼びかけたのだから、ほとんど居ないのが本来あるべき姿でしょう。なのに15%の人間は守らなかった。つまり、人間というものは、どれだけ丁寧にお願いしても15%の者は一切言うことを聞かないことが数字で立証されたわけです。」  「へえ・・・。で、何なんだ?」  「私はこの15%という数字を見つけてから、すべてのものは必ず15%の悪、過ち、弱みがあると考えました。そして数年研究を続けそれが正しいと確信しております。」  「はあ?んで、俺もその15%のポンコツだって言いたいのかい。」  「全く理解していただけなかったようですね。成否の問題ではないのです。必然だと言っているのです。」  意味のわからない持論を展開されいっそう腹立たしさが増す。  「いいから、願いを聞いてくれると聞いたからここまで来たんだ。早く願いを聞いてくれよ。」  小さくため息が聞こえた。俺に呆れているのか?いちいちイライラする。まあ、なんだっていい。  「願いとは何でしょうか?」  「さっきも言っただろう。この世界から出してくれないか。また自由になりたいんだ。」  「なるほど。いいですよ。でも後悔すると思いますけど。」  「なに?どうしてだ。」  「外に出ると言ってもあの島に戻れるだけですよ。あの島に戻ればいずれ死ぬだけです。良いのですか?」  なんだと?それでは意味がない。  「ふざけるな。俺の故郷に返してくれ。」  「それは、技術的に不可能ですね。」  意味が分からねえ。何でも願いを聞いてくれるんじゃねえのか?いったい今までの努力は何だったんだ。いつだってそうだ。俺が死ぬほど努力したって絶対に報われない。  「ふざけるな。じゃあ、いい。この世界でお前と同じ地位で一生遊んで暮らせるようにしてくれ。どうだ?」  「それも、仕様上、無理です。」  技術、仕様?なに言ってやがる。  「何でも願いを叶えてくれるんだろう。」  「そんな事、誰が言っておりましたか?私は言った覚えはありません。単なる噂でしょう?」  机を両手で叩きつける。  しばらくスピーカーは沈黙する。数分後、また深いため息とともに機械声が流れる。  「いいでしょう。最大限、こちらで検討させていただきます。」  その声とともに数匹のスィーが周りを囲み始めた。  「コッチダ」  なんだか納得が行かない。しかし、スィーの威嚇行動に逆らう事はできない。言われるがまま建物を後にした。  その後、スィーからこの橋の修繕を命じられた。時期にアドミニストレーターの返事が来るはずだ。3万ポイントも払ったんだ。返事がなければあの建物ごと破壊してやる。  「男の人だったのですか?」  「姿は見えなかったけどな。多分そうだろう。」  「すみません。他にはなにか言ってましたか?」  「あん?何でだ?」  「いや、すみません。興味本位で・・・。」  しばらく頭を掻きながら考える。  「そう言やあ、駅伝は毎年歩いて沿道まで行って見てるっつってたな。なんとか坂とか、川があるとか、定点がなんとかって。よくわかんねえけど車は運転できないから自転車で近くまで行くとか言ってた。」  一体何者なのか?そいつがこの世界を作ったとしたら何が目的だというのだ。  柔道男はふとなにかに気が付いた様子で、小さく「じゃあな」と言うと壊れた橋の方へと戻った。僕も察し、柔道男と逆の方へと何事もなかったかのフリをしその場を去った。  少しすると、僕のスィーが頭の上へやってきて浮遊し始めた。  その数日後の休みの日、同じ場所に行ったとき、オオコウチ クニオさんの姿はどこにも見当たらなかった。  それから彼の姿を見ることはなかった。
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