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絵
ショウイチさんの死後、スィーに監視台の仕事に付かせてほしいと直訴したが却下された。しつこく頼むと、機嫌を損ねたようで威嚇行動を始めたため諦めた。
それから虚無感に包まれる日々が続いた。
もちろん仕事をして行くうちに、顔見知りも増えたし、生活にも慣れてきた。近くにタカオさんもいる。それでもショウイチさんの死は僕の中の何かを全て奪った。
昔、死刑執行に立ち会ったことのある刑務官がたまたま誰かに漏らしているのを聞いたことがある。
「心から過ちを反省していた模範囚と言える人だった。最期は、静かに抵抗もせず執行台に立ったよ。死刑囚だって人なんだ。目の前で宙ぶらりんになり絶命してゆく姿をみて平気な人なんて誰もいない。」
刑務官の心の負担を軽減するために発案された流刑。でも同じことではないか。あの島に上陸したときに送り出してくれた刑務官も優しく、無念を滲ませながら僕たちを送り出してくれた。極刑など誰が幸せになるのだろうか?
この世界にも季節がある。
日に日に肌寒くなってきた。心無しか雨の日も増えた。
寒さ対策のため、僅かなポイントを使用し体にかけるための大きめの布切れを買った。また、時間を見ては森の方へでかけ、木々や枯れ葉を集め地面に敷いた。
両隣は相変わらず、糞尿を漏らす、理解できないこと言う、を繰り返した。たびたびスィーに面倒を見るよう指示された。
ある日スィーに普段2人は何をしているのか訪ねてみた。聞くのを躊躇していたことだ。スィーは何もためらうこと無く教えてくれた。
左の老人はたまに肥溜めや格闘技場の掃除をしているそうだ。しかし、肥溜めは良いが、各闘技場の掃除中によくそこ場に用をたしてしまうため自分でその掃除に追われたり、また一緒に働いているものにけむたがられ罵声を浴び、渋々帰ってくる事が多いそうだ。
右のナポリタンおじさんはなんと仕事は何もしていないとのこと。日中、ふらっと出歩き、ただひたすらぼーっとしているそうだ。何度も仕事を依頼したが何をさせてもできず、おそらく本人も自信を失っているのだろうとのことだ。彼は普段も一切僕以外の人とは接っしていないのだという。孤独だ。最低限の食事や生活の面倒などはスィーが見ているそうだ。
そんなある日にまた休みをもらった。その日中ふと歩いていると、ナポリタンおじさんとスィーが何もない地べたで何かしているのが見えた。近づき見てみると、ナポリタンおじさんがしきりに地面に絵を書いていた。その絵はほぼ書き終えていた。トンボだ。とても上手に書けている。
「すごいですね。これ、おじさんが書いたのですか?」
返事はなかった。無我夢中で書いている様子だった。
「デモ、ジブンデ、ケシテシマウ。」
どういうことだと思い見ていると、ナポリタンおじさんは両手でその絵をぐちゃぐちゃに消してしまった。驚いてみていると、また同じ場所に別の何かを書き始めた。
「コレヲ、ナンドモ、クリカエス。」
今度は、ダンゴムシのようなものを書き始めた。輪郭を書いた後、細かい部分を丁寧に書いてゆく。あまりこの岩場だらけの世界ででダンゴムシを見たことはない。どうしてモデルもないのに描けるのだろう。そしてなんて繊細なのだ。その手さばきに関心する。
「ナポリタンおじさん。」
「・・・」
返事がない。正直この名前を何度も呼びたくない。
「ナポリタン、さん!」
数回呼んだとき、やっと気がついてくれた。
「ん。はあ。誰じゃあんた?」
マジか。僕のこと覚えてくれていないのか?
「あの、隣のシンイチです。ツチダシンイチ。」
「隣?はあ・・・。大蔵四丁目のヤクモさんのとこの子かい。いやあ、大きくなったのう。」
まあ、こうなるか。軽く流すしかない。
「はい。そうです。絵、お上手ですね。」
「まあのう。わしゃ、こう見えても、モナリザの弟子だった頃があってのう。いろいろと教えてもらったもんじゃ。」
あれは作品名だろう。
「なぜ、消してしまうのですか?もったいないです。」
「芸術とは儚い物だからのう。モナリザさんもそう良く言っとった。」
「・・・・。あ、あの、消さないで残しておいたほうが良いと思いますが。」
「土と風と木が気まぐれで、最近は精霊も多いのう・・・。」
そう言うと、またダンゴムシも消し、また何かを書き始めた。
スィーが言うには、地面に書いた絵を誰かに踏まれ一部が消えてしまったことがあり、それからこのような行動を取るようになったそうだ。絵を踏みにじられた時、ナポリタンおじさんはとても悲しんでいて、夜が明けても泣いていたそうだ。
「あの、絶対に消さないほうが良いと思います。」
「・・・」
「あの、よかったら僕の家の壁に書いてもらえませんか?」
思いつきでなんとなく言ってみた。この殺風景の世界に絵があるだけで心が少し和む気がする。何度かお願いすると、やっと反応してくれた。
「メイナさんの子の願いならのう・・・」
いろいろな人の名前が出てくる。
しばらくし、書いていた絵を手で丁寧に消すと、ナポリタンおじさんはスィーと一緒に家の方へと戻っていった。僕は、白の森に寄ってから家に戻るとスィーに伝えた。
洞穴へ戻ると、壁に大きなミミズのようなものが書かれていた。よりによってなぜミミズか?でも出来の繊細さは素晴らしい。
「も、ものすごく素敵です。もっといっぱい書いてください。僕の家なら消さなくていいです。自由に書いてもらって結構です。」
全力でそう伝えると、「そうかい。」と言い、また何かを無心に書き始めた。
数日後にタカオさんが僕の洞穴を見てびっくりしていた。タカオさんも気に入ったようで、ぜひ家にも書いてほしいとナポリタンおじさんに依頼していた。
数日後、タカオさんの家には、鈴蘭のような花が書かれていた。とても可愛らしく素敵だ。虫以外も書けることに驚いた。
それから絵を見た人たちの間で口コミが広がり、いろいろな人がナポリタンおじさんに絵を依頼するようになった。ナポリタンおじさんも以前に比べ生き生きとしたように見えた。
ある日の夜、一人で洞穴にいると、スィーが入ってきた。多分ナポリタンおじさんのスィーだ。
「アリガトウ」
耳元にゆっくりと近づくとスィーはそう言い、僕に1000ポイントをくれた。驚きと嬉しさが混じり合い困惑した。スィーは自分の近くに浮遊したままナポリタンおじさんの話を続けた。
ここに来た当初から、痴呆症の症状があり会話が通じず、同じ時期に入った人達にもすでに無視されていた。出会う人全てが、彼と接するとやがて無視した。そのため彼はずっと孤立していた。仕事を命じてもできず、拷問すると泣き叫び暴れた。それでも一切改善しなかった。他のスィーたちも彼を見放した。人間の中には彼に無意味な嫌がらせするものもいた。書いていた絵が踏みにじられたのも悪意によるものだ。
誰からも無視されずっとずっと可愛そうだと思った。私の担当だから最低限の生活は支えるべきと思い、面倒を見た。みんなと同じように彼を見捨てれば彼は終わりだ。彼はここでは何も悪いことをしていない。誰も攻撃してないし、どんなに責められてもやり返すことはない。攻撃されていること、そのことすら理解ができないのだから。彼はいたって純粋だ。何でもいいから生きがいのようなものを与えてあげたかった。
「オマエハ ミステナカッタ。アリガトウ。」
最後にそう言うとスィーはまた外へと飛び立っていった。
スィーがこんな事を言うなんて夢にも思わなかった。ただただ機械的に動く、感情のない生き物だと思っていた。まさに青天の霹靂だ。そしてその純粋な真心に体が震えた。
その後、ナポリタンおじさんの過去について知っている人がおり、話を聞いた。
犯罪は、両親の殺害。痴呆のためか、就職先に苦労し、彼は家にいることが多かった。痴呆は今ほどひどくはなかったようだが、それでも社会からは疎外された。家にいるときもその影響か、暴れたり、突然泣き出したりすることが多かったようだ。両親はそんな子を見て、一緒に遠く自然豊かな田舎へ引っ越し、のんびり生活しようと計画したという。それを知った彼は、自分が捨てられるのではと勘違いし、両親に強く抵抗した。その結果、不意の事故のような形で両親を殺してしまった。あまりにも悲しい結末だ。
なお、痴呆の場合は、責任能力がないと判断され実刑には至らないが、IQチェックのテストで彼はなぜか点数が良かった。それが影響し責任能力ありと判断され、結果流刑となったようだ。
両親が普段、彼をどう扱っていたのかは今となってはわからない。しかし話の限りでは見捨ててはいなかったのではと思われる。
だが、社会は彼を簡単に見捨て、疎外していた。混沌とした世の中だ、仕方ないのかもしれない。しかしながら、彼は深く傷ついただろう。
もし両親以外にも、スィーのように愛情を持った人がたった一人でも近くに居れば、もしかするとこのような結末にはならなかったのではないか。だって、彼はこんなに繊細な絵を書ける人なのだから。そう思えてならない。
数日後、ナポリタンおじさんと、会話した。
いつもどおり、会話は噛み合わなかったが、ほんの少しだけ会話になった気がした。ほんの少しかもしれないが改善したのだ。
人は深く傷ついたり、深く感動することで変わる。ナポリタンおじさんも何か感じたのだろう。
そう、人は変われるのだ。
絵を書くナポリタンおじさんの後ろをスィーがふんわりと漂っていた。
冬を迎えた。
凍えるような日々を過ごす。
たまに雪が降った。洞窟から見る雪はスィーの光を帯び赤く幻想的に染まり、それは僕の心を落ち着かせた。
仕事中は、寒さで体中が悴み、うまく動かせなかった。夜、何度も寝たらもうこのまま二度と起きれないのではと思ったが、不思議と幸い寒さで死ぬことはなかった。
こんな寒い日に左の老人の世話は本当にしんどかった。正直やりたくなかった。でもショウイチさんの事を思い出し、これは僕に課せられた任務なのだと自分に言いきかせ面倒をみた。何度も世話をしているうちにやっと僕の事を覚えてくれ、泥棒扱いすることはなくなった。そんなある日、老人が僕に向かってしみじみと語った。
「シンイチさんや。ありがとう。わしなんかの尻を拭いてくれるのはあんただけじゃ。ありがとう。」
お礼など言われるの初めてだったし、こんな丁寧な口調であったことも初めてだった。
「いいえ。お気になさらず。少しでもお役に立ててば・・・。」
「あんたに尻を拭かれている時が今は一番幸せじゃ。とても気持ちがいい。
誰もわしのことなんて面倒見てくれん。昔からそうじゃ。ずっと厄介者扱い、無能扱いして。みんな臭い臭いって近寄らなかった。刑務官とあんただけじゃよ。ありがとう。」
「い、いいえ。」
嬉しかった。そして、少しだけショウイチさん、ナポリタンおじさんのスィーに近づけたような気がした。
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