大海

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大海

 スピーカーに再び電源が入ると、カチカチとしきりに作業する音が鳴り響いた。  「では、船に戻します。」  その声を聞き、ふと体が浮いたような気がしたと思ったその刹那、目の前が光りに包まれたかと思うと、何かの座席のような物の裏に僕はいた。  遠くに号令が聞こえる。  「次、2761番」  警戒しながら銃口を外に向けている刑務官が数人見える。近くをみて、物陰らしき場所を探し隠れる。確かに自分の腕や足が見えない。本当に透明になっている。不思議な感覚だ。  やがて流刑囚全員が船から降りると、刑務官は素早く出入り口をたたみ出航準備にとりかかった。号令とともに船はゆっくりと動き出し、旋回し始める。  船の後部では、刑務官が背筋を伸ばし直立し手を合わている。祈る者、敬礼する者、泣いている者、海へと吐いている者。  ゆっくりと船は島を後にする。島が見えなくなった後もずっと、彼らはそれを続けていた。  あの男、アドミニストレーターがどうやったかは検討もつかない。しかしあの世界を作り、我々を実験材料にヘイリー15%、他85%に振り分け、持論である15%の実験をしている。スィーもやつが作ったものだ。人数まで把握している。  わざと地獄のような世界なのは、我々に天罰でも与えているつもりか?偉そうな持論を押し付けてくる。紛れもないペテン師だ。  口調、態度などから、どこかの大学のイカれた学者か何かか。いやそれとも、ただの変人か。森から捕まえて来たカブトムシを虫かごで飼うかの如くもて遊ぶその行為に怒りが湧く。  数時間後、船が本土港に到着すると、そこには住職や他の刑務官らが待っていた。全員が船から降り、整列すると住職が線香に火をつけお経を読み始める。全員黙祷している。  犯罪が怒り、悲しみを生み、そしてそれがこのような形でまた悲しみを生む。犯罪は当事者間だけの問題ではないことを改めて痛感する。そしてまた、深い反省の念にかられる。  儀式が終わるとやがて全員、港を後にした。すぐに行動はせず、念の為暗くなるまでその場に待機した。手足が見える状態になっている。術は解けたようだ。この今の僕の姿を近隣に見られれば間違えなく通報される。  夜、人通りが殆どない時間を見て、船を出る。この姿のままでは駄目だ。たまたま外に干されていた洗濯物を盗み着替える。もちろん犯罪だが、許してほしい。  伸び切った髭や髪もどうにかしたいし、顔を隠したい。砂浜の方へと降り、ひげ剃りやハサミなどないか探す。もちろん見つかっても錆びててまともには切れないだろう。でもなんとかなるはずだ。あの世界に比べ、プラスチックや金属のゴミが大量に山積している。あの世界の赤い川のほうがよっぽどきれいだ。  近くの公園で顔を洗う。こんな公園一つでも素晴らしい施設に見える。あの世界で公園でも作れば良かったと思う。  自販機の下をしきりにあさり、金を集める。こんなキャッシュレスが進んだ世の中でも意外と落ちている。800円近く集まった。向こうの世界じゃ、4日分の給料だ。これでなんとかなりそうだ。  なるべくこの場から離れたほうが良い。  夜中歩き、隣町の方へと移動する。全然辛くない。相当心身共に鍛えられたようだ。  自販機があるたび、下をあさる。ここでも数百円集まる。この世界は貯金箱のようだ。  夜が空け、適当な公衆便所で身なりを正す。なんとか見られても大丈夫な姿になった。  10時過ぎ、近くにあったショップで、生活必需品を買い、身なりをさらに整える。  そして、公衆電話を見つけ、例の番号に電話する。刑務官がこっそりくれたメモの番号だ。メモはなくしたが番号は4年以上経った今もしっかりと覚えている。ものすごく覚えやすい番号だった。  7回ほどコールが鳴ったとき一人の女性が出た。  「はい?」  名乗らない。どうする?信用していきなり要件を話すか・・・。  「突然のお電話すみません。ある方からこの番号を聞きまして。  その、ある島に不思議なことが起きるのでその調査を依頼されまして・・・。」  無言のままだ。でも電話は切らない。  「少々お待ち下さい。」  女はそう言うと、電話を保留にした。聞き覚えのあるクラシックが流れる。電話代がもったいない。早くしてほしい。  数秒立つとまた同じ女が出る。  「おまたせして申し訳ございません。その、依頼した者の名はわかりますか?」  「トクマ刑務官。たしかトクマさんだったと思います。」  「少々お待ち下さいませ。」  また保留音に切り替わる。そして数秒後、また同じ女がでる。  「今、どちらから電話をおかけしておりますか?」  「墓場島から数キロ離れた場所です。」  「場所名はわかりますか?」  近くを見て、交差点の名前や近隣の建物の名前、住所などを伝える。  「数時間で、そちらに伺います。その近くでお待ち下さい。  なお、我々を信用なさってください。あなたがどんな方なのか、おおよそこちらは把握しております。警察などには見つからないように。」  そう言うとあちらから、電話を切った。  数時間何もせずここに居るのも怪しいものだ。  またショップに行き、安い釣り竿を買い、釣りをしているフリをし待つことにした。もちろん餌はない。当然何も釣れない。  久々のシャバだ。長かった。波の音、鳥の声、魚の跳ねる音、虫の飛ぶ音、車の音、何もかもが僕の心を癒やす。アンパンを食べる。何年ぶりに甘いパンなんか食べたか。涙でパンが濡れる。  数時間後、1台の車が道路脇に止まる。一人の女と、一人の男が車から出て辺りを見渡し始める。  恐る恐る近づく。近づくとあちらもこちらに気がつく。  「電話したものです。ツチダシンイチと言います。」  「話はゆっくりと聞くわ。まず車に乗って。」  「すみませんが、あなた達はいったい?」  「私達はあの島で動いているシステムの開発会社の者。トクマ刑務官の知り合いよ。大丈夫、信用して。」  信用するしかない。  車は海沿いをずっと進むと、やがて山の奥の方へと向かい上り始めた。しばらく山道を上り小道へと入ると、何かの研究施設のような建物が現れた。大学のような真っ白な立派な建物だ。入り口には監視員がいる。入館証を見せ中へと入る。  車から降り、施設内に入る。エレベータに乗り5階に付く。小さな6人位が座れる会議室に招かれる。窓からは森林が一望できる。  しばらくすると、お茶やお菓子が大量に持ってこられた。  「大変だっただろう。遠慮なく食べてくれていい。あの島にいたんだよね。良く、あの島から脱出できたね。どうやったんだい。」  言ったって信用してもらえないと思うが、いや、何もかも知っているのか?ありのままを話した。  「なるほど。賢いね。」  男はそう言うと本当に感心した様子を見せた。  僕がお菓子を頬張っていると、二人は急に真面目な顔つきになり話し始めた。 ■  「食べながらで結構です。色々質問する前にこちらから、一体何が起きているのは話しておきましょう。」  女が話し始めた。  「まず、我々は医療用機器のシステムを開発している会社です。そして我々が特に力を入れて長年に渡り開発しているのが、人の心身をケアするための医療用のシステムです。  このシステムは、その人が考えている妄想や心の中の世界を分析し、人の心の奥底にある世界をバーチャルで再現し現実のように作りだします。そして、その世界にその人を心身ともに送り出し、作成されたその世界を体験してもらい、その人の振る舞いを観察することによって、何をケアすればその人の心身を直接ケアできるのかを追求するという発想で作らています。  人は、直接的にストレスを受けることももちろんありますが、自己の勝手な被害妄想、欲望、誤解などでも大きくストレスを感じます。例えば、誰も何もしていないのに、自分の自信のなさのせいなのか、悪口を言われていると思ったり、いじめやいやがらせを受けていると思ったりすることがあるでしょう。それに、何かに悩んでいる人に、直接、何が原因ですかと聞いても、漠然として答えられないようなこともあるでしょう。何にストレスを感じているのか、それがその人の中でどんな形で想像され、どのような形で作用しているのか。それに直接アプローチして心身のケアに務める。それが私達の作っているシステムです。  漫画で、考えていることを泡のような吹き出しで表現するでしょう。あれにちなんでスピーチバブルスシステムと名付けられています。開発者は略してスピバブと呼んでいます。」  あまりの内容に手と口が止まる。  「スピバブはもう10年前くらいにプロトタイプが完成し、試験工程に入っておりました。  ところがある日、一人の技術者が、家で試験したいと持ち帰ったところ、なんとどこかになくしてしまいまして、その後、行方不明なのです。  なくしたこと自体、大損害ですが、でもそのシステムの捜査や設定自体はとても難しく、我々にしかできないレベルで、悪用されるようなことはないと考えておりました。ところがです。別のスピバブを動かし試験していたところ、誰も動かした記憶のないログが出力されていることに気が付きました。このシステムは一部クラウドで動くのですが、そのクラウド上に見慣れないログがあったのです。  そのログを最大限解析をした結果、あの墓場島で使われているであろう事がわかりました。そして数人に対して利用されていることもわかりました。  後に、こちらがログを参照したことが何者かに気がつかれ、ログはその場所には作られなくなり、それ以上の解析はできなくなりました。  我々は刑務所などに連絡をし、墓場島について色々と調査をしたところ、墓場島ではどうも不可解なことが多発していると聞きました。流刑を執行した数名が次の日には全員IC追跡不能になる。流刑時に刑務官が見えない化け物に襲われるなどなど・・・。  そう、何者かがスピバブを改造し、あの島で悪用しているのです。  なんとかして突き止めようと試みました。しかし、あの島が、その・・・あんな島なので我々も立ち入りできませんし、ログも参照できませんし、どうしようもなくなってしまったのです。」  「それで流刑囚に調査依頼ですか?」  「刑務官に協力してくれる人がおり、もしかするとなにか分かるかも・・・という軽い感じでお願いしたのですが、私達も当然無理だろうと思っておりました。まさかあなたのような人がいるとは驚きです。」  「そう。そして、我々はスピバブを悪用している犯人をどうしても突き止めたいんだ。」  「そうです。我々のシステムが流刑囚なんかに悪用されているなんて知られたら・・・あ、ごめんなさい。失礼いたしました。そういう意味では・・・。」  「あ、いいえ。大丈夫です。」  「あそこの話をしてくれるかい?で、犯人がどんな人なのか、できる限り教えてもらえないかい。」  流刑に処された日から、あの世界に行ったこと、あの世界での生活、そしてアドミニストレーターと名乗る男について話した。  しかしアドミニストレーターについては、40から50位の男であること。学者っぽいことだけを伝えた。  「まあ、なんて恐ろしい・・・。驚きですわ。」  「いやあ。シンイチさんは本当に大変な思いをしましたね。」  「すみません。あまりお役に立てず・・・。」  「いいえ。おそらくあの島への港近くに住んでいる40から50位の学者のような男だってことがわかっただけで大進歩だわ。本当にありがとう。」  ふと思ったことを聞いた。  「あの、バーチャルとかって事はあの中で起きていることは現実ではないのですよね?」  「いや、まあ広義で言うバーチャルなんだけど少し違うかなあ。中間の世界というか、なんと説明すれば良いか。まあそのあたりは企業秘密だな。」  「あの中で死んだ人は、本当は死んでいないとかあるのですか?」  「スピバブの中で大怪我を負ったり、致命傷を負ったりしても基本的に死ぬことはないわ。痛みは感じるけど実際には傷ついていないの。感じているだけ。すぐにもとに戻るわ。」  「でも、その拷問の話なんかを聞くと、どうやら改造してもとに戻るまでの時間を長く設定しているようだな。酷いことをするものだ。」  「では、死なないのですか?」  「ええ。」  一瞬目の前を光が挿す。  「でも、脳死だけは存在するわ。脳が停止するとバーチャルの中でも死んじゃうの。」  「そうだな。スピバブを扱う上での最も注意しなければならないことだ。」  そういうことか。もしかするとシュウイチさんが・・と思ったが・・・。  最後に、大変厚かましいとは思ったが、生活するお金に困っている、実家までのお金を貸してくれないかお願いした。すると、2人は経費から数万円を落としてくれた。お礼なので返さなくて良いとも言ってくれた。  そして帰り、最寄りのターミナル駅まで車で送り届けてくれた。また何かわかったら連絡すると伝えそこで別れた。  それからその駅から実家に戻らず、近くのネットカフェへと入った。  アドミニストレーターと名乗る男は僕が突き止められるかもしれない。奴の特徴はこうだ。    ・ スパルタや暴力教師が横行していた時代。おそらく年齢は40後半から50前半だろう。  ・ 車は乗らない。でもあの島の港近くで車なしの生活は家族にとっては不便なはず。おそらく独身だろう。  ・ 変な理屈をこねている。学者か?しかし冷静に考えると、学者ではない可能性が高い。学者であれば金に困っておらず一人でも車を持っているだろうし、こんな事をするだろうか。とするとただの変質か。  ・ PC操作に長けているようだ。スピバブを改造したほどの技術もある。IT技術者か。  ・ スィーが歌っていた歌。あれは北欧のブラックメタル、デスメタルだ。しかも20年以上前のバンドだ。ヘビーメタルファンだろう。ヘビーメタルファンは特徴的な格好をしている場合がある。普段そんな格好をしているかもしれない。    そして一番重要なのが、毎年の駅伝の定点付近に必ず見に行くことだ。話した内容から、その場所は特定できている。動画サイトに奴の姿が写っている可能性がある。  そこに写っている人を数人目星をつけ、それと同じ人が島の近くで一人暮らししていれば、そいつの可能性が高い。  ネットカフェに入りずっと駅伝のその場所付近の映像を見る。何年も何年もさかのぼり映像を食入るように見る。  夫婦、家族連れ、若い人は違う。一人で見ている中年の男を探る。数人いる。駅伝が好きなようで応援することも無く腕を組みただただ純粋にじっと見ている男が数名いる。  うち、妙に髪がボサボサなのが3名、うち2人は普通の体格で、一人はデブだ。どれも学者のようではない。ただのおじさんにしか見えない。  何年間もの映像を見ると、そのうち2人は毎年のようにいた。もうひとりも数年に1度は見かけた。この内の誰かか。特にデブの男は怪しい。  全員の顔をできる限り覚える。髪などに下手な似顔絵も残す。  ネットカフェを出て夕方から、またあの島の港の方へと電車で行く。普段は何をしている人物かはわからないが、港の近くの駅を利用している可能性は高い。翌日から駅近くの川で釣りをしているフリをしながら、候補の男が現れるのを待つ。  3日間、じっと観察するが姿はみせない。見当違いか。だとすればまた別の場所を探ってみる必要がある。  しぶとく、じっと。ヘイリーを監視するかのごとく。人が通るたびに容姿を確認する。  そして5日目。  ついに現れた。汚い錆びついた自転車に乗っている。あのデブの男だ。ヘビーメタルっぽいTシャツにGパン。左手に炭酸飲料を持ったまま駅中の店へと入ってゆく。  あれがアドミニストレーターだというのか。ただの中年ではないか。  あんな奴に我々は管理され生活させられてきたのか?怒りがこみ上げる。  店に入ったのを確認し、自転車へと近づき自転車を見る。カゴには汚い雑巾が一切れ入っている。  自転車には特徴はない。鍵はかけていない。鍵が挿さったままだ。鍵にはキーフォルダのようなものがある。プラスチックのプレートのようだ。  なんとそのプレートに描かれていたものは。手書きのスィーのイラストではないか。  決定的だ。こいつに間違えはない。  ショウイチさんはあいつの作ったヘイリーに殺されたのだ。あいつのせいでみんなあそこで無意味に地獄のような生活を強いられているのだ。あんな奴にもて遊ばれていたというのか。あんな奴にうちらの気持ちなど分かるわけがない。  見つかるとまずい。あいつもこちらのことを知っている。  また、釣りしていた場所へと戻る。  全身を震わせながら手から血がにじむほど拳を握りしめる。  全身の毛穴から怒りという名の蒸気が吹き出す。  歯が砕けると思うほど歯ぎしりし怒りを抑えようとする。  クソみたいな持論を押し付けて来やがって、何様のつもりなのだ。  でも。  いや、しかし・・。  確かにだ。僕にとってヤスだって悪だし、あいつだって悪だ。絶対に悪だ。  では、僕は正義なのか?  違う。僕だって流刑犯だ。  15%の悪。割合などわからない。でも絶対、人は完全ではない。完全など存在しない。  あのデブが言っていたとおりだ。  「何があっても、責めてはならない。誰も幸せにはならない。」  怒り、憎しみ、悲しみが増えるだけなのだ。何度も何度も体験し自分に言い聞かせわかったことのはずだ。この怒りも抑えるべきなのだ。  目を閉じ、体を縮ませ耐える。怒りの熱がこもる。赤いマグマの塊になったかのようだ。  涙が溢れてきた。  全身からも・・・。  そう、我慢すべきなのだ。  まだ、あそこで生きている人たちがいる。  少しの幸せを見つけ生活している者。  やっと生きがいが見つけられた者。  心から反省して励んでいる者。  そしてそれを厳しくも暖かく見守っている不思議な生き物。  あいつが店から出てきた。手に漫画雑誌のようなものを持っている。  あんな物を片手に我々は管理されていた・・・。  深く重い闇が僕を包みながら押しつぶそうとする。  闇に心を支配されるべきか、のまれないよう耐え抜くべきか。  自分の中で戦う。  涙がどんどん溢れる。そして涙が熱をほんの少し冷ましてくれる。  わかっている。わかっているはず。  その場を去り、海の方へと向かった。  少し高台になっている場所からあの島の方角を見た。  そしてまた泣き続けた。  もう誰にもこんな気持になって欲しくない。こんな苦しみを味わって欲しくない。  そしてずっとこの美しく広大な海のような心でありたい。  止まらない涙が海風に吹かれ空へと舞った。  丸い涙の水玉がスィーが飛ぶかのように漂った。
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