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生活
地獄。そう言われたが、確かにこの日の仕事は地獄そのものだった。
3時間くらいだろうか。(時間が全くわからないこともより苦痛を覚えた。)ひたすら目の前の壁を押し続けた。色々と別のことを考え、この単純極まりない作業の苦痛を和らげようととした。3時間くらいした頃スィーが来て「キューケーダ」と言ってきた。終わりではないことに絶望感を感じた。
水分、食料の支給など皆無。髭の男に訪ねると「そんなもんねえよ。」の一言だ。髭の男は持参した汚い袋から何かを取り出し、無言で食べ、その後、静かにそこで昼寝し始めた。
1時間もしないうちにスィーが戻ってきて、作業に戻れと命じてきた。別のスィーも現れ、髭の男をつついていた。他の男たちにも。どうやらスィーは一人一人係が決まっているようだ。
それから何時間だろう。ひたすらまた目の前の壁を押し続けた。
途中力尽きたのか、倒れた者がいた。しばらくすると一匹のスィーがそれを発見し、その何分後かに大群のスィーがそれを取り囲み、男を持ち上げ、外へと連れて行った。
スィー達が出ていくのを見た髭の男は、ふうっと息をつくと歯車を押すのを止めた。
「あーあ、かわいそうに。おそらく、あのまま、川に投げ捨てられる。そこで目を覚まし元気になったら、その後、罰則か拷問だ。」
「罰則?拷問?」
「ああ、そうだ。元気なのにサボったって見なされる。もしくはそのまま死んじまったかもしんねえが、でもよ、なぜかここの人間はなかなか死なねえんだよ。」
髭の男は少し大きな声で話した。スィーが他の人に手を焼いているときは、手を抜くチャンスのようだ。
髭の男の話では、拷問は、大群のスィーに体中刺される、川の上流にある高熱の沼(火の沼)に投げ入れられる、腕や足を切断されるなどされるようだ。恐ろしい痛み、熱さ、苦しみを味わう事になる。しかしなぜか死なないようだ。全身火傷を追った場合でも、数日地獄のような苦痛を味わいながらも数日後には完治するとのこと。腕や足を切断され、数日、痛みでうなされるが数日後になるとそこから別の腕や足が生えてくるという。「ほら、あの男見てみろよ。」とちょうど休憩していた男を見ると、右肩から先に腕がないが、その下の腹の辺りから腕が出ていた。普通は切断したところに生えるらしいのだが、時々違うところから生える場合があるらしい。にわかに信じがたい。
なお、もちろん拷問も厳しいが罰則も厳しいと言う。髭の男は右腕に黒く浮かび上がる数字を見せて言った。
「これが俺が今持っているポイントだ。後でお前も今日の仕事の報酬でもらえると思うが、これが1000ぐらい持ってかれちまう。下手すると全部だ。」
男の腕の数字は、1400だった。一日仕事すると、だいたい200くらいもらえるという。後で食事や生活品と交換できるようだ。交換のし方は係のスィーが教えてくれるらしい。ふと見ると髭の男の左肩にはまた別の数字が書かれていた。878。自分の左肩も確認すると、先程呼ばれた1815という番号が黒く浮き出ていた。
「おっと、また監視のスィーが戻ってくる。黙って真面目にしているフリしねえと。」
髭の男は急に静かになり、先程と同じように淡々と歯車を押し始めた。習って真面目にやるフリをした。
5時間くらい押しただろうか。スィーが「オワリダ」と告げた。長かった。刑務所の独房でひたすら何もせず過ごして来たので慣れていたはずなのに異常なまでに長く感じた。スィーの言葉を聞いた瞬間、その場に仰向けに倒れた。スィーが倒れた僕の右腕に近づき何かをすると、右腕に200という数字が浮き出てきた。僕が終わった後は、また別の者が入れ替わりで入り歯車を押し続けていた。
髭の男はいつの間にか居なくなっていた。
スィーに付き一緒に歯車のある薄暗い洞窟を出た。すると辺りは先程と同じような岩山に囲まれていた。
「シツモン アルカ?」
大いにある。しかし何から聞けばいい?あまりの疲労に歩くものしんどく頭も回らない。とりあえず早く休みたい。水、食料、生活する部屋聞いた。
水は、洞窟を出て右に曲がり真っ直ぐ行くと川が流れている。その水を自由に使って良いとのことだった。水道は?と聞くと、反応がなかった。川までは後で案内してくれるとのことだ。食料は、定期的に売りにくる者たちがいて、そこで買えるとのことだった。しかし今日は来ないようだ。今日の食料については特別に後で持ってきてくれるとのことだった。
生活する場所は、各々で適当に岩山の壁などに穴を掘りそこで生活しているとのことだ。僕はどうするのか聞くと、「オマエモ、ソウシロ。」と言ってきた。両側にそびえる岩山は固く、こんなの掘れるわけがない。だいたい道具も何もない。他に方法はないのか、どうにかならないのか文句を言うと、スィーは手の針を構え少し速度を上げて空中を旋回し始めた。少しキーキーといった声で鳴いているようにも見える。
「ウルサイナ、オマエ!」
危険を感じた。すぐにその場に立ち止まり、身を屈め、手を合わせ、数回謝った。しばらくすると鳴くのを止め、また僕の近くをゆっくり飛び始めた。あれが威嚇行動か?
他の人はどうしているのか聞くと、同じく穴に住んでいるという。多く人が集まっている場所があるか聞くと、川の近くの岩山近辺に比較的集まっているとのことだ。
しばらく歩くと、岩山から抜け視界が開けた。少し遠くに窪みと橋のようなものが見える。
それよりもまず目についたのが、何箇所かにある火の見櫓のような建物だった。上には人がいる。一つは壊れて倒れている。
遠く右の方には白い煙が吹き出ているのが小さく見える。あれが火の沼か。
川の近くには数人の人が見える。水を飲む者、水浴びする者、食事や洗濯物を洗う者それぞれだ。しかしどの人も慌ただしく、用だけをさっと済ませ帰ってゆく。他のスィーたちも近くを浮遊している。
川の方へと近づく。見ると、川は赤褐色に染まっていた。泥でも混ざっているかのよう。良くこんな汚い水を飲めるなと思ったが、喉の乾きには勝てず、仕方なく両手にすくい飲んでみた。見た目に比べ水は透明で、普通に美味しかった。こんなに水がありがたいと感じることも少ない。涙が溢れてくる。
川の向こうには森のようなものが見える。左手の森は白く、右手の森は黒く見えた。
「あの火の見櫓のような塔は何ですか?」
「ヘイリー ノ カンシダ」
「ヘイリー?監視?」
スィーは小さくうなずくような動きをした。それ以上は教えてくれなかった。
後から来た人達も皆、必要最低限の用だけをさっさと済ませすぐに引き上げてゆく。やや、せっかち過ぎるように見える。なにか嫌な予感がし、僕も長居せず他の人が行く方へと向かうことにした。
■
川から少し離れた場所に位置する岩山についた。
洞穴がいくつもある。すでに人が住んでいるようで、洞穴の中から煙が上がっている場所もある。火を焚いているのだろう。
全員で和気あいあいしている雰囲気ははない。それぞれ干渉し合うことなく生活している様子だ。
「ココニ イロ」
スィーはそう言うと、自分から離れていった。
自分で穴を掘れと言うのか?岩山の肌を触るとスコップでもあれば削れそうではあるが、とても手で1日で掘れるようなものではない。
穴から少し離れたまだ穴のない山肌に背もたれ座る。
「はあぁ」
ため息が漏れる。朝、急にこの場に来て、今の状況も理解できない。そして考える気力も残っていない。とりあえず一休みする。
「おい。こんなところで寝るな。」
誰かが声をかけてきた。少し寝ていたせいで目の前が霞んで見えるが初老の老人がのようだ。しばらく極度の睡魔のせいで返事ができない。
「何だ。新入りか?」
「は、はい。」
「じゃあ、住む場所ねえのかい。」
小さく頷いた。老人はしばらく空や遠くを眺め考えたのち優しく話してくれた。
「ちょっと問題ある場所だが、ちょうどこの間一つ空いた場所がある。まだ空いてるかもしれない。そこでよけりゃ、紹介してやろう。」
「ぜ、ぜひ。」
すこし希望の光が差し込んだ。。どこでも、なんでもいい。住む場所があるだけで助かる。お願いし、連れて行ってもらうことになった。
ここはいくつも小さな岩山が連なる。老人はすこし離れた岩の洞穴を紹介してくれた。洞穴は3つあった。そのうちの真ん中が空いたままとなっていて、使っても大丈夫だと言われた。両端には誰か住んでいるようだった。
「ここは、俺の友達が住んでいた。数日前に、ヘイリーに殺されちまった。」
さっきもヘイリーという名前を聞いた。
「一体ヘイリーって?」
「定期的に襲撃しているわけのわからん奴らだ。そのうち見るだろうよ。来たら逃げるか、隠れるか。お前は若いから戦ってくれりゃ助かるなあ。」
襲撃?それで川でも慌ただしいわけだ。いったい何だのだろう。
洞穴はちょうど良い大きさだった。
老人は、友人はここをトイレ代わりにして、ここで寝ていた、と教えてくれた。生活には困らないだろうとのことだ。
トイレに排泄物が溜まったときは、捨てるための大きな肥溜めがあるので、そこに捨てられるとのことだった。でもどうやって持っていけば良いか・・。
先程言っていた「ちょっとした問題」が気にかかる。
そうこうしているうちにスィーが戻ってきた。
「ショクジ、ダ」
そう言うと針に刺さったものを僕に投げて渡してきた。手にとったそれを見た瞬間背筋が凍り、声にならない叫びとともに放り投げてしまった。
「な、なに?これ、人の手じゃ?」
人の手から腕にかけての部分だった。切り目には血がべっとりついている。20cmくらいの大きさだ。
「ここじゃ、当たり前だ。まあ、最初はびっくりするわな。食わねえなら俺がもらってやるぞ。立派な腕だ。うまそうだ。」
人を食べる?あたりまえ?
「これって、誰の腕・・・?」
「そんなん、知らん。おおかたどこかで死んだか処刑された奴のだろう。この世界は食料が本当にないんじゃ。人の肉でも食う。肉は本当に貴重なもんだ。」
「人の肉なんて・・・」
「もちろん、胸が痛む。でも生きてくには仕方ない。ここのものは皆そう思っとる。」
今にも動き出しそうな手を眺めながら、しばらく何も言えなかった。少し横を見ると、スィーが不機嫌そうに宙を旋回している。せっかく持ってきた食事を捨てられたと思ったのだろう。恐る恐る、手を持ちついた土を払い、スィーに謝る。
「これ、どうやって・・」
「洗って火で焼くんじゃな。」
「火って?」
「そっか、今の状態じゃ火も起こせねえなあ。うちに来い。特別に焼いてやる。」
老人の家まで戻ると、老人は火を起こす準備をした。僕はまた川の方まで行き、川でさっと洗った。
戻るとすでに火があがっていた。流石に手際が良い。川で洗った手を取ると、老人は直火で上手に焼いた。鋭利に削った平たい石を使い器用にそれを捌いた。老人が蓄えていた芋も2人で分け食べた。初めて食べた人の味はなんと表現してよいか。
食べ終わると火はすぐに消された。焼く木なども無限ではなく買ったり、拾ったりしているとのこと。貴重なのだそうだ。
老人の傷んだボロボロの服のポケットの中からスィーが出てきた。老人のスィーのようだ。そのスィーは老人の手に着いた肉の破片を口にし、その後老人の頬に猫のように頭を擦り付けるとそのまま近くを浮遊し始めた。僕のスィーとはあまり干渉する様子もなく、それぞれ自由に浮遊していた。
老人の名を聞くと、老人はもう忘れたと答えた。
老人は、昔、友人らと一緒に金目当てで人を誘拐し殺害、遺体を山へと埋めた罪で流刑となった。当然遺族や世間からは凄まじい非難を浴びた。
「たかが数万のために、取り返しのつかないことをしてしまった。今でも悔やんでおるよ。」
僕と同じく、家族も非難にさらされた。父親は自殺してしまったという。母親は引っ越し、身元を隠しながら生きていた。流刑が決まった後も定期的に面会に来てくれたようだ。今は生きているかどうかを知る由もない。
「おっかあはよう、こんな俺を見捨てるどころか、ずっと面倒を見てくれた。『親より子が先に逝くなんて許さねえ。お前が流刑で死ぬなら私が先に逝くよ。』って言ってよう。それでやっと初めて命の大事さに気がついた。情けねえ限りだ。親も被害者も誰も幸せにできねえ。本当はこんなとこに居ないで、あっちで生きて、一生おっかあに償いてえよ。」
この老人は僕を見て真っ先に助けてくれた。雑ながらも、優しく気さくなその姿からはとても犯罪に手を染めるような人には思えなかった。
何が、この人を犯罪に駆り立ててしまったのだろうか?社会、世間、邪念、欲望・・・。わからない。
辺りは段々と暗くなっていった。
空高くの天井には薄暗い常夜灯のような明かりが数個点灯している。そのため目を凝らせば少しは辺りが見える。
洞窟の中、端で体育座りのように見を屈め横になって寝た。
真っ暗になると、やがてスィーの尾の辺りがクリムゾンレッドに点滅し始めた。ゲンジボタルのように優しくゆっくりとした光。無数のスィーが夜中、辺りを浮遊していた。色のせいか、薄気味悪さを感じる。耳を済ますと、スィーは何やら鼻歌のようなものを歌っていた。その歌は今までに聞いたこともない、不気味で邪悪に満ちたような雰囲気のメロディーで、延々と同じメロディを繰り返している。それが輪をかけ気持ちを不安にさせる。これから良からぬことが起きるかのような気分になった。
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