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滑車回し
夢を見た。あの日の夢だ。
遠くで一人ヤスがタバコを吸っているのが見える。
無言のまま近づき話しかける。
「ショウゴ君がずっと学校に来なくなったんだ。何か知らない?」
「ショウゴ?知らないなあ。」
「リノちゃんも最近見かけないんだけど、何か知らない?」
「知らねえよ。」
「でも良く話しているの見かけたけど・・・。」
「ああん?何が言いてえんだ。お前。」
目がギョロッとし光る。またタバコを吸うと煙をわざとこっちに吐き、吸いカスを自分に掛かるようにトントンと叩く。
「何があったのか、知らないかと思って。」
「知らねえって言ってるだろ。しつけえなあ。」
後ろからヤスの友人2人が現れる。囲まれて、蹴られる。
「しゃっしゃっしゃーー」
悪意に満ちた笑い声が闇に響く。無我夢中で、包丁を出し目の前にある物を刺す。刺しては抜き、また刺す。血が飛び散る。
「てめえ、こんなことして・・ただで済むと・・・」
ヤスが倒れる。他の二人がまだ襲ってくる。
「やめろー」
叫びながら、無我夢中に刺し続ける。血と汗と涙が交じりあう。
もうひとりも倒れる。最後の一人は逃げようとする。言葉にならない叫び声をあげ、逃げようとする背中を刺す。
気がつくと、警察や先生、野次馬に囲まれている。罵声を浴びる。
目が覚める。刑務所でも何度も見た。見るたびに少し違う。何が本当の出来事だったのか、今では正確にわからないほどだ。
穴の外ではスィーが浮遊している。恐ろしく静かな夜だ。
朝、目の下あたりを数回刺され起きた。
「シゴトダ。」
また昨日と同じ洞窟に連れられ、歯車回しを命じられた。朝、少し水を飲みたい、顔を洗いたいと伝えたが、拒否された。
朝、押すよう命じられた歯には僕以外には誰も居なかった。スィーは命じるとどこかに行ってしまった。しばらくただ一人で延々と目の前の壁を押し続けた。気が狂いそうだ。
数時間後、一人入ってきた。昨日の髭の男だった。僕を見た髭の男は小声でつぶやいた。
「珍しいな。めったに連日同じ奴と出くわすことなんてねえんだけどな。」
仕事は、毎日適当に振られるらしい。
その男のスィーもどこかに去っていった。
その男は名を、トウザブロウと名乗った。昨日とは違って、トウザブロウは僕に犯罪歴など色々と聞いてきた。トウザブロウは僕の話しを聞くたび黙ったまま少し同情してくれたような顔つきをした。恐る恐る、トウザブロウさんは何をしたのか聞いてみると意外な回答が返ってきた。
「俺は、何もしてねえよ。」
ここにいる人は、全員犯罪者と思っていた。違うのか。どういうことか聞いてみた。
「ある日、数件隣で誰かが死んじまったようで、殺人だとかで騒いでてよう。そんで、警察やらが何やらが俺にいろいろ聞きにきた。俺はただ家で寝てただけだって答えた。
その後、よくわかんねえテレビ局やら、マスコミやら、記者やらが連日俺を訪ねて来た。事件の日のことを色々と、あと、なんか普段の生活のこととか、よくわかんねえんだけどその死んじまった人についてどう思うか、何か心に思う事ははないのか、みたいなことも聞かれた。なんか何もしてないのに責められてる気分だった。
それから数日後、家宅捜索やら、なんとか捜査・・そう、でーえぬえー がなんとかって調べに来た。それから数日後、務所に連れてかれたよ。
一方的に見たこともないものや、知らねえ事を聞かれ、知らねえって答えると嘘を付くなと怒鳴られてよう。そんなことが連日続いた。俺が犯人だってテレビでみたときは仰天した。
連日同じようなこと聞かれ、おかしくなっちまったんだろうな。暗に認めるような事を言っちまってよ。そのままこんなざまだ。」
「弁護士さんはいたんですよね?」
「ああ、いたさ。なんもしてねえって言ったら信じてくれたよ。それで最善の努力をしてくれた。本当、嬉しかったよ。いつか無実になるって信じてた。
でもよ、弁護士さんまで世間から執拗に責められるようになって、気の毒でよ。もういいって途中断ったんだ。ほんと申し訳ねえって思ってよ。」
その殺人事件は悲惨な事件だったようだ。
死体には執拗なまでの刺し傷、部屋中に故意に撒き散らされた血、見せしめのように机に飾られていた首。残忍極まりない状況だったそうだ。トウザブロウさんはそれを後から知ったようだ。知り合いによる恨みか、変質者による殺人と見なされ、トウザブロウさんが容疑者になった。弁護士も残忍な殺人者、残忍な変質者をなぜ庇うのか。悪の味方のように言われ相当責められたという。
トウザブロウさんは少し前に職場を解雇され、汚い家に一人で暮らしていたという。その家には風呂もシャワーもなく、ごくたまにしか風呂には入らなかった。服もあまり洗うことなく、汚い格好で異臭を放ちながら歩く姿が良く目撃され、まわりからは不審人物と噂されており地域で煙たがられたようた。
DNA鑑定や、凶器がなぜかトウザブロウさんと結びついた。検察は、執拗なまでに彼を責め立てたようだ。
冤罪ではないか。そう伝えると、トウザブロウさんは
「もういいんだよ。外にいたってどうせ良いことなんてなんにもねえし。なぜかここでこうやって生活できてる。俺はそれで良いんだ。」
と語った。
同じだ。僕も世間から執拗に責められた。
誰かがわかってくれると思っていた。でも結局、重罪となった。
判決までの間、僕は、自分が世間にもて遊ばれている気がした。真実が明らかになり、正しい判断が下されると思っていたのに、事実と異なる情報が次々と溢れ出て、真実を覆い隠し、世間はそれを信じ、検察、警察までもがそれに左右される。本来、警察・検察は加害者を決定づけようとし、弁護士は冤罪にならぬよう加害者を守ることで中立が保たれる。そこに余計なノイズが入る。そのノイズは僕だけでなく僕の周りの無関係な人達までも責め立てる。僕に実刑判決が下ると大喜びする。
まるで、正義の五人戦隊が怪獣をビームで爆破して倒しスカッとする、そんな感覚なのだろう。正義と悪の物語は、悪が悪れけば悪いほど、強ければ強いほど面白くなる。そして悪をやっつけたときの爽快感が増す。そんな感じなのだろう。ストレス発散のおもちゃだ。そして爽快感を得るために私刑という名のもと直接手を下す者までいる。犯罪は、普通起きるものではない。故意に起こされる犯罪の背景には極限までの悩み、怒り、絶望などが伴うものだ。作られた怪獣のような、そんなに単純な悪ではない。
そしてトウザブロウさんのように無実なのに犠牲になる人までいる。この世の本当の正義はどこへ行ってしまったのか?トウザブロウさんをこんな目にしたのは間違えなく正義という名の悪だ。そして本当の悪は未だ、ほくそ笑んでいるのかもしれない。
「オイ、ウルサイゾ」
刹那、背筋が凍りついた。黙り、壁を押す。しばらく、数匹のスィーが僕たちの近くを浮遊していた。(どれが僕のスィーだかは見分けは付かなかった・・。)
朝からずっと押しっぱなしで、昨日よりも長く感じた。ちゃんと押しているのだから私語の少しぐらい許してほしいものだ。
何時間後だろう。やっと休憩の合図があった。すぐさまその場に倒れ込んだ。
昨日、住処を教えてくれた老人に少し分けてもらった野菜をかじり、そのまま仮眠した。
数分後、トウザブロウさんが僕を揺すり起こしてきた。ボーとしていて良くわからなかったが、何やら慌ただしい雰囲気だ。周りの人たちはバタバタと忙しなく動いている。スィーもいつもより素早く飛んでいるように見えた。
「ほらよ。」
トウザブロウさんはそう言うと、僕に木の棒のようなものを渡してきた。
「ヘイリーが出た。川の下流の方らしい。結構こっちの方まで被害がでてるっつー噂だ。おりゃ、逃げる。じゃあな。」
そう言ってトウザブロウさんは洞窟を出て川とは逆の方へと歩いていった。
直後、スィーが僕に近づき、「コイ」と命令した。意味もわからずスィーについて行く。
他にも棒を持った人たちが川の方へ移動していた。川に近づくと、川の手前の監視塔の一つが倒れ、燃えているのが見えた。よく見ると数人の何かが木でできた橋を破壊しているように見えた。
ゾッとした。明らかに僕たちより一回りも二回りも体が大きい。身長は2m以上は優にある。何かの動物の毛皮のようなものを着ていて、顔には鬼のような面をかぶっている。手には棍棒のようなものを持っている。筋肉質なその腕や足には入れ墨で掘られたような不気味な模様がついている。あれがヘイリーか・・。
「あ、ひでえことしやがる。」
まわりの者達は口々に悲惨さを言漏らした。
「イクゾ」
スィーが言った。他の者たちも急いで橋の方へ向かう。退治するという意味なのだろう。
橋に近づくと、ヘイリーはこちらに気が付き、大きな石を投げつけてきた。ものすごい腕力だ。あんなの退治できるのか?更に監視台の一部を手に取り、火のついた木をこちらに向け威嚇している。それでも数人は勇敢にヘイリーへと近づいてゆく。
そうしているうちに壊れかけていた橋がすべて破壊され、橋の一部は川の中へと落ちていった。ヘイリー達は川の向こうへと去っていく。もうここからは向こう岸に行けない。橋の向こうで5人くらいのヘイリーが馬鹿にするかのように両手を上げている。向こう岸に倒れている人が2名見えた。首がないように見える。ヘイリーはそれを担ぎ上げると、持って川の向こうへと去っていった。去っていく最中も石を投げつけてきたり、ポーズを取ったりと勝利でも確信しているかのような態度を取った。
数人で、燃える監視台に水をかけたり、踏みつけるなどし消火を試みた。やがて鎮火した。
大勢の男達と、スィーがその近くに集まった。その隣の監視塔で監視していたものを取り囲んでいるようだ。
「こんな大きな被害になるなんて、なぜヘイリーの発見が遅れたんだ。」
責任追及でもされているようだ。恐る恐る、僕も近づくと、なんと責められているのは、リュウジさんともう1名の見知らぬ男だった。リュウジさんは険しい顔をしながら黙っていた。もうひとりの男はひたすら謝っていた。
「ヘイリーに2人連れてかれるのを見た。もう殺されてしまっただろう。」
「申し訳ない。本当に申し訳ない。」
皆、黙っていた。少しすると数人の男が、リュウジさんともう一人の男に近づき、肩を軽く叩いた。
「仕方なかったことだ。そう、自分を責めるものじゃない。何があったかだけ少し話してほしい。」
それを聞いた者たちは、必要以上に2人を責める事を止めた。
リュウジさんは、まだ来て2日めと言う理由で開放されたようだった。もうひとりの男は数人に何があったか説明していた。
リュウジさんが僕に気がついた。
「おう。シンイチかあ。無事だったか。」
「リュウジさんこそ。ご無事でなりよりです。」
リュウジさんはずっと監視の仕事をさせられていたようだ。もちろん彼もヘイリーを見るのは初めてだ。ヘイリーが来たとき、もう一人と一緒に川の向こうの「白の森」「黒の森」の話をしていたという。「黒の森」にはカラスがわんさかいるらしい。先程もカラスを見て話をしていたそうだ。ここのカラスは普段から良く見るハシブトガラス、ハシボソガラスとは似ているが少し違うようで、どちらかと言うとハシブトに似ているが、もっとクチバシが太くギギギーのような変な鳴き声をするらしい。先程は近くの岩場にそのカラスの雄雌がいて、餌らしきものを口移ししあってベタベタいちゃついていたようだ。それを見ているときにヘイリーの襲撃があった模様だ。
「あっちの監視塔が燃えて傾いているの見えてよ、それで気がついたんだ。すぐに、監視台上の木の太鼓みたいなのを叩きまわりに知らせたんだが、もう結構やられててよ。そうこうしているうちに監視台倒れちまって、橋も破壊されちまって。
確かにこっちの発見が少し遅かったかもしらねえが、でもよ、あっちの監視塔だって人はいたんだ。あっちが気づいたって良さそうなもんだけどな。」
「確かにそうですね。カラスでも見てたのでしょうか。」
「あんなにカラスのカップルがベタベタいちゃつくとはな。ここにも女が欲しいなあ。女居ねえかなあ。」
リュウジさんらしいと思った。
「しかし、ここは一体何なのでしょう・・・」
「知らねえよ。意味がわからねえ。」
分かるわけがないか。変な質問をしてしまった。
リュウジさんも、昨日は他の人に助けられ空いていた洞穴を教えてもらい、そこで一晩過ごしたようだ。
少しすると2人のスィーが来て「シゴトニモドレ」と言ってきた。またの再開を約束し二人は別れた。
「さっきもそんなに責めて来なかったし、ここの人間は皆優しいやつばかりだ。せめてもの救いだ。」
リュウジさんは別れ間際にそうつぶやいた。僕も数人にしか合っていないが本当にそうだ。責められる辛さを知っているからだろう。
リュウジさんは先程の監視塔の片付けに回されたようだった。
僕はまた、あの歯車回しだ。気が遠くなる。
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