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ちょっといい酒を買って、月見酒。それまで月なんか出てんか出てねえのかすら興味もなかったけど。
「私、日本酒は苦手で」
「ちょっと味見してみるか」
「って、えっ、ち、ちょくせつ……課長の口内を経由してるので、はい、非常に飲みやすいです。……もっと、ください」
「それ、反則……」
その後酔っぱらって、それどころじゃなかった。
流星群も。
「流星群って、なんかもっとびゅんびゅん流れるモンなのかと思ってたワ……」
「ピーク時で10分で五、六個らしいです」
「ショボッ。もう寝ようぜー」
「あと十個見たら!」
次はふたご座流星群を冬に見ようと約束していた。
深刻なケンカをしたことは一度もなかった。
昔はむしゃくしゃしてベランダに煙草を吸いに出た夜もあったけど、今はただ幸せなときの思い出しかなかった。
お前がいつも健やかで、幸せでありますように。
けして、俺の事なんかで涙を流さないように。
お隣の奥さん、すみません。
一本だけ。
「おーい、夏至。全部終わったー。あとは業者が捨ててくれんの?」
頭にタオルを巻いた弟が部屋から顔を出す。
平日の引っ越しは、たまたま実家の医院の休診日。
「うん、そう」
「じゃ、家具類はそのままでいいんだな。って、お前何サボってんのよ」
「さぼってねえよ」
「あれ? お前、今、泣いてる?」
「泣くかよ」
「だからー、お前のそういうのわかるんだって、なんとなく。昔から俺、言ってんじゃん」
「キモ」
「左遷で都落ち。そりゃ未練も残るわ。その鉢、なに、花?」
足元には小さな植木鉢。
花はなく、葉も枝も短く貧相な姿のミニバラ。
花屋を通りかかったとき、あまりにかわいいピンク色の花を盛りにつけていたその鉢を糸が欲しがった。その名もラブリープリンセス。
買ってやったら甲斐甲斐しく世話をしていて、今寒々しい姿なのは糸が越冬のための剪定したからだ。
「お前が? 園芸でも趣味になったん?」
「……もらいもん」
「一緒に捨てんの?」
「いや。お前、持って帰ってくれね? 母さん庭いじりするだろ」
「ふーん。ま、わかった。持って帰るわ」
さよなら、かわいいお姫様。
「あれだー、あるじなしとて、ってやつだな」
「梅じゃねーけど」
来年また咲いてくれ。俺がいなくても。
「さ、行くか」
思い出の箱の蓋を閉じるように、長い瞬きをして、俺はようやく腰を上げた。
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