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結婚まで245日 #堂道とある日の朝
顔を洗う。
水気をタオルでふき取って、目を開けると鏡の中にくたびれた中年が映っていた。朝日の眩しさほど加齢に残酷なものはない。
思わずつきたくなったため息を我慢して折り合いをつけると、髭を剃った。
クリーニングから戻ってきた数ある中からこれと決めていた白のワイシャツを選ぶ。
サイズオーダーとかネーム入りとかの気取ったやつではなく、普通の量販の、だが少しだけ値の張る白のドレスシャツ。
スーツは艶感のあるダークグレーにして、紺の地模様のネクタイをしめる。
毎朝何十年と繰り返したルーティン。
緊張の日にも変わらず、上手く結べた。
無香のワックスをひとさし指で取るこの瞬間、いつもプーさんのはちみつを思い出すことは誰にも言ったことはない。
気合の表れか、こころなしかいつもより量を多めにすくってしまった。
結婚の申し込みをするのは人生で二度目だ。
一人の女性を幸せにできなかったからこそで、不名誉なことではある。
前回は、彼女とのつきあいもそこそこ長かったし、歳の頃もちょうどいい、戸籍も真っ新な大手企業勤務。何の憂いもなかった。
両手をこすり合わせると、摩擦で掌が熱くなった。
ベタつきはもう気にならない。それよりも、鬱陶しい前髪を固めないことの方が落ち着かない。
ぐいと、前髪に指を差し入れて、一発で後ろへかきあげる。
多少の気鬱は、この儀式一つで解消する。
この年になると、自分の機嫌の取り方がわかるものだ。
鏡の中に出来上がった四十男の眉間には、これ以上ないほどの皺が寄っていた。
笑顔を作ってみたが、イケメンはおろかイケオジにさえほど遠く、不自然でぎこちない。
「ま、仕方ねぇわな」
昔、二十代の頃にボーナスで買った腕時計。
今はあまりつけないそれを、今日はつける。
せめて誠実にありたい。
しっかりアイロンのかかったハンカチを後ろポケットに入れて、待ち合わせに向かった。
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