釈放

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釈放 「アヤ子さん、また手紙来たの?」  同房のカズエが体を近づけ、手元をのぞきこんだ。 「ふふ。ダンナはアタシにベタ惚れだからさ」  手紙を折りたたんで封筒に戻しながら答えた。身元引受人の夫は、判を押したように月2回、手紙をくれる。「外部交通」と呼ばれる刑務所への手紙は、中身を全部確認されて手渡される。 「ダンナさん、何だって?」  カズエが目をクリクリさせながら聞いてきた。 「ここを出たら骨休めに軽井沢に行こうって。別荘があるのよ」 「ひゃー、軽井沢の別荘!」  カズエは見回りの看守に聞こえないよう声をひそめながらも、声を弾ませた。  覚醒剤取締法違反で三年の実刑を食らっているカズエは、三回目の受刑だが、いちばん気が合う。幼い頃、親に捨てられて養護施設で育った彼女は、中卒後、靴下工場やらパン屋の住込やらで働いたものの、長時間労働の割にスズメの涙ほどの給料しかもらえず、未成年のうちから年をごまかしてキャバクラで働き始め、半グレだのヤクザだのとくっついたり離れたりするうちに覚醒剤(シャブ)にはまってしまった。  家庭というのをあまり知らずに育っているので、アタシが話して聞かせる話(誕生日には家族でレストランで祝うとか、夏休みには旅行に行くとか、大学での合コンなんかの話だ)に興味津々で、いちいち「いいなあ」「すごーい」と合いの手を入れながら聞くものだから、こちらもシャバでの思い出に浸って幸せになれる。 「ダンナさんとは、大学のサークルの合コンで知り合ったんだったよね」  ああ、カズエには、そんなことを喋ったんだったっけ。 「あんたら、いつまでペチャクチャ喋ってるんじゃ」  不機嫌そうな声が部屋の隅から聞こえた。まただ、せっかく良い気分で喋っているのに、トモ婆はいつも水を差す。万引を繰り返して刑務所は五回目だ。年齢はまだ五十代だが、歯が半分欠けていて、アタシとカズエはこっそりトモ婆と呼んでいる。 「何が大学のサークルの合コンだ。あんた、女子大って言ってただろ」  え、トモ婆、こっちの話、耳をそばだてて聞いてたのか。 「女子大ですよ、カトリック系の女子大。・・・だから、サークルというのはインカレなんです。インカレ、知ってます?他の大学と合同のサークル。女子大に行ったのはね、ママからどうしても自分の卒業した大学に進学してって頼み込まれたの。偏差値では共学の国立に行けたんですけどね。そのかわり、家から通える女子大に進学したら、通学用に運転しやすいアウディ買ってくれるって言うしね。免許取れる前に家に出入りしてたカーディーラーと契約して、ママは気が早いったら」  一気にまくし立てるとトモ婆はプイとソッポを向いた。 「そろそろ、夜の見回りだ。おとなしく寝な。あんたらのお喋りで、こっちが減点になったらかなわんわ」  トモ婆はせんべい布団にもぐり込みながら続けた。 「せっかく保護施設の受入可が出たのに、足ひっぱらんで」 「えー!トモさん、行き先決まったの!?」  カズエが声を弾ませた。トモ婆は家族がいない。五回目の服役となると、身寄りのない受刑者を引き受ける保護施設も中々受け入れてくれないが、受入可否を決める保護施設の面会で首尾良く振る舞ったんだろう。 「よかったねえ、トモさん、おめでとう!あー、でも、アヤ子さんもトモさんもいなくなったら淋しくなるなあ」  カズエは気のいい女だ。無愛想なトモ婆の行き先が決まったことを心底喜んでるし、トモ婆とアタシが釈放になってしまうのを本気で淋しがっている。 翌日、事件は起こった。 「出房!行進!」 看守の号令とともに、同じ縫製工場へ出るために行進している時、隣の房の牢名主(名前は忘れた。たしか傷害致死で受刑していたはずだ)が、トモ婆の足を引っかけたようだ。つんのめって廊下に手を付いたトモ婆に、牢名主とその腰巾着の受刑者達がニヤニヤしている。 「ワザとやったろ!」 トモ婆が声を上げたら瞬時に、看守が笛を吹きながらすっ飛んできた。離れたところから、他の看守も三人駆け付ける。いつもながら、たいした身のこなしだ。平時と違う音がスイッチとなって弾けるバネ仕掛けの人形のようだ。いったいどんな訓練を受けてるのかね。 「静謐違反!調査!」 「いや、足をワザと引っかけられて・・・」 トモ婆は口をモゴモゴさせている。いつもなら、大声で怒号し、突っかかっていったところだ。 「トモさん、だめ。おとなしくして」 カズエが小さな声でトモ婆に言っている。ああ、これもダメだ、と思ったら案の定。 「そっちも調査!」 カズエもトモ婆と一緒に調査室に引っ立てられて行った。あーあ、何回服役したら学習するのか。口は災いの元だ。おそらく、トモ婆が保護施設の受入が決まったことが知れ渡ったんだろう。自分より下だ、引受先がいないと思っていた受刑者が自分より先に決まったから、その意趣返しだ。挑発を受けたとしても、刑務所ではケンカもトラブルも両成敗。だから、釈放が決まった受刑者はやっかみ半分で挑発を受ける。早く釈放されたければ、同じ土俵に上がっちゃダメだ。 夕刻、二人はうなだれて房に帰ってきた。トモ婆は何も言わず部屋の隅っこで、膝に顔を埋めてうずくまっている。肩が小さくピクピク震えている。泣いているのか。いつも憎まれ口をきくトモ婆が鬼のかく乱か。 カズエが寄ってきて、小さな声でささやくように報告する。涙目だ。 「あたしは注意指導で終わったんだけど。たぶん、トモさんの件は保護施設に報告いくらしい。せっかく引受決まってたのに、かわいそう」  保護施設は集団生活だ。刑務所での規律違反を何より嫌う。いったん引受が決まっていても、その後違反があれば、引受を撤回されるのはままあることだ。 「今朝のことは、トモさんは悪くないよね。隣の牢名主ひどいよね」  たしかにアイツには腹に据えかねていた。受刑の最初の頃、アタシに何かとちょっかい出してきて「お嬢さんがこんな刑務所まで落ちてお気の毒様」「どうだい、クサいメシってのは本当にクサイだろ。お嬢様の口には合わないだろ、食ってやろうか」なんて言われて甘食(刑務所の中でたまーに出されるお菓子のことだ)を取り上げられたこともあった。 だけど、アタシは、一言「アンタとは身分が違う」と言ったきり、どんなに挑発されようと一切反応しなくなったら、そのうち諦めて他の受刑者をいじめるようになった。 それにしても気の毒なのはトモ婆だ。膝立ちで寄っていってささやいた。 「ねえ、牢名主に一泡吹かせてやろうか」 トモ婆がビクリと顔を上げたのと、カズエが声を上げたのは同時だった。 「何言ってるんですか、アヤ子さん。何かやったら懲罰かけられますよ!アヤ子さんの釈放日だって決まってるのに」 「直接牢名主をとっちめるとは言ってないよ。正攻法でいく」 二人が、えっという顔でアタシを見つめる。 「トモさん、スグ保護施設に手紙書きな。スグ!」 「いや、でも、親族じゃないから手紙出せないんじゃないの?」 トモ婆がすがるような目で言う。原則は、まあそのとおり。でも・・・ 「今はまだ引受撤回されていないから、法律上は身元引受人のままだよ。手紙書きたいと願箋(がんせん)出したら刑務所は拒否できないはず」  願箋(がんせん)は、受刑者が刑務所に願い事をする方法だ。物品を購入したいとか医療を受けたいとか、登録されていない人に手紙を書きたいとか、諸々。 「そうなんだ・・・」 「先方に連絡いって引受撤回となったとたんに身元引受人からはずれるから、どう転んでも出せなくなる。今がワンチャンスだよ!」 「でも、手紙なんて、どう書いていいか・・・字も知らないし」 「ふん、それはアタシに任せなって。カズエ、便箋用意して」 「はーい」 カズエが白い便箋と鉛筆を取り出して渡してきた。 「書くのはトモさん、自分で書かなきゃ。字は上手でなくてもいいから、丁寧に」 「うん、わかった」 「じゃあ言うよ・・・」 それからアタシは想像力の限りを尽くしてトモ婆の人生を語ってやった。 「・・・幼い頃親に捨てられ、養護施設で育ちました。小学校も中学校も養護施設から学校に通いましたが、いつも汚れたお下がりの制服を着ていて、臭い、汚いと言われていじめを受けてきました。養護施設の中はさらに地獄でした、力のある年長者が寮を仕切っていたのです。先生達が寝静まった夜中を狙って、年長の男子達が女子寮に入り込んでくるのでございます。声を出したり、助けを求めたりすれば、さらにひどい目に遭うとわかっていましたので、体を触られるままでございました。当然、避妊もいたしません。そんなことを繰り返していましたら妊娠するのも当然でございます。中学三年の時でございました。生理がなく、腹がだんだんふくれてきまして、妊娠に気づいた先生から、誰から孕ませられたんだとしつこく聞かれましたが、相手は年長者の誰かですが、私だって誰だかわかりません。中学を卒業と同時に靴下工場やパン屋で一生懸命働きましたが、十代の少女にとって生活は厳しく辛いものでした。そうした中でひもじさのあまり食べ物の万引きをしてしまったのでございます。愚かな女とお笑いくださいませ。今回刑務所は五回目となりますが、これまでの四回はいずれも、引受をしてくださる人がおらず、満期釈放となって、着の身着のままで刑務所を出され、またひもじくて食べ物を万引きするということを繰り返してまいりました」 アタシが言うとおり、トモ婆が必死で書いている。カズエはあきれたようにつぶやいた。 「トモさんの前半の半生、アタシの人生パクってませんか?」 「いいんだよ、臨場感あるだろ。続けるよ。・・・・・・本日、工場出役の際、隣の房の方の足につんのめってしまい、思わず、わざとなのと口にしてしまい、看守の先生方から注意を受けました。これは私の未熟さゆえでございます。深く深く反省しております」 「アイツが悪いんだけど」 やや不満そうなトモ婆を無視して続ける。 「いいんだよ、ウソも方便だ。続き、・・・このたび、保護施設長様から引受いただけると聞いて、天にも昇る気持ちというのはこういうことかと涙しました。どのように感謝の気持ちを伝えればよいのか言葉も見つかりません。本当に人様に迷惑をかけ続けた人生でございました。捨てる神あれば拾う神ありという言葉があります。今回五回目の受刑になりますが、救いの手が差し伸べられたのは今回が初めてでございます。私は、自分の人生を生き直したい・・・」 いつのまにか、トモ婆の目に涙が浮かんでいる。 「自分の人生を生き直したい」 トモ婆はそう口にした。 「さすが、アヤ子さん。天才詐欺師の文章は見事だわあ」  カズエが感に堪えないように呟いた。快感。 「よし、これでいこう」 この刑務所の仮釈放日は火曜日と決まっていて、たまたま、トモ婆と同じ釈放日になった。 入所の時に預けて領置していたワンピースに久しぶりに手を通す。デザインが古いし、薄手のポリエステルの生地は十月にはやや肌寒いが、何年も着ていたねずみ色の受刑服を脱ぎ捨てるのは爽快だ。 トモ婆は、一張羅のカーディガンに毛羽立ったスラックスで、大きな紙袋二つとナイロンバッグをぶら下げている。彼女の全財産だ。 「アンタのおかげだよ」 トモ婆が口をモゴモゴさせながら言いにくそうに、しかし、言わねばならないという決意の表情で言った。たぶん、あまり素直に人に礼を言うことが苦手な人生だったんだ。 「いや、いいよ。アイツに一泡吹かせたんだからさ、いい気味だ」 アタシが教えてやったお涙頂戴の見事な手紙のおかげで、保護施設の引受は撤回にならなかった。それ以来、隣の牢名主は、納得いかない表情で、何度もちょっかいを出してきたが、トモ婆は耳にフタでもかぶせたかのように一切反応せず乗り切ったんだ。 「待ってる人がいるっていうのは、不思議な気持ちだ」 「そりゃそうだ。いい気持ちでしょ」 「うん。生きていこうという気持ちになる」 トモ婆は素直に口にした。 収容棟から出て、鉄のカンヌキのある扉を抜けると出迎え者の待機スペースはすぐだ。 3年ぶりの愛しのダンナが待っていた。古びた作業着のようなジャンパーに、しわのあるズボン、かぶっていた鳥打ち帽を取ると、薄くなった頭頂部が目立つ。優しい口調は昔のままだ。 「アヤ子、元気か」 「うん」 トモ婆が話しかける。 「中では、アヤ子さんに世話になりました。今日あたしが出所できるのはアヤ子さんのおかげです」 おお、トモ婆、こんな常識的な挨拶ができるんだと、なんだか可笑しい。 「今日から、軽井沢ですか?」 ダンナはニコニコ屈託なく笑って答えた。 「はい、軽井沢の旅館に住込で働いてましてね。コイツの詐欺事件の被害弁償があってずっと貧乏暮らしですわ。今日からコイツは仲居として一緒に働くんです」 トモ婆があきれたように、アタシの肩をこづき、アタシはニヤリと笑った。 「待ってる人がいるっていうのはいいもんだね、お互い!」 (完)  
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